第三百十話【『労働生産性』】

「——『労働生産性』とは何か? それは『数値』である。一丁前に数学まがいの公式で導き出される数値なのである。即ち、企業が生み出す付加価値、それはほとんど売り上げから仕入れ原価を差し引いた額を指し示す〝利益〟、と言い換えても構わないだろうが、この利益を当該企業の全社員の総労働時間数で割って出てくる数値が『労働生産性』なのである。式は『生産量÷労働者数』となる」


「——私はこれを〝〟と断ずる。というのも本物の公式ならあらゆるケースで成り立つ筈だが、この式は物的になにかを生み出す産業、製造業や農業には当てはまるが、サービス業に当てはめた場合おかしく感じるほかないのである。サービス業における『生産量』とは客からどれだけふんだくれたか、という意味になるしかない」


「——というのも、世の中には『正直者』というのがいて、むろんこれは大いなる皮肉であるが、『労働生産性』とやらを社会に定着させんとする価値観を有しているにも関わらず、この価値観の悪辣さを惜しみなく紹介してくれているのである。いや、もしかしたら裏の裏を読んで〝味方のフリをした獅子身中の虫〟であるのかもしれない。つまりは我々の側から見て内通者の如き存在である」


「——そこで極めて簡潔に、サービス業において『労働生産性』とやらを上げる方法を諸君に紹介しよう」


「——まず、アメリカ並みとする。『おもてなしの心』など論外だ。これで労働生産性は上がる」


(へ?……)とかたな(刀)。


「——である。。これで労働生産性は上がる」


(な、なにこれ?)しか頭に浮かばないかたな(刀)。


「——そして〝真打ち〟がお次である。『労働生産性』なる価値観を社会に広めたいのは支配層であるとすぐ解る。即ち、


「——さっき私が言った公式モドキを思い出してみてほしい。企業の利益を、全社員の総労働時間数で割って出す数値が『労働生産性』である以上、社員の数が少なければ少ないほど、例えるなら体脂肪率数%レベルまで絞るようにギリギリの数にしておくと『労働生産性』が最大値まで高まるのだ」


(ひどい!)とかたな(刀)。企業の面接試験を片っ端から落ち続けていれば当然こうした思考にもなる。


「——したがってアメリカの経営者には日本以上に少ない人員で効率的に仕事を回すことを考えなければならない動機がある、といったような事をその『正直者』は曰うのだ。だが私には典型的な『海外出羽の守』にしか見えない。というのも同時に日本を引き合いに出し『サービス残業は言うまでもなく、長時間労働を美徳とする文化もアメリカには無い』などと、アメリカ如きを美化しているからである」


「——まずサービス残業は違法行為である。普通に残業なら残業手当が出るから合法だが、サービス残業は残業代が出ないから違法行為である。違法行為をする企業が日本にあった場合、違法行為をした企業が攻撃されるべきで、なぜかアメリカを引き合いに出し『日本は、』などと日本全体の話しとして抜かし始めるのだ。攻撃されるのはサービス残業をやらせる企業経営者であるべきで、そいつらは大衆の敵なのだ。『日本は、』などと抜かすこうした輩の精神性は信用がならない」


「——それに今どき『長時間労働を美徳とする文化』など日本には無い。『長時間労働』自体はあっても誰も『美徳』だとは考えていない。それはいったいいつの時代の日本だ? 高度経済成長の頃だろうか? それはまったく時代錯誤な思い込みと先入観に過ぎない」


「——この手の輩の頭の中に無いのは『』という概念である。この場合、サービス業の日米比較が発端となっているためサービス業を例にとるが、『労働生産性』の高い企業においては客に対するが勤務時間中出社から退社まで延々続くのである。『労働生産性』を上げるため社員の数をギリギリまで絞れば当然こうした事態にもなる。その際の労働者のの想像がつかないのだろうか?」


「——こうしてサービスの質を落とし社員の数を減らし、社員の『労働の密度』を極大値にまで上げるこのやり口こそ『ネオ・リベラル』そのもの。というのも利益をどれだけ上げられるかという合理主義しか眼中にない。むろんここには人間性などという価値観は皆目見当たらない。これで『我が社は定時出勤定時退社です』などと言われても、働く側としては空々しいだけだ。これを讃える奴らは経営者の側に立つ支配層のみである」


「——支配層とはただ指示を出しているだけで実際に動くのは下の者達である。支配層を労働生産性の高い働かせてみせればいい。1日で根を上げ仕事を休み始める事請け合いだ」


「——まったく『サービス残業さえ無ければいい、長時間労働を美徳としなければいい』などと曰う奴の浅薄さときたらどうだ? 胸がムカムカする。いったいいつまで『アメリカは素晴らしい、日本は遅れている。アメリカを見習え!』と『ネオ・リベラル』の奴らは言い続けるのだろう? 『労働の密度が濃すぎるのもまた問題だ。アメリカは労働者に課す労働密度が高すぎる』くらい言えなければそれは『知識人』とは言えない。やはりモドキなのだ。いっそのこと『長時間労働とは3時間以上の労働を指す』くらい言ってみたらいいものを! 3時間集中し続けられる人間がいたらそれはそれはたいした人間だ!」


「——『忙中閑あり』、本来仕事とはこの程度が最適なのだ。効率のみを追い求め『忙中忙のみ』という状態に労働者を追い込むならば、閑な状態のある長時間労働とどっちがマシか解らないぞ!」


「——さらにこの『労働生産性』は、先に述べた『労働市場の流動性』と関係がある事になっている。『労働市場の流動性のある社会は労働生産性が高い』、のだそうだ。私には〝謎理論〟としか思えない。アメリカ全体においてさえ年4.2%ほどしかいない『極短期失業者』がいったい社会にどれほどの生産性を与えるというのか? もはやこれはカルト宗教の洗脳である!」


「——しかもだ、こうした歪んだ価値観の大衆に対する浸透を画策する動きが止む気配が無い。現にいつの間にか社会の空気が『労働市場の流動性のある社会は労働生産性が高い』になりつつあるではないか。人間性というものが全く感じられない『ネオ・リベラル』という価値観の浸透をこれだけこの日本で実現しながら『まだ足りない』とこれまで以上に続けようとしている奴らがいる。そいつらは国家主導によるさらなる大衆への『啓蒙』、もはやそれは洗脳であるが、それを国全体で取り組むようそこまで求め、果ては『これから高齢化が進み働き手が減っていく日本において、労働生産性の向上を実現させることができなければ死活問題になる』などといかにも国を憂える愛国者を気取っているのである」


「——しかしそうした似非愛国者の化けの皮を一発で剥がせる戦術がある。『労働生産性』なる語彙を使だ」仏暁は断言してみせた。


 かたな(刀)は手に汗を握っていた。ここまで胸がスカッとする他人の話しなどこれまで聞いた事が無かった。

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