第三百五話【織田家の人事】

「——この状況に『極右』なら極右らしく、『アメリカから導入するよう要求された邪悪な社会制度がアメリカの下僕げぼくである日本の政治家どもによって実行され、日本社会はかくも無残に破壊されたのだ!』———などと言いたいところだが、別に『能力主義』、即ち『永久能力主義』は日本に存在しなかった価値観というわけでもない。能力主義を合理的だと考え、かつてそれを取り入れ実行した人物が日本史の中に確かに存在しているのだ」


「——その人物の名は、かの『織田信長』だ」

 仏暁の演説がまたも〝戦国時代へ〟と戻っていた。

「——信長率いる織田家が能力主義を採用していた事は疑いの余地がない。信長は〝〟と見込んだ家臣達に大幅な権限の委譲を行った」


「——ときにその『家臣』というのは戦国武将の事である。合戦で敵を討ち取るいわゆる、そして少し偉くなると城番を任せられ、敵の来襲に備えるようようになるとか、で求められる能力はせいぜいここまでである」


「——ところが織田家の場合、『敵の城を攻略せよ』と、ここまで家臣に権限を委譲してしまう。織田家最盛期には『丹波国を平定せよ』だとか『播磨国を平定せよ』だとか、国単位での攻略命令にまでなっている」


「——だが普通の戦国大名家の場合、敵の城の攻略は当主の専権事項である。もっとも、何事にも例外はあるもので、今川義元の代の今川家では『太原雪斎』という家臣にそうした大幅な権限の委譲を行っている。だが一人だけだ。彼の死後同じ権限を与えられた者もいない。織田家の場合、複数の家臣に当主の専権事項である権限、その委譲が行われている」


「——これは信長が四方八方に敵を抱える一方で、己の身は一つしかないという状況が造り出した〝必然的に行き着いた末の方策〟と言える」


「—— 一応は現象面の類似例にも触れておこう。戦国大名家の当主が無能なら、勝手に有力家臣がその家を仕切りだし、当主ではなく専らその家臣の意向で敵の城を攻略しだしてしまうというパターンも現にある。これは大内家あたりがその典型例だ」


「——世襲の大名なら無能が指揮を執る立場に座ってしまう事も起こりうるが、戦国大名当主の専権事項である権限を家臣に与え自身の代わりをさせるとなると、指揮を執る者は以外あり得ない。無能と判断したら降ろせばいいだけだからだ」


「——織田信長のお目にかなった家臣といえば『明智光秀』『羽柴秀吉』が有名どころだろう。その一方で家臣が『佐久間信盛』という武将である。この家臣、最終的に織田家から追放された。つまりはクビだ」


 仏暁は自らの首の辺りで指先を揃えた右手を水平にすっ、と動かしてみせた。


「——佐久間家は織田累代の臣で徳川風に言うと『譜代』という事になる。この『佐久間信盛』という武将が信長から任された仕事が、織田信長の宿敵にして仇敵の本願寺、その本拠地・石山本願寺の攻囲戦だった。これほどの相手を任されるという事は、相当厚い信任があった事を意味する」


「——だが5年にも及んだ石山本願寺攻囲戦において、佐久間信盛はまったく成果を挙げられなかった。法主・本願寺顕如が降伏し、その本拠地・石山本願寺を明け渡した後、突然佐久間信盛は信長に断罪されたのである。本願寺に与力する者どもに対する調略、即ち敵の内応・裏切り工作も怠り、文字通り囲んでいるだけでは働いたうちにならない、と、」


「——もちろんこの『佐久間信盛』という武将が、最初からその能力に疑問符を持たれていたわけではない。『長篠』『伊勢長島一向一揆』『越前一向一揆』では大いに軍功を上げ、加えて信長が織田家の家督を継ぐ際信長の方を支持したため信任も厚かったとの事。一方『柴田勝家』などは最初は信長の弟の方についていたから、それと比べたらなおの事だ。ところがその柴田勝家は最後まで〝織田家からの追放〟という憂き目には遭わなかったのである」


「——織田信長にとっては〝忠誠心〟とはその程度のものだったらしい。過去の実績・功績よりも『今この時この瞬間、利益をもたらさない奴は要らん』、この価値観が優越したがための人事であった。の人事である」


「——だが我々は〝その後の歴史〟がどうなったかを知っている。『本能寺の変』だ」


「——明智光秀は『古くからの忠臣、佐久間信盛でさえああなった』と、信盛の処遇によって自身の将来を悲観したに違いない。と言うのも明智光秀は織田家では新参者、四十代になってからの仕官と云われている。つまり本能寺の頃は一番若く見積もっても五十代半ば、当時の寿命からしたら既に老境に入りつつあった」


「——明智光秀はその行動から意外とリアリストで生真面目であったと推察される。そうした人物の思考を予測するに『常に成功するとは限らない』、『歳をとればこれまでできていた事もできなくなるだろう』と、ネガティブな方向へと流れていきがちだ。なにしろ四十代になるまで芽が出なかった苦労人だ。彼のような人間は〝楽天家〟にはなれない」


「——そうした危うい精神状態に陥っていた折り、目の前に偶然〝格好の状況〟が現れてしまった。織田信長が軍勢も引き連れずごく少人数で京に逗留するという。しかも織田家の家督を継いでいた織田信忠もだ。これに何かしらの運命めいたものを感じてしまったが故の突発的行動が『本能寺の変』だったと、私はそう考える。明智光秀謀反の理由については諸説いろいろだが、私は『本能寺の変は人事に端を発した精神的不安から突発的に起こした』という説を支持したい。そう思うからこそ私の心情は明智光秀寄りであり、彼もまた私の好きな武将の一人なのである」


「——クビにならなかった者にも不安を与える人事、それが織田家の人事、即ち『ネオ・リベラル』の奴ばらが信奉する価値観なのだ。この価値観は、導入した者にすら容赦なく不幸を連れて来るというのは歴史が証明している」


(『明智光秀』って、『大谷吉継』の真逆じゃん)と聴きながらも内心で突っ込むかたな(刀)。

 方や『謀反人』、方や『義の人』というのが戦国的一般認識なのだからそれも無理もない。

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