第二百八十六話【人心コントロールの戦術家 仏暁信晴『関ヶ原の戦い』を語る】

「私、仏暁信晴は現在、『思想家』を自称していますが、実のところ〝理想を熱っぽく他者に語る〟というよりは、その理想をどうやったら実現できるか、そうした『戦術』の方に思考の重点を置き、そしてこれまで実行してきました」


「——『戦術』である以上、『兵は詭道きどうなり』です。イジメ問題について私は、イジメの無い状態をまず〝理想〟と定義し、〝理想的な手段〟を採る事を二の次、三の次としました」


 次第に話しに引き込まれていくかたな(刀)。直接的ないじめを受けた事こそ無かったが〝学校〟というところではどの時代でも孤立気味。結局のところ就職試験に失敗してしまったのもそうした〝資質〟のせいだと思ってしまっている。


「——人間というのは面白いもので、敵だと思っている人間から攻撃を受けた場合と、味方だと思っていた人間から攻撃を受けた場合とでは、持ってしまう感情が雲泥の差となります」


「——もちろん、他者から攻撃を受ければ怒りや憎しみが沸くのは当然です。しかしその他者が〝味方だと思っていた人間〟だった場合、その怒りや憎しみが数十倍、数百倍にもなる。それが人間です」


「——例えばです、かの『関ヶ原の戦い』における大谷吉継隊の奮戦ぶりです。ちなみに、私の好きな武将です」


「——皆さんも周知の通り、兵力およそ1万から1万5千とも言われる小早川秀秋の部隊が裏切り、その大谷隊に攻めかかるわけですが、その大谷隊の兵力は多く見積もってもおよそ2千。にも関わらず大谷隊は小早川隊を一時いっときとは言えという事です」


「——部隊を率いていた大谷吉継が、独り激高してもこうはならないわけで、これは2千人全体が怒りに燃えたからこそです。そのエネルギー源はとみるのが妥当でしょう。普通〝1万VS2千〟なら、2千の側があっという間に潰走です」


「——結局大谷隊が壊滅したのは小早川隊以外の部隊、脇坂隊などの諸将が次々連鎖的に寝返りをうち、周囲から大谷隊に襲いかかった後の事なのです」


 ここで仏曉はワンポイント的に間を取る。



「——『関ヶ原』の話しを今少し続けましょう。今度は東軍視点です。つまり徳川家康の視点。なぜ彼は勝ったのか? からです」


「——これは何も小早川秀秋に限りません。徳川家康がいわゆる『豊臣恩顧の大名』という一団を率いて関ヶ原の戦いを戦っていたのも、敵を分断させ仲間同士で殺し合うように仕向けた、とも言える。現に関ヶ原という戦場において、東軍の最前線で西軍相手に血を流し戦っていたのはその豊臣恩顧の大名達でした」


「——この時の徳川家康のやり口は、老獪ろうかいとは言われても、爽快そうかいさを欠く。現に徳川家康は織田信長や豊臣秀吉に比べるとそのイメージは〝陰〟で、人気も一段落ちる。しかし結果的に江戸250年の泰平という理想は実現できた」


「——私は〝このやり口〟をイジメ問題解決に応用しました。イジメ問題解決のために『人の命の重さ』だとか『人権教育』だとかいった理想を説く事などしようともしなかった。目的達成の手段とはしてもそれそのものを目的とはしなかった。そういう意味で私は石田三成的ではない。だが私は結果を出しました」


(上手い、)かたな(刀)は舌を巻いた。


(ここにいるのは年寄りばかり。自分の話しに引き込むのに〝歴史の話し〟ほど適切な切り口はない。しかも誰でも知ってる『関ヶ原』。極右なんて言っても、間違いなく最初からドン引きされるような事は言わない——)


「——というのもイジメの構造は『1対複数』。複数である以上、分断は必ずできた」仏曉は断言した。

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