第三百十二話【ネオ・リベラルな奴らにはネオ・リベラルの刃を】

「——支配層というのは冷酷なものだ。我々大衆は支配層の提示する都合の良い人間像を強要され『今この時この瞬間、利益をもたらさない奴は要らん』という価値観の支配下に置かれる。この状況、一見絶望的でさえある」


 ここで仏暁、ニコリと笑う。その仏暁のすぐ前にいるかたな(刀)にはその笑顔に微塵の邪気も感じられなかった。却ってそれが故にゾッとしていた。


「——私は先ほど政治家や企業経営者など『リスキリング』を肯定し広める奴らほど自分達はリスキリングしないと言った。新スキルを習得することで既存の業務から離れ、目標など奴ら社会の支配層には無い。文字通り自分達はリスキーな道は歩こうとはしない、と。これこそが〝ヒント〟なのだ」


「——我々大衆が使うのは『今この時この瞬間、利益をもたらさない奴は要らん』という『ネオ・リベラル』の価値観だ」


(え?)と、かたな(刀)の頭は混乱する。


「——もちろんそれを我々自身に使うのではない。我々に対しては既に支配層が使っている。我々大衆もその価値観を支配層に対して使うのだ。『今この時この瞬間、利益をもたらさない奴は要らん』とな!」


「——目には目を、歯には歯を、だ。『ネオ・リベラル』の奴らは『ネオ・リベラルの刃』で斬ってやるといい。我々大衆の痛みを奴ら支配層にも感じさせればいいのだ。支配層は、自らはリスキリングして既存の業務から離れようとしないぞ。間違いなく奴らは痛みに弱い」


 ここで仏暁は腕を組み、天井を見上げた。

「昔の話しをしよう。私が教育評論家を名乗っていた時、よくこんな講演をしたものだ。イジメ側にいくら『イジメは良くない。悪い事だ』と言おうと、『人権』や『人の心の大切さ』をどれほど説こうと、それが全く響かない極悪人がいる。しかしそんな人間であってもやはり人間なのだ」


(え?え? ヒョロ長が人間肯定?)と瞬間的に思ったかたな(刀)。仏暁が視線を正面へと戻す。


「——そんな連中でも〝痛み〟だけは一丁前に感じるのだ」


「——だからイジメ問題解決のためには論理に訴えても情に訴えても全く効果が見込めない場合には〝痛み〟を与える事を私は躊躇わなかった。むろんこの場合の〝痛み〟とは暴力などではなく知略的なものだ。〝仲間〟の裏切りを誘発させイジメ側を少数派にしてしまい多数派から攻撃される気分を味わわせる。この際イジメた側とイジメられた側の〝仲直り〟だとか、そうしたくだらない事は度外視だ」


「——私はまとめようなどと企まない。もっともっと分断させてやれと企むのである。なぜならば分断させる事によって初めて〝〟と人は認識する事ができるからだ。それをまとめてしまうと却って問題を壁の中に塗り込め隠すような次第となるのである」


「——このように痛みを与えて、痛みを与えて、与え続けていくと、するとどんな極悪人でも『痛い痛い』と騒ぎ出す。『俺は被害者だ』とまで言い出すのである。そんな時であっても容赦をしてはならない。何しろ極悪な連中は反省したフリだけは上手いものだ。『そうか、痛いか。ならもっともっと痛みを与えてやろう。痛めば痛むほど痛められた人間の気分が解るようになり君も人間的に成長するのだ』と、そのように考え、下手な仏心は一切加えないでキリキリと痛みを与え続けていく。我々は支配層に対し容赦なくこれと同じ事を行うべきである。我々の受けている痛みを感じさせる事で初めて自らが他者に何をやらかしたかに気づくのだ」


「————ムッシュ野々原、たいへんに真剣に聞いていただき講演者冥利につきます」と仏暁。いきなり最前列に座る野々原に語りかけた。語調も一瞬で変わっている。

「おっ、おう、」としか返せない野々原。


「あなたはあなたの演説で『サムライ』を語った。そして『サムライを江戸時代からではなくそれが誕生した時代から考えるべき』と言いました」


「おっ、おう、」と再び同じ返答。


「まったくトレ・ビアン、です。素晴らしい! そこで一つ質問をいいですか?」


「おうっ」


(さっきから『おう』しか言ってないじゃない)と内心で突っ込んでいるかたな(刀)。


「鎌倉時代は武士が誕生しまだそれほど時間が経っていない頃です。その頃の主従関係を表すことばを言ってみてはくれませんか?」


「え、えー、」


(しょうがないなー、これ、〝中学〟じゃなかったっけ?)

