第二百八十八話【仏暁信晴の中学校教師時代・成功編(その2)】
「——新たな効果は生まなくはなるが、この時点で100%確実に〝新たなイジメ〟が起きます。つい先ほど私はこう言いました。『人間というのは面白いもので、敵だと思っている人間から攻撃を受けた場合と、味方だと思っていた人間から攻撃を受けた場合とでは、持ってしまう感情が雲泥の差となります』と、」
「——私に説得されたイジメグループ構成員は『そのグループから脱退しなければ』という動機によってイジメに加わるのをやめるわけです。するとどんな人間でも気づきます。『裏切ったな』、と」
「——かくしてイジメの中核メンバー3人ほどがイジメグループから脱退した人間に攻撃の矛先を向けるのは必然の流れです。それが人間だ。人の心理だ。この時点で一番最初のイジメ問題は解決したと言っていいでしょう。ただし、新たに発生したイジメ問題を放置するようでは教師として失格です」
「——しかし、これだけは確実に言えます。一番最初のイジメ問題よりは状況は確実にマシになっている。というのも、イジメグループの規模は従前に比べ明らかに縮小しているからです」
「——そしてここで親身な顔をして『この人間関係は将来の君の人生の負債となる』と言って切り崩してきた効果が出る。元イジメグループの一員にして新たなイジメの被害者は、容赦なくイジメの相談をしてくれます」
「——敵方の情報が私の側に筒抜けになるという事は、私に有利な状況にはなります。が、絶対優位とは言えない。というのもここからの相手はかなり手強い。現にこんな統計がある。小学校内における暴力事件の認知件数が右肩上がりになっています。平成二十五年度は1万件ほど、これでも多く感じるくらいですがそれが令和三年度になると実に4万8千件にもなっている。小学生です、小学生。この手の事件を起こした者が中学に入った途端に心を入れ替えるなどと誰が保証できるでしょうか?」
「——イジメの中核グループは言わば『無敵の人』です。〝将来の事〟を持ち出し不安を与えるという手法はこのグループには通じない」
「——ではどうするか? 世論戦を仕掛ける。その学級の中にイジメグループに極めて不利な支配的な世論を造り出す。では造り出す前の世論は、というと『イジメを見ても見ぬふりをする』というのがどこにもありがちなクラス内世論です。これをぶち壊し新たな世論を作る〝世論戦〟が穏便なものである筈がありません」
「——通常、イジメ防止教育は『イジメは悪い事』と教えます。しかしこの方法は良心を持った人間相手にしか通じない。残念な事にこの社会はそうした人間ばかりでは構成されていない。相手が中学生でもです。だから私の場合こう教えます。『イジメをする者は悪者』と。さて、このふたつがどう違うのか? マドモアゼル遠山、解りますか?」
唐突にかたな(刀)に振られる話し。(えっ)と思ったきり声も出ない。振った仏暁の方は黙り続けたまま。あたかも思考のための時間を与えているかのように。
しかし、対人反射神経がいささか鈍いかたな(刀)でも、時間的猶予さえあれば〝答え〟とおぼしきものには行き当たる。そこは一応『学士サマ』。かたな(刀)は喋りだした。
「ともに『悪』という文字を使ってるけど、前者は行為に対する非難、で、後者は人間個人に対する非難——なんですよね?」といささか自信の無い言い様。しかし、
「トレ・ビアン!」と大業なポーズで応える仏暁。「——まさしくマドモアゼル遠山の言った通り。私は行為に対する非難では無く、その行為を実行した人間の悪魔化を試み、実行したのです!」
(それってやっていいの?)と思ったかたな(刀)だったが、口に出せる勇気は無い。
「——理由は簡単です。『イジメは悪い事』と言おうと『俺らのやってる事はいじめじゃねえ。遊んでるだけふざけているだけ』と、そういうド定番な〝返し〟を受け、逃げられるだけだからです。既に何度も試され解りきっている事だ。その点『イジメをする者は悪者だ』と言い切ってしまった方が却って逃げは打てない」
「——そりゃそうです。『悪者』でなければ逆に『正義の者』になるからです。『いじめはやっていない』とは言えても、自分で自分の事を悪者だとは定義しにくいし、正義の者だとも言いにくい」
「——私は直接対決を厭わない。それもギャラリーの見ている前で対決する。ギャラリーとはクラス中の生徒達の事です。対決手法は『ディベート』です。これなら1対3でも私は勝てる。なにより〝授業〟としても通るのが大きい」
「——もちろんテーマは『イジメ』。『イジメ容認論』と『イジメ撲滅論』の立場に分かれて戦い、むろんイジメグループは『イジメ容認論』に立たせ、私が『イジメ撲滅論』の立場に立ちます」
