第三百三十話【『外務大臣・大隈重信暗殺未遂事件』発生する】

「そんな世相の中、重大事件は起こるのである。今、私がしている一連の『玄洋社』の話しの冒頭に『新聞社の社長がテロの黒幕だった』と言ったのは正にこの事件の事を指している」


「——『頭山満』ら有志が集まり『日本倶楽部』なる今で言うところの市民団体を結成した事は既に述べた。だが陳情や圧力のまったく効かない政治家を前にしてしまうと、たちまちのうちにあらゆる方策が煮詰まった状態となった。皆で雁首並べて会合などしてみても悲憤慷慨な意見とも言えない意見が銘々の口から出るばかり。そんな中『頭山満』がこう言を発した。『格別の意見は持たない。しかし自分は政府に断じて屈辱的条約締結をさせないことに決めた』と、」


 仏暁が語る『玄洋社』の正に〝核心部〟ともいうべき部分に差し掛かり始めている。

(あ、)と突然かたな(刀)は思い当たった。仏暁の演説は続く。


「——『意見は持たない』、しかし『屈辱的条約締結はさせない』という一見矛盾する言葉の繋がり、その意味を、その場に居合わせた人間は瞬時に悟ったと云う。〝説得する事無しに新たな条約の締結をさせない〟というこの意味は、『暗殺』以外にあり得ない」


(やっぱりかーっ)と心の内で頭を抱えるかたな(刀)。(〝伝説の入試問題〟だ、これ)

 『大隈重信』という名が出たときからなんとはなしに〝嫌な予感〟はしていたが、それが当たってしまった形となっていた。


「——当然、〝めよう〟などと思う者はその場には一人もおらず、中には『頭山満』の手を握り落涙した者さえいたという」


(そこ〝〟って来る?)


「——その事件は、なぜか『大隈重信遭難事件』などと呼称されているが、別に雪崩に巻き込まれたわけでもあるまいに。どうもこの名称には事件を矮小化せんとするニュアンスを感じる。厳密には『外務大臣・大隈重信暗殺未遂事件』とすべきところだ」


「——実行者は『玄洋社社員・来島恒喜』、時は明治22年、即ち1889年の10月18日16時過ぎ、場所は外務省前。もはやこの現代にこれを言うのはシャレにならないが、まぎれもない事実としてこれを言う。『来島恒喜』は手製の銃ならぬ手製の爆弾を用意、『外務大臣・大隈重信』乗用の馬車目がけこれを投擲、爆殺を企てた」


「——爆弾は馬車を破壊したが結果的に大隈重信暗殺には失敗した。ただし、馬車が防弾車である筈もなく、大隈重信は右脚を切断しなければならないほどの重傷を負った。彼の作った大学は有名大学化して久しいが、立派な彼の銅像の片足が実は義足であると思うと、ある種の感慨が涌いてくる」


(……)もはや心の中でさえ絶句しているかたな(刀)。なにせその大学はついこの間までかたな(刀)が通っていた大学であったから。かの銅像も日常的に目にしていた。


「——というのも当該大学の前身校こそ1882年に作られていたものの『大学』と名乗り始めたのは1902年からなのだ。1889年の時点で開学者が暗殺されていた場合、果たして今日の隆盛はあっただろうか、と思うのだ」


「——ただ、馬車である以上御者がいた筈で当然御者も無事では済んではいない筈だが、何分なにぶんにもこの短い時間では御者の運命までは調べようがなかった」


「——ところで実行者の『来島恒喜』は暗殺が〝未遂〟に終わったのを知っていたのか知らなかったのか? しかしどちらにせよやる事は最初から決めていた節がある。つまり。究極の証拠隠滅である。『俺がしくじっても後は他の誰かが引き継ぐだろう』と思っていたのかもしれない」


「——加えて『来島恒喜』は実に用意周到な男であった。先ほど私の言った事にどれほどの人が気づいただろうか? 『来島恒喜』は『大隈重信』目がけ爆弾を投げたその瞬間、玄洋社社員であって、現役の社員ではなかった。というのも、事を起こす前に玄洋社社員名簿から自分の名前を抜いてしまったのだ。これで今でいうところの『ローンウルフ型のテロリスト』の体裁を整えた」


「——肝心な事は、このテロが政治にいかなる影響を与えたか、である。割と最近の価値観でいうところの『テロとの戦い』に身を投じ『テロには屈しない』とばかりに条約改正交渉をこのまま押し進めようとしたのは、結局『大隈重信』ただ一人であった。『外務大臣・大隈重信暗殺未遂事件』の結果、黒田清隆内閣は総辞職する。後続の内閣を率いた首相もこの後誰一人『外国人裁判官を認めて条約改正だ』などといった〝条約改正交渉〟を志向する者はいなかった。『来島恒喜』は暗殺にこそ失敗したが『この条約改正交渉は潰す』という政治目標は達成したと言えるのだ」


「——かつてお雇い外国人の『ボアソナード』氏が日本の不平等条約改正案について『これでは大衆の怒りは日本政府へと向き、〝維新〟の時と同じくらいの大変動すら起こりうる』と言ってくれたわけだが、『大隈重信』は一応〝維新の志士〟という事になってはいるものの、佐賀藩出身では『俺達が徳川政権を倒した』という実感に乏しかったのではないか。だから逆に〝倒される恐怖〟を感じない。そこが長州出身の『伊藤博文』や『井上馨』との決定的な違いだったように思われる」


「——この両人はきっとこう思った事だろう。『やっぱり俺たちの判断は正しかった』と。そしてこの『外務大臣・大隈重信暗殺未遂事件』というテロ事件の特異な点は、その余波、その後の社会の反応にこそあった」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る