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第二百八十七話【仏暁信晴の中学校教師時代・成功編(その1)】」への応援コメント


  • 編集済

    ここは植民地経営みたいな分割統治の手法でしょうか?
    スローガンよりもアクションが大切ですね。

    作者からの返信

     話しは少し長くなります。
     これはあくまで個人的経験に基づくものですが、『学校のクラス』というのは、どのクラスも〝自然に分割状態になっていた〟と記憶しています。
     具体的にいうと、学校へ登校し口をきく相手は決まった範囲の相手ばかり。他は他でグループを作っていて、口をきいたことも無いクラスメート(男子でも)もいたりする。

     現在『陽キャ』という造語が存在していますけど、昔であっても事情はあまり変わっていないように思えます。いくつかできたグループの中に、いつの間にか〝クラスの中心みたいなもの〟になっている集団が、確かにいました。

     良くも悪くもこうした連中のまき散らす雰囲気がそのままクラスの雰囲気になっていました。つまりこの中心連中を上手くコントロールできればクラスの雰囲気を自在に操れる理屈になります。

     〝今考えれば〟の後知恵ですが、小五・小六時のクラス担任がこの手法を使っていたように思えます。当時のクラスの中心連中が(たまたまだろうけども)授業中積極的に手を上げハキハキと発表するような、いわゆる陽キャで且つ比較的勉強のできる者たちでした。だから担任がこの連中を優遇するとクラスの雰囲気が『勉強がんばらないと!』になります。事実なりました。

     ただ後で知った事ですが、勉強の比較的できない子の母親の中に『あの先生はえこひいきをする』と、毛嫌いする者がいたという話しです。

     とまれ、この陽キャたち、極悪なことはしないので、自身が在籍した他のクラスと比べてもこのクラス、比較的よくまとまっていたように思えます。ちなみに、この自分はハキハキと発表するようなタイプの人間ではなかったため陽キャグループには入っていませんでした。残念。

     しかし『良いクラスか悪いクラスか?』と訊かれたなら間違いなく『良いクラスだった』と言えるかと思います。

     これが思い出され、本エピソードに反映されています。ただ、仏暁信晴氏の場合は手法は同じでも〝優遇〟とは真逆のアプローチです。当時の小五・小六時の担任が、ろくでなしグループが中心連中になっているクラスの担任になったならどうしていたろうと、ふと思いました。

  • いやあ面白いです。

    イジメをCaseのCでしか見れない者と
    CircumstanceのCで見られる者は決定的に知能の差があり相容れないとどこかで読んだような。
    多くの俗なスポットニュースは前者ですね。

    刀ちゃんは名前だけで凛とした眉と鼻筋が想像されなかなか頼もしく美しくあります。

    作者からの返信

    『面白い』と言って頂きありがとうございます。

    ココの部分はいわゆる〝前フリ〟なんですが、ここを描かないと当パート主人公と天狗騨記者との接点が無くなってしまうので、筋(一応そこは意識している)が成り立たなくなってしまうのです。

    そんなわけで正直『ココ、どんなもんだろう?』と思っていた訳ですが、書いた甲斐がありました。