第三百二十九話【市民運動家・頭山満、政治運動で敗北する】

「しかし次の代、明治21年、即ち1888年に就任した二代目の首相と外務大臣はまったく輿論の空気を読まない連中であった。『内閣総理大臣・黒田清隆』と『外務大臣・大隈重信』である。ついこの間〝無期限延期〟という扱いにされた潰れた筈の『伊藤博文・井上馨案』をそのまま引き継ぐが如き条約改正交渉を続行したのだ。つまり、『不平等条約改正と引き替えに日本の裁判所において外国人裁判官を任用しよう』などとまだ考えていた」


「——主導したのは外務大臣の『大隈重信』の方である。実は『井上馨』が外務大臣を辞職した後に後任として伊藤博文内閣に入閣していたのがこの男だ。つまり次の黒田清隆内閣では大臣留任という事になる。首相が代わっているのに留任できる大臣というのはこれだけで実力者と言える」


「現にだ、日本史のテスト問題的にも『自由党の板垣退助』、『立憲改進党の大隈重信』は対にして覚えておく必要があるが、『黒田清隆』には『〜の』という看板が無い。政党など作っていないからだ。つまり政治家という者は着いてくる者が多ければ多いほど大物と見なされる。政党を率いていなかった以上政治力的に『板垣退助≒大隈重信>黒田清隆』となるのである」


「——さて、『大隈重信』は『井上馨』の轍を踏まぬよう条約改正について〝共同交渉〟ではなく今度は〝個別交渉〟を選択。その手始めに『列強』とはとても言い難い国『メキシコ』相手に対等の条約をまず結んでみせた。これを旧立憲改進党系の新聞が大いに喧伝し、『強硬外交の大隈』のイメージを社会に植え付けた。実際は強硬でもなんでもないのにイメージだけは強硬という政治家は近年にも存在したが昔も事情は変わらなかったようだ。そして問題はこの後である。欧米列強相手にも同じ事ができるかどうかが全てだった」


「——『大隈重信』としては〝前の井上馨案〟よりは良くしたつもりだったようだ。まず外国人裁判官を日本の裁判所で採用するのは同じでも〝期限を区切り人数も制限した〟といった辺りが自信の源だったらしい。具体的には期限は今後12年間。人数は最高裁限定で4人まで」


「——ただ、『外国人が被告の場合は外国人裁判官を多数にして合議制で判決を出す』という」


「——しかしこれでは日本人の側が多数決で負けるじゃないか」と言い仏暁はやれやれポーズをとる。


「——加えて治外法権撤廃の3年前に新しい民法を発布する事にしたのだが、この民法の発布の1年前に予め欧米に伺いを立てるという決まりさえあった。正に『重要なる法律を作る場合は公布前に外国の承認を得る事』という井上馨案を踏襲していたのだ」


「——そしてこれらは『外務大臣・井上馨』の時と同様、例によって秘密交渉であった」


「——ここで再び似たような事が起こった。交渉内容がまたしても外部に漏れてしまったのだ。明治時代の事であるから当然〝新聞ネタ〟以外になりようがないが、イギリスとの交渉中に『ロンドン・タイムズ』という正にイギリスの新聞のスクープとなってしまった。その記事の内容が『日本新聞』というその名の通りの日本の新聞に、日本語に訳されて掲載された」


「——事情を知る者は政府の人間に限られるが、情報を漏らしたのはイギリス政府の人間か日本政府の人間か。ともかくこんな明治の昔に既視感あふれる出来事が起こってしまったとしか言い様がない」


「——真犯人は誰かは別にして、構図としては外国メディアにご注進し外国メディアが報じたらその記事を輸入する形で報道するというマッチポンプ様式、いわゆる『ご注進報道』様式そのまんま。これは『左翼・左派・リベラル勢力』の十八番とも言える常套戦術で、いわゆる『慰安婦問題』では大成功をみた戦術であった」


「——この時ももちろん輿論は沸騰し、〝言論の力〟で条約改正交渉を潰せる——かに思われた。が、『大隈重信』は輿論など全く気にしない男であった」


「——こうなると伊藤博文内閣時の日本各地の新聞社の言論戦の勝利など、ほんの一時のあだ花の如き局地的勝利としか言えなくなる。『福陵新報』もそうだが当時の新聞はどれもこれも今の感覚で言って〝地方紙〟に過ぎず、何をどう書いて反対しようと全国レベルでの効果を生まない」


「——そこで『頭山満』は次の段階の行動に移る。それは団体を作ることであった。今の感覚で言えば〝市民団体〟という事になるが、各地の有志グループが集まり新たな圧力団体を作った。それもみんなでわざわざ上京し〝政府の本拠地で活動するため〟にだ。その団体の名を『日本倶楽部』という。ちなみにこの時点での頭山満は団体を構成する有力者の一人ではあっても、当該団体の代表というわけではない」


「——そして団体を作ったらやる事は決まっている。〝政治家に対する陳情〟である。頭山満ら同団体構成員達は手分けして有力政治家に『条約改正案に反対する』陳情を持ち込む。頭山満は『時の大蔵大臣・松方正義』に面会を求めこれを実現、直接松方蔵相から前向きの回答を引き出している」


「——私見だがなぜ『頭山満』が新聞社の社長だけは引き受けたか、この一件からそれがほの見える。GHQ的、戦後的価値観で『玄洋社は右翼の源流』と単純に定義した場合、話しが著しくおかしくなるのだ。大蔵大臣、今の名だと財務大臣という事になるが、右翼の政治団体の代表が面会を申し込んで来た場合、大臣側としたら当然そんな者とは面会拒絶だろう。またそれで済ませる事ができる相手とも言える」


「——だが『新聞社社長』の肩書きがついていたらどうなるかね? もちろんその新聞の売れ具合によって扱いが変わるという前提はあるが、一定以上売れていた場合政治家も無下には扱いにくいものだ。『新聞社社長』という肩書きには一定の権威がある。たとえ〝元職〟であっても政治家に直接会うことも可能だ。なにせこの現代からしてそうなのだ。かつてYMU新聞にそうした名物男がいなかったかね?」


「——しかしながらこの明治時代の市民運動には限界があった。先ほど紹介した通り『大蔵大臣・松方正義』始め、何人かの政治家は団体交渉型の陳情によって翻意をしてくれたが肝心の『外務大臣・大隈重信』とそれを全面バックアップする『首相・黒田清隆』の暴走を止める事ができない」


「——本来ならばこうした政府の暴走は議会が監視すべきところだが帝国議会が開設されたのは生憎あいにく明治23年、即ち1890年の事で、外務大臣と首相が暴走していたこの1888年時分にはそんなものは無かった。もっとも今現在においても、確かに議会おいて議論は行われるものの、結局最終的に政府与党が数で押し切るのが常で、議会さえあれば政府の暴走が抑えられるというのは希望的観測に過ぎないのかもしれない。とまれ、ひとたび政府が暴走を始めれば市民運動ではどうにもならないのが悲しいかな、真理である」再び仏暁はやれやれポーズをとった。

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