第三百二十一話【ブルシット・ジョブ】

「時に諸君、『貴族』と聞いて〝有能〟という語彙を連想できるだろうか? 具体的には藤原氏の摂関政治である。自らの立身出世・一族の栄達という観点から見た時のみ〝有能〟と言えるのかもしれないが、大衆はこんな者を有能とは認めない。芥川龍之介の『羅生門』そのままに、悪化し続ける首都平安京の治安に対してすら無為無策の無能政府であったというのが、藤原政権の一般的評価というものである。こんな無能だったからこそ武士達に政権を奪われるのだ」


「——世の中がどれほど悪くなろうと色恋にうつつを抜かす、これが『貴族』の典型的イメージだが、よりにもよってこの現代に〝こういった方向性を目指そう〟という者どもがいるのである。と」


「——そこで少し小利口な人間は、いわゆる一流企業に入って『労働者』などやるのはバカバカしいと考え、しかしながら『起業』はせず、目指すのは最初から『貴族』の方だと『投資家』の側に回ろうとする。『投資銀行』なる組織に就職するのだ。日本の最高学府の大学の、その中の最高とされる東大が、この手の輩を少なからず輩出してしまっているというのが実に末法的だ」


「——『投資銀行』、それは富裕層を儲けさせるために存在している、基本大衆にとっては全く関係の無いどうでもいい存在である」


「——さて諸君、諸君は『』ということばを、どこかで聞いた事はないか? 日本語にすると『クソどうでもいい仕事』という訳になる。興味深いことにこの『投資銀行』という仕事は、『ブルシット・ジョブ』のひとつと認定されている」


「——私はたった今、〝〟と言った。つまり『ブルシット・ジョブ』なる定義は海外発、具体的にはアメリカ人の学者の発案であり指摘である。『極右』の言うことなら簡単に否定できようが、『ブルシット・ジョブ』即ち『クソどうでもいい仕事』について、アメリカ人学者が言ったとなれば『海外出羽の守』どもは簡単には否定できまい」


「——日本人的センチメンタリズムでは『この世界に不要な仕事など無い』、と言っておくのが〝社会的正解〟というものであるが、アメリカ人はその点感性が違っているという事だろう。そしてこの場合、アメリカ人の方が社会の本質を衝いているとしか思えない。と同時にこれは何でもかんでもアメリカの価値観を正しい価値観として日本人に押しつけ続けてきた日本人達、アメリカの代理人のような日本人達に対するカウンター・パンチでもある。目には目を歯には歯を、アメリカ発の価値観にはアメリカ発の価値観を、というわけだ」


「——とは言え日本人にはあまりに馴染まない価値観であるため、ざっとではあるがまずはどういったものであるか、その説明だけはしておかなければならないだろう」そう言って仏暁は手元にあるファイルを繰る。

「——まずは『ブルシット・ジョブ』の定義であるが、『被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている』というもので、これは件のアメリカ人学者の著作紹介ページからのそのままの引用である」


「——次に紹介するのは『ブルシット・ジョブ』の種別である。5つの類型があるとされる。『取り巻き』『脅し屋』『尻ぬぐい』『書類穴埋め人』『タスクマスター』、これら5種である」


「——個人的には一番最後に名を挙げた『タスクマスター』という存在が最も罪深い。何しろその中身は『他人に仕事を割り当てるためだけに存在し、ブルシット・ジョブをつくりだす仕事』というから、全ての『ブルシット・ジョブ』の元凶と言える」


「——私は先ほど『投資銀行』という仕事を『ブルシット・ジョブ』であると紹介したが、別にこの『ブルシット・ジョブ』なる概念は。さほど富裕していない人の仕事であっても『ブルシット・ジョブ』に分類されていたりする」


「——例えば『尻ぬぐい』の中身だが、『組織のなかの存在してはならない欠陥を取り繕うためだけに存在している仕事』とされている。実際あらゆる企業の中に『クレーム対応部署』というものが存在しているわけだが、『尻ぬぐい』は文字通りここが該当すると考えられる。しかしながら従事者にとってはストレスだけが加えられ続けるこうした部署であっても、無くしたら無くしたでさらに怒り狂う人間が外部の方から出てくるのは想像に難くないし、また『クソどうでもいい仕事』でも、その仕事が無くなるという事は、それに従事している従事者のも断たれてしまうという事でもある。このケースでは『クソどうでもいい』と被雇用者本人が思っていてさえも如何ともし難いのである」


「——したがって私としては〝収入の多寡〟によって『ブルシット・ジョブ』か否かを決めたいところである。そこがアメリカ人とは異なる点であるが、多額の報酬が得られる割に大衆にまるで貢献しない投資銀行の仕事を『ブルシット・ジョブ』と定義する事について、私は後ろめたさを感じない」


「——投資銀行は当然『株』に投資しているわけで、『モノ言う株主』らの行状がそのまま当てはまる。よって投資銀行の社員は『脅し屋』即ち『雇用主のために他人を脅したり欺いたりする要素をもち、そのことに意味が感じられない仕事』をしていると考えられる。そして投資銀行の役員どもは、先ほど触れた『タスクマスター』即ち『ブルシット・ジョブをつくりだす仕事』であると考えられるのだ」


「——普通他人の仕事をここまで侮辱すれば侮辱された当事者は怒り狂いそうではある。人間とはあまりに図星を突かれたとき激高する生き物だ。だが果たして〝怒る資格〟があるのかどうか。仮に怒る者が現れたとして、私からその者に訊く事はこうだ。『何歳までその仕事を続けるつもりかね?』と。自分の仕事に誇りがあるなら、知力・体力続く限り、できる限り長く続けるものだ。『——『貴族』な生活を志向し、よもや〝FIRE〟などと考えてはいないだろうね?』と詰問してやる」


(『ファイヤー』って近頃よく聞くよね、)かたな(刀)は思った。正直、憧れていなくもない——

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