 かたな(刀)としては野々原に教えてやりたいくらいだったが、なにぶんにもここは最前列。見えない所ならともかくこの場所でそんな事はしにくくてしょうがない。


「ではマドモアゼル遠山、どうぞ」と今度はかたな(刀)に振られる。しかしかたな(刀)、慌てず騒がず、

「『御恩と奉公』でしょう」とあっさりと回答した。


「トレ・ビアン!」


 ことばが何も口から出て来ない。

(これで『とれ・びあん』とか言われても……)と、誉められたっぽくても、この程度で誉められても自分自身が〝とっくに落ち目になっている〟としか感じられなかった。仏暁の少し奇妙な質問はここで終わってしまい演説の続きが始まっている。語調がまた一変している。

「——鎌倉時代、『御家人』とは幕府直属の家臣の事を指していた。『幕府』とは将軍がいる時は『将軍』を指し、将軍がいなくなった後は『執権』を指していると考えるのが妥当だろう」


「——幕府は御家人に『本領安堵 』『新恩給与』『官位推挙』などの保護を与え、その代わりに御家人は『御家人役』と呼ばれる鎌倉幕府に対する様々な義務を負う事になる。要するにその関係はギブ・アンド・テイクだ」


「——ところが、江戸時代まで下ると、『ギブ』、即ち『御恩』がどこかに忘れ去られてしまった感がある。ただただ主君に『奉公』をするのが武士の仕事だと、そういう事になってしまった。坂本龍馬などは土佐藩を脱藩しているから、時代背景からしたら明らかに『武士の風上にも置けぬ者』、という事になる」


「——ところがこの『御恩と奉公』が極近代に一時的とは言え復活している。諸君らにはそれが何を指しているか〝心当たり〟が、間違いなくある」


 仏暁は少々の外連味を発揮し僅かの間をとる。



「——『終身雇用制』ということばを聞いた事がある筈だ。幕府側に当たる企業経営者側は定年まで終身、社員のその立場と身分を保障し、御家人側に当たる社員はその代わり組織に忠誠を誓い真面目に働き続ける。ここに『転職』などという価値観の入り込める余地は無い。正に『御恩と奉公』の近代版だ」


「——しかし、かつて日本の強みとされたこの『終身雇用制』は今や日本の悪しき慣習とされてしまった。ここに蘇った『御恩と奉公』は支配層によって無残に破壊された。つまり『御恩』は無くなった」


「——すると次に何が起こるか、既に歴史が証明している。鎌倉時代末期、『御恩』も無いのに『奉公』だけを求められる一方の御家人達。こんな中で旨い目を見ているのは支配層である北条得宗家と呼ばれる一族とそれに連なる一部の者ばかり——」


「——ここでひとつ、ちょっとした歴史小ネタを挟んでおこう。室町幕府最後の将軍も、江戸幕府最後の将軍も家臣達に殺されてはおらず、幕府滅亡と同時に一族も全滅という事も起こっていない。ところが鎌倉幕府だけは違っている。家臣である御家人達は一切の容赦を加えなかった。〝後の二つの幕府〟の滅亡時と比べあまりに対照的と言うしかない。『御恩と奉公』という価値観が崩れた以上、後は〝鎌倉幕府滅亡〟と同じ状況がやって来る。私の歴史を元とした分析はけっこう当たるぞ!」


「——さて、ときに諸君。諸君の中にこんな事を思った者はいないだろうか? 私が『我々大衆の敵を『』とする』と言った時、このあまりに左翼チックなことばに面食らい、やがて〝続きの話し〟から、『富裕層』云々は『左翼・左派・リベラル』という敵勢力を分断するために持ち出してきたダシではないかと考えた者が」


「——しかし改めて言明しておこう。我々『極右』が『左翼・左派』などを敵にするのは間が抜けている。それで国民の4割が獲れるわけがない。なにせ元々奴らには人気が無いのだからな。我々の敵は今なお我々大衆に法外な要求を突きつけ続けている支配層である。『富裕層』というのは支配層ではないかね? そいつらは間違いなく『ネオ・リベラル』だ。要するに我々は本気で『富裕層』を敵と認定しようというのだ。鎌倉時代に例えるなら『富裕層』は北条得宗家とそれに連なる一部の者達とその立場は同じである」


「——武士と言えば『盲目的忠誠』、日本人と言えば『何をやっても大丈夫な相手』と思っている輩は江戸時代が日本人の全てだと思っているのだろうか? もはや江戸幕府が遺した遺産など無いと言うのにな。自分達の手で壊してしまったという自覚も無いらしい。日本人と言えば『サムライ』なら、その原点は〝鎌倉〟にある。鎌倉回帰した日本人ほど恐ろしい人間達はいないと、日本人のくせに解らないこの現代の支配層は、己の教養の無さをじきに呪う事になるだろう」


(マルクスとかじゃなく日本の歴史を持ち出す辺りは『右』っぽいけど、でもやっぱり中身が『極左』っぽいんですけど、)と内心で突っ込むかたな(刀)。もちろん声になどならない。

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