第三百十三話【高級外車と富裕層1・イタリアと日本】

「『富裕層』の大衆に対する迷惑行為は目に余るものがある」仏暁はいよいよ本格的に〝富裕層〟に斬り込み始めた。


「——『富裕層』と聞いて思い浮かぶのは『高級外車』だ。富裕層を象徴するアイコンと言える」


「——高級外車は高級であればあるほど環境の事を考えて造られてはいない。それ故最高速度は速く加速性能が高い。そうした玩具のような車で無謀な速度で公道を暴走し、無辜の民が運転する大衆車を巻き込み大事故、無辜の民は死亡し高級外車の富裕層だけが生き残っていたりする。これにはまったく殺意を覚える程だ。これは大衆の一般的感覚だと間違いなく私は言える」


「——それほど速度超過の無謀な運転がしたいのならサーキット場でやり、暴走の果てにコンクリートウォールに激突し独りで死ねと、そうした怒りの感情が沸々と沸き上がってくる」


「——ただ、高級外車を乗り回す全ての富裕層が公道において速度超過で運転し無辜の大衆を死に至らしめるわけではない。が、高級外車なる物体を公道へ持ち出すこと自体が大衆にストレスを与える迷惑行為なのであり、まともな公共心を持ち合わせていないと言えるのだ」


「——即ち車には交通事故は付きものであり、運悪く高級外車相手に事故を起こしてしまった場合どうなるか? 別に富裕しているから少しくらいの損害に泰然と寛大な態度をとれるというわけではないぞ。奴らは、時にの修理代を平然と我々に要求してくるのである。ここには周りの人間が大迷惑している物体を公道へ持ち出したという僅かの後ろめたさも認められないのだ」


「——しかし、こんな事を言っていると『お前は高級外車が羨ましいんだろう』であるとか、『成功者をやっかむのはみっともない』だとか、そうした下世話げせわな話しに持っていかれるパターンが目に見える。特に後者が日本人によく効く。『』、これを言われてしまうと萎縮してしまうのが日本人。いわゆる『』というヤツだ」


「——ときに、私が『高級外車』などという俗な物体を持ち出してきたのは外国との比較のためである。私が比較対象国としたのは『イタリア』だ。日独伊三国同盟のあのイタリアだ。我々はあまりにも敵に〝海外出羽の守〟戦術を使われるため、ここはひとつ意趣返しをと、そういう趣旨もある」


「——さて、高級外車の中に『フェラーリ』というメーカーがある。高級スポーツカーを造っている。その『イタリア』のメーカーだ」


「——イタリア人からフェラーリ社製の車を見ればそれは〝国産車〟という事になるが、イタリア人がフェラーリ社製の車に持つイメージも日本人と大差無い。或る有名な在日イタリア人が言うには『お金持ちの人のクルマ』だと、『宝くじが当たったら買う』のだと、そんなものだ」


「——そのイタリア人が初めて日本に来た時、東京の銀座でフェラーリを目撃し、『オ〜』と驚いて思わず写真を撮ってしまったという。また彼の友だちも日本へ来てフェラーリを見てビックリし写真を撮ってしまったというのだ」


「——フェラーリ社製の車は日本よりも本国であるイタリアの方が存在台数が多い。ならばイタリアの方が目撃する確率が多い筈じゃないか? なのになぜ本場のイタリア人が自国製の車を〝日本という外国〟で見て驚くのだろうか?」


「——サンプルはたったのこの二件のみである。だから『そのイタリア人は都会に住んでいない田舎のイタリア人だったのだ』と言われればそれまでである。が、私の直感が〝これに引っ掛かりを覚えろ!〟と告げている」


「——と言うのもそのイタリアでは2022年、〝極右政党〟と呼ばれる政党が政権を獲れたのだ。むろん『極右』とは大衆に迎合する者で富裕層に迎合などしない。これ故私は〝たった二件のサンプル〟でこれを一般化する事に躊躇いが無くなったのである」


「—— 一口に『写真を撮った』と言うが、実際走り去る車の写真など咄嗟には撮れないものだ。つまり〝写真を撮れた〟という事は、そのフェラーリは駐めてあった。しかも多くの通行人の目につくところに、だ。そう考察できる。イタリアでフェラーリ社製の車を見ないという事は、もしかしてイタリアは目立つところに高級スポーツカーを駐められない国なのではないか?」


「——つまりイタリアに於いては富裕層は大衆に警戒感を持つ必要があり、日本に於いては富裕層は大衆に警戒感を持つ必要が無いのではないか、と、私はそう考えたのだ」


「——しかしきっと間の抜けた人間はこう言うのだろう。『日本は治安が良い』と。だが私に言わせればイタリアの方が遥かに健全だ。温和しい人間に対してはどこまでも残忍に酷薄になれるのも人間だ。しかも無自覚にそれをやるのだ。温和しく振る舞ってなどいると他者から限りなく損を押しつけられる。それが人間という生き物の本質なのだ」


「——つまり、安心して高級スポーツカーを人目のつくような所に駐められるような国は、富裕層が大衆を舐めきっている国だと言える。恥の概念、『成功者をやっかむのはみっともない』と言われ、そのように振る舞ってしまう日本人の国民性は富裕層にとって実にイージーモードな国民性と言える。こうした性質をまんまと利用され富裕層が安心して富裕できる社会になっていないか?」


「—— 一方で極右政権をも誕生させてしまうイタリアの大衆は、同国の富裕層からすれば〝不安・不穏〟といった感情を惹起せしめるであろう事は想像に難くない。必然大衆に対する警戒感を持たざるを得ないのである」


「——断言しよう、『成功者をやっかむのはみっともない』、そんな国民のままでい続けても我々大衆に利益など無い! 我々がそういった妙な節度を守っていても、そのお返しで『富裕層がお優しく〝我々大衆の暮らしやすい社会〟を実現させてくれる』など、そうした事は100%起こらないのである」


「——私は思うのだ。その『成功者』とやらが果たして我々大衆の役に立っているのかを。『今この時この瞬間、利益をもたらさない奴は要らん』でいいのではないか?」


「——こういう事を言うとおそらく以下のような〝反論〟が戻ってくる。『〝富裕層の消費〟が社会経済に恩恵を与えているのだ』、と。だが本当にそうだろうか? これを言うために私はわざわざ『高級外車』などという俗な物体を持ち出したのだ。これを持ち出した意味はもう一つあるというわけだ」

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