第三百八話【徳川家康の人事】

 仏暁の話しが『徳川家康』へと戻ってきた。

「徳川家康の重臣は、織田信長の重臣にその能力が及ばない。織田信長の場合、信長不在の戦場でも織田軍は攻勢し勝利できたが、徳川家康の場合、家康不在の戦場では徳川軍は攻勢すると敗けるのである。それを証明するのが『信州上田合戦』である」


「——『真田昌幸』という名に聞き覚えの方も多いだろう。少しでも戦国時代の知識をかじっていたら聞く名前である。彼がなぜ有名なのかと言えば『』だからだ。劣勢の者が知略の限りを尽くし強者に一泡吹かせる様に、人は大いに溜飲を下げるものだ」


「——しかし〝真田ファン〟にはたいへん申し訳ないが、勝ったのはだった」


「——徳川家康としてはこの結果から『この自分が指揮しないと徳川軍は勝てない』事を痛感させられた筈だが、彼は自軍を織田信長張りの組織にはしなかった。『家臣の能力はそこそこあればそれでいい。後は忠誠心次第』と考えていたとみて間違いない」


「——というのも、『信州上田合戦』は本能寺の変の後と、関ヶ原の戦いの時と、二度行われたと言われているが、実は二度目は戦らしい戦は無かったというからだ。また同じく関ヶ原の戦いの時、家康は自分の次男の結城秀康に宇都宮城の守備を命じただけで『敵を攻撃しろ』とは命じてはいない。軍勢を動かす事は任せても積極的な攻勢は控えさせ、あるいは城で守備に徹せよと、これが徳川家康が重臣に期待した能力だった」


「——その徳川は250年の太平を築いたじゃないか。これが歴史の答えだ。能力の高い人間に忠誠心を求める事は不可能という事だ。現に能力が高い者ほど出世し重臣に抜擢されるような織田家のような組織では、組織にとって危機の時代に幹部クラスが率先して離反していく。それを見ている下の者、『山内一豊』レベルでも『上がやっているからまあいいか』と感化され、罪悪感を感じる事も無く同じように行動してしまうのである」


「——残念ながら、と敢えて言うが、能力主義を採用し人間の心をろくに顧慮する事も無く、信頼や信用を蔑ろする組織であってもその組織は一瞬の栄華は極められる。その華々しい栄華を過剰に褒めそやす者も当然続出する。だが能力主義を採用した組織は急激に膨張するがその瓦解も一瞬なのである。『ネオ・リベラル』という価値観の致命的欠陥は既に1580年代にとっくに証明されている」


「——さて今を生きる日本の支配層と、徳川家康のような昔の支配層とを比べて、どうだろうか? 同じ支配層でも昔の支配層の方が頭が良かったんじゃないのかね。我々大衆はいつまでもこのような頭の悪い『ネオ・リベラル』連中に支配され続けるわけにはいかない。しかも奴らはそれに加えてタチが悪いと来ている。『労働市場の流動性』のみならず『労働生産性』などと語り始めているのである」

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