第三百十五話【不動産と富裕層1・富裕層は大衆よりも経済に貢献している?】

「——富裕層は不動産に消費しているのだろうか? 実は『高級外車』よりも『不動産』の方が富裕層攻撃のネタとしては効果が絶大なのだ。むしろ富裕層が『不動産』に支出する案件の方が、より奴らのあくどさが際立つのである」


「——『高級外車』など持ち出したのは、奴らの浪費でさえ、大衆の消費に比べたら〝社会に対する経済的貢献などしてないのも同じ〟という、これを言いたいがためだったのだ」


「——それに『高級外車』というのはまぎらわしい。価格1千万円以上が『高級外車』だという定義のようだが、外見だけで新車として手に入れたか、それとも中古車だったのか、その区別をつける事はできない。知っているのはその車を運転している者だけだ。つまり1千万円台の車でも中古車になってしまうと売価が新品時の半値くらいまでになってしまう。つまりお値段500万円代だ。それに我々のような素人にはそこにある『高級外車』の年式など分からない。10年落ちでも分からないだろう。それが分かるのはよほどのカーマニアか業者くらいのものだ」


(フランス製の車なんかに乗ってるあなたには分かりそうだけど、)と内心で突っ込むかたな(刀)。


「——また『高級外車』の中には趣味性の高い車が確かにあって、富裕層でもないのに〝カッコイイ〟だとか一種見栄を張るために手に入れるという、そうした〝少し外したオーナー〟というものが実際いる。しかしその点『不動産』についてはこうした要素についてはまったく考える必要が無い。東京湾岸に建つタワーマンションに象徴されるような超高級不動産を無理して趣味的動機で買う大衆レベルのオーナーなどいないのである」


「——そこで『富裕層は不動産に消費しているのだろうか?』に話しが戻るが、もし『消費している』という事になれば、大衆は住居とする不動産以外には手を出さないのであるから、『富裕層は経済に貢献している』、と言えてしまう。だがこの台詞を口にするのは不動産屋くらいのものであろう」


「——実のところ『富裕層は不動産に消費している』、とはとても言い難い。『消費』というのはその物を買った本人が使い潰すなり食べるなりするために行った支出で、『消費』という文字が示している通り、買った分、自己の資産は目減りするのである」


「——だが『不動産』は昔から典型的『投機・投資』の対象ではなかったかね? 資産を消し飛ばすどころか増やそうと目論む行為を『消費』とは言わない。富裕層は一見カネを使っているように見えて実は消費しない奴らなのである。それどころか富裕層のこうした行動によって不動産価格が上昇すれば大衆が持ち家を得るのがよほど田舎でもない限り苦しくなる。富裕層の『投機・投資』といった行為は大衆にとっては迷惑行為でしかない」

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