「——ディベートを活用する事の都合の良さは、〝本来の自分の意見とは無関係にその立場になり論戦を交わす〟という、こうした形式にあります。先ほども言いましたがたいていの場合イジメグループは自分達のしている行為をイジメとは認めようとしません。だがディベート形式にすれば、自然とその立場に立たせる事ができる」
「——そして私を『イジメ撲滅論』の立場に立たせたら勝率は100%。理屈は簡単。『イジメを容認して得られる利益』と『イジメを撲滅して得られる利益』とを比較して語る。誰しも『自分がイジメを受けない確率は100%』と断言できない以上、クラス内安全保障の観点からイジメを撲滅して得られる利益の方が〝大〟であると、誰しもがこちらの方を支持します」
「——中には無駄な抵抗を試みる者もいます。彼らも事の不利を悟る能力くらいはあるという事なのでしょう。イジメグループの中にディベートそのものを拒否する者は割とよく現れる。この手のケースがある」
「——その時私は『なるほど。悪人の味方をするなど、そんな立場では喋れないというわけか』と断定し、イジメ側を完全に悪者にします。つまり逃げを打とうと無駄だという事です」
「——しかし極まれに図々しい者がいて、何も考えていないのか、イジメを行っているにも関わらず、『イジメ撲滅論の立場に立たせてくれ』と求めてくる事がある。論破するだとかされるとか、そういうくだらない勝負を私はしていない事に気がつかない。そういう時は敢えて希望通りの立場に立たせ論戦を行い、私は故意に負ける。そうしてやはりイジメ側を完全な悪者にする」
「——要は『ディベート』はあくまで目的達成の手段に過ぎず、私がするのは〝政治〟です。善悪二元論ほど強い言論はありません。イジメを実行中の当事者以外、悪者の側に積極的につこうという生徒はいない。かくしてクラス内世論が決定的となり、多数対少数が逆転する」
「——この時イジメグループの中核どもは初めて悟るわけです。『多数に攻撃される気分』というものが理解できる」
「——イジメという行為を無くそうと思っても、『命の重さ』や『人権』だけでその目標を達成できないのはもはや明らかです。残念ながらイジメをする者には同じ痛みを与えなければ決してイジメという行為をやめる事は無い。人間とは絶望だと、私は生徒達に教えられました」
「——このように『イジメをする者は悪者』、こうしたクラス内世論の形成に成功したなら、表面上いったんは私は様子を見つつ、頻繁に〝新たなイジメの被害者〟にイジメが継続しているかどうかを確認し続ける」
「——イジメが止んでいたら私は敢えてそれ以上は突っ込まない。私なりの仏心と言える。これは決して珍しくない事ですが、教師の中には『イジメられた者とイジメた側とを握手させ和解させよう』などというくだらない事をやる者がいる。和解など不要。そもそも和解などできるわけがない。人間とは分断状態こそが正常なのだ。イジメ側に〝多数派から攻撃される〟という恐怖を与え、二度と再び同じ事ができないよう脅えさせればそれで十二分に目的は達成です」
「——ただ、究極の極悪人というのはいて、それでもイジメをやめない者が極々少数だが存在する場合がある。この時になって初めて地道に集めていたイジメの証拠や証言が役に立つ。種々のイジメの証拠を皆の見ている前で突きつける。クラス中の前で『お前は悪者だ。悪人だという事を認めろ』と面罵します」
「——ここで念のために言っておきますと、私が〝教師〟という立場を使い子ども相手に無双し圧倒的な力で君臨したなどと思われたら心外です。そもそも中学生、それも三年くらいになると体格もいい者はいいですからね、そんなの3人が腕力勝負を挑んで来た場合普通に負けます。下手をすれば殺害される恐れもある」
(『殺害』って……)とただあっけにとられるだけのかたな(刀)。
「——だから私は常に防刃チョッキを着ているんですよ、皆さん気分を害するかもしれませんが今も着用中です。またここにアタッシュケースとも言うべき鞄が置いてあります。これ、〝盾〟のつもりなんですよ、防刃盾です。気休めっぽいですが。教師時代は常に出席簿を手にしたまま喋っていました。あれはけっこう表紙が頑丈でしてね、しかもタブレット端末より軽く取り回しやすい。私はそれなりの覚悟をしてイジメをする者達と対峙しているという事です」
「——こうして『悪対正義』の構図に持ち込んだ以上、常識的に言って勝つのは私の筈でした」
(ハズでした?)かたな(刀)は語尾の部分だけを反芻した。
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