第二百八十二話【『演説』には魂込めて・実践編】

「しかたないな、もう……」と言いながら伯父遠山公羽と入れ違いに重い足を引きずりかたな(刀)は演台へ。入れ違いにそこから降りた遠山公羽は今までかたな(刀)が座っていた席にどかりと腰を下ろした。

(よりにもよって伯父さん、真っ正面に座るのか)という感想以外持ち得ない。


 最前列に気を取られ、終始下がり気味の視線を上にあげれば、

(うわぁみんなこちらを見ている。たったこれだけなのにどうしたこと?)と早くもかたな(刀)の動悸は速くなる。手渡された紙に目を落とす。

(どうせわたしの書いた文じゃない)と思い、

 始める。

「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。我々の愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか——」


「……刀、」

「なんでしょう?」

「儂の話しを聞いていなかったのか? 棒読みになっとる。そら、書かれた通りに読んでいるだけで演説じゃなくてただの朗読じゃ」

「……ハイ」

「もうよい、次、仏暁君」


 なぜか仏暁が二番目の指名だった。かたな(刀)は演台を降りる。仏曉が立ち上がる。遠山公羽は空いた仏暁の席に移動。かたな(刀)は元の自分の席へと着席する。


(よほど近くから観察したいらしい)と隣の席の伯父をチラ見するかたな(刀)。

(前二人の素人ぶりをみんなに見せつけた後で本命登場!、っていうシナリオだと思ったんだけどな)と不可思議に思う。彼女が〝本命〟と目している男仏暁が登壇。演台でゆっくり紙に目を落とす。


「では……。生命尊重のみで、魂は死んでもいいのでしょうか? 生命以上の価値なくして何の軍隊と言うのでしょう。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せる! それは自由でも民主主義でもありません。日本です! 我々の愛する歴史と伝統の国、日本ですっ‼ これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ人間はどこにもいないというのでしょうか」


「……どうもお上品に気どっておるというのか……」

「しかし抑揚はつけたつもりですが」

「仏暁君、」

「はい」

「他人の原稿では〝調〟にはならないか?」

「そうですね、これは、純朴なる愛国者のことばです。私のことばは、どちらかというと『汚い』ですから」

 仏曉は意味深な返答をした後、演台を降りた。


「では次。野々原君」遠山公羽がその名を呼ぶと野々原はドカドカとやかましく床を踏みならし登壇。遠山公羽は今度は野々原の座っていた席へと移動、仏暁は元の席に座る。

 

 演台の野々原が始める。

「ハイ!、生命尊重のみで魂は死んでもいいのかぁっ! 生命以上の価値なくして何の軍隊でぇっ。今こそ俺たちは生命尊重以上の価値の所在をお前らの目に見せてやるぜ! それは自由でも民主主義でもねぇっ。日本だっ。俺らの愛する歴史と伝統の国、日本だぁっ! これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいねーのかっっっっ‼」


 これには思わず(?)場内に拍手が響いてしまう。しかし遠山公羽——

「どうも何というのか……怒鳴ってるだけというか、ガラが悪いの」


 ぷ、

 その言葉にかたな(刀)は思わず吹き出してしまった。


(あ!)

 次の瞬間野々原と目が合ってしまったかたな(刀)。

(しまった!)

 しかしそれは杞憂だった。ごく僅かのタイムラグで会場中からドッと笑い声がしたからだ。野々原自身もここは笑うしかなくなる。その笑い声が収まりつつあるタイミングで遠山公羽がパイプ椅子から立ち上がり話しを始める。


「なぜこんなことをしたかと言えば、演説である以上は聞き手を飽きさせない工夫が必要だということじゃ。こいつは存外難しい。平板に喋っとると聞いとる方に睡魔が襲ってくる。儂ゃあ不得手なんじゃ」


 結局のところ〝誰が一番優れていたか〟について、遠山公羽からは一切の言及は無かった。

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