第三百二十六話【メディアに『公平中立』は必要か?】

「『玄洋社』といえば『右翼の源流』と、この現代、たったこのワンフレーズだけで説明されてしまう団体と成り果てている」


「——確かに〝朝鮮に甘く、何かを期待している〟という点において、日本の右翼のみならず、右派・保守派の源流とさえ言えるのは間違いないが、『左翼・左派・リベラル勢力』はこうした解釈はしないものである。あるいは右と左の差異が無くなってしまう事を恐れているのかもしれない」


「——そこで我々は我々なりの『玄洋社』の理解に努める必要がある。さて諸君、『新聞社の社長がテロの黒幕だった』、と私が言ったらこれを信じるかね?」


 場内、ほんの僅かだけざわめいた。


「——間違いの無いように念を押しておくが『新聞社の社長がテロに遭った』ではない。『だった』なのである」


「——今から私が言うことも、いわば一夜漬けで身につけた知識に過ぎないが、まずは『玄洋社』の基礎的知識を紹介しておこうと思う。『玄洋社』といえば『頭山満とうやまみつる』、『頭山満』といえば『玄洋社』というわけで、『玄洋社』を語るとき『頭山満』という人物を語らないでは済まされない」


「——頭山満らは明治12年、即ち1879年に九州・福岡にて『玄洋社』を結社する。これは政治結社であり『言論の力で世の中を変えていこう』と、こうした目的があった。これがいわゆる『自由民権運動』である。『右翼の源流が言論活動?』といぶかしく思う向きがあるかもしれない。ためにここは補足が必要だろう」


「——明治12年の二年前、明治10年、即ち1877年、反明治新政府の最後の叛乱・西南戦争が新政府軍の勝利で終わり、西郷隆盛は自刃する。維新後の明治新政府の政治に不満を募らせるあらゆる者達からしたら、この僅か十年前に武力をもって時の政府を打倒したことがまるで嘘のようであったことだろう。それくらい明治新政府は急速に軍備を近代化したと言える」


「——こうした結果を目の当たりにし、『もはや武力を以て政府を打倒するのが困難である事が分かってしまった以上、言論活動で政府を追い詰めていくしかない』、というのが自由民権運動の始まりである。そのためにまず〝議会の開設〟を求めていくことになる。現代社会においては『言論には言論で』という標語のようなフレーズをよく耳にするが、言論活動の元々は『武力で対抗できないので残った対抗手段は言論しかない』というところから始まっており、言論と武力は実は表裏一体なのだ」


「——さて、『玄洋社』設立の中心人物『頭山満』は日本敗戦の僅か1年前、1944年、89歳で死去している。1945年に日本が敗戦すると『玄洋社』はGHQによって解体されてしまったため、結果的に『玄洋社』はあたかも『頭山満』の個人商店の如き趣を持つに至った。ところがだ、」


「——政治結社のトップでも『社長』という呼び名を使うようだが、『頭山満』という人物は『玄洋社』の社長になった事が無い。玄洋社の中心人物と衆目一致されながら、しかし当該組織の中においては〝肩書き〟が無いという、なんとも謎な人物であった」


「——さて、『玄洋社』の『社』は会社の『社』ではなく、政治結社の方の『社』であるというのは理解頂けたかと思う。しかし『玄洋社』が会社とは無関係な存在かというと一概にそうは言えない。というのも『玄洋社』は炭鉱やら新聞社やらを経営していたからだ。炭鉱の方は政治運動を行うための資金稼ぎ、新聞社の方は自分たちの主義主張を広く一般に知らしめるために起業した次第で〝金儲け〟そのものが目的になっていない点については刮目に値する」


「——その『玄洋社』の作っていた新聞を『福陵新報ふくりょうしんぽう』という。創刊年は明治20年、即ち1887年の8月。『頭山満』はこの新聞社の社長に就任した。肩書きを持たぬ男として有名な『頭山満』がその生涯において唯一持った肩書きだったという」


  ここで仏暁はここで手元のファイルを繰る。

「——『そんなものどうせ仲間内の機関誌みたいなもんだろう』と、現代人の中にはそう思いたい向きもあるかもしれない。が、新聞として売れ行きは好調で、ライバル社を圧倒、普通に新聞社として会社は機能していたという事だ。現に会社は明治31年、即ち1898年5月には紙名を『九州日報』と改めるほどに、つまり地元福岡だけでなく九州一円にまで販路を拡大していた。この現代にも『福陵新報』の流れを汲む新聞社は続いている」


「——さて、よく日本の新聞やテレビは『公正中立』を錦の御旗にして、『我々メディアに政府が圧力をかける行為は許されない』という主張をするが、そもそもメディアが公正中立である必要があるのかどうか、そこから考える事も必要ではないか。逆に『公正中立』という建前が国家権力から圧力をかけられる原因になっているのではないか」


「——にも関わらずメディア連中は『我々は公正中立だ』という旗にこだわり続ける。これはなぜか? 実はこうした立場は非常に便利なのだ。例えば我々、『極右』でも『右翼』でもいいが、我々を新聞やテレビといったメディアが攻撃した場合、『公正中立な存在に忌み嫌われる者は悪に違いない』として、実に容易に決めつけられ、社会もその〝決めつけ〟に流されゆくのである。『公正中立』とは〝正義ポジション〟と言い換える事が可能なのだ」


「——だがメディア連中が自分で言うほど奴らは公正中立なのか? 日本と外国、外国の中でも特に韓国と対立した場合、外国の側に立ち日本を攻撃、日本に譲歩を迫る『報道』をすることがこれまで何度あったことか! 韓国の理不尽な要求に屈服するよう日本人に迫っていたメディアを公正中立だと、誰が思っているのか? どうせそういう『報道』をするならば、『玄洋社』の作っていた新聞『福陵新報』の方が遙かに清々しいのではないか? 何しろ反政府系政治団体の作る新聞なのだからな! 誰も〝公正中立である〟などとは思わない。この現代のメディアどももそれでいいじゃないか!」仏曉、吠える。

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