第二百八十一話【『演説』には魂込めて】

 かたな(刀)が彼女の本籍地の片田舎、彼女の伯父遠山公羽の家に来てしまってから三日目、その伯父の思いつきに翻弄されるがまま今日という日を迎えた。

 昼過ぎ、またしてもかたな(刀)は件の軽トラに乗せられ件のプレハブ小屋へと向かって移動中。運転するは遠山公羽。途中野々原を拾い、またも荷台の上へ。もはや〝相変わらず状態〟となってしまったこの三人のこの三様な取り合わせ。


 野々原と顔を合わせた時かたな(刀)は思った。

(ガラ悪ってば無駄口もきかない。緊張しているのかな?)


 スローペースでしかし軽やかにに走っていく軽トラ。じきに例のプレハブ小屋がかたな(刀)の視界に入ってくる。その前の空き地はなんとまたも満車状態。

(昨日と同じに見える……)


 プレハブ小屋の中に入ってまたびっくりするかたな(刀)。

(なんと昨日と同じくらいの数の人でみっしり埋まってる! どうしてここまで動員できるの? 誰も呆れないの?)と、同時に(こんなにたくさんの前で喋るのか)と気鬱になる。心の内ではけっこう毒舌だが生来どちらかといえば内気な方である。

 この後かたな(刀)は伯父の命により書いたものを読み上げる羽目になっている。

「ボンジュール、マドモアゼル遠山」

(うえっ! ヒョロ長)

 仏暁が既に来ていて昨日と同じく最前列に陣取っている。軽く右手を振っている。

(緊張のあまり〝ドゥ・シュヴォ〟とかいうおんぼろ外車が駐まっているのにも気づかなかった)自身が平常心を失っている事に今さらながら気づくかたな(刀)。

 ここで突然野々原が上着のポケットから折りたたまれた紙片を取り出した。それを横目で確認するかたな(刀)。ホチキスで何枚か止めているのが目に入った。

(課題だとか宿題だとかいかにもすっぽかしそうなこのガラ悪がまともに演説用原稿を仕上げてきたというの? 昨日の啖呵は伊達じゃなかったってこと?)


 かたな(刀)、仏暁、野々原の三人の席はやはり三人並んで演台正面、ここがすっかり指定席。やはり昨日と同じくかたな(刀)と野々原が仏暁を挟みそれぞれ席に着く。

 それを待ちまるで計ったかのように遠山公羽がこのプレハブ小屋の中に入ってきた。わざわざ外で時間を潰して一番最後に真打ち登場——、のつもりのようであった。それに応える聴衆も聴衆で拍手喝采。

「よっ、遠山翁っ」の声も飛ぶ。


(同じ車に乗ってここに来たってのにね)と、心の目が半眼なかたな(刀)。


 登壇する遠山公羽。すっかり〝大物は一番最後に来る〟のノリ。〝バン〟と大きな音を立て、平鞄をいさささか乱暴に演台の上へと置いた。バチ・バチンと平鞄の留め金を外していく。この僅かの間に仏暁が独り言のように語りかけた。

「これから楽しそうな舞台劇が始まりますね」と。

 しかし、

(演劇じゃないでしょ)とかたな(刀)。しかしいつもの調子で〝思うだけ〟。口には出さない。一方野々原の方もまるで無反応であった。



 遠山公羽、取り出したる原稿の如きものを手元に第一声。

「団体を造るに当たり必要なものはその団体が発する共感力と共鳴力よ。である以上は、代表は演説の妙手でなくてはならん」と堂々自論を述べた。


「——そこで、よ。これを諸君ら候補者三名にに読んでもらいたい」と言って手にした数枚の紙片をばさばさと振ってみせた。「実は昨晩『原稿』でふと思いついたことがある」


(〝思いつき〟って自分の口で言うのかーっっ!)と心の内で突っ込みをやってしまうかたな(刀)。


「書いたものはいくら立派でも棒読みはいかんの。棒読みはな」と他人の内心つゆ知らず、マイペースで進行し続けていく遠山公羽。

「そ・こ・で・じゃ」と妙な区切りを入れながら演台上から、かたな(刀)、仏暁、野々原の順にA4のペーパーを手渡していった。

「ほぅ」と、受け取ったペーパーを手に仏暁が大げさな声を出す。かたな(刀)も受け取らされたその紙に目を落とす。そこにはなんと書かれていたのか?



【生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。我々の愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。】



「これはみ——」と仏暁が言いかけたのを即座に遠山公羽が左手を突き出し制止する。そして言う。

「刀、野々原君それが何だか分かるか?」

 かたな(刀)と野々原、両者ともに返答に詰まる。

「やれやれ」と遠山公羽は言い、「——この外国かぶれの御仁に負けておるようだ」と結論づけた。むろんその『外国かぶれ』とは仏暁の事である。そうしたやり取りの完了を見計らい、仏暁は言った。

「三島由紀夫ですね」と。


「その通り。これは自衛隊市ヶ谷駐屯地、割腹自殺直前の三島の魂の叫び、檄文の一部よ。儂の大のお気に入りじゃ」遠山公羽は言った。


「これを我々が読み上げることにどういう意味があるのでしょうか?」仏暁が尋ねる。


「これほどの檄文でも呼びかけた相手は誰一人動かなかった。それを承知でなお言うが、これを他人の魂を揺さぶるように演説化して読んでもらいたい。意味が変わらなければ多少の言い換えも構わない。要は自分らしく演説せよということじゃ」


(わたしも、ガラ悪も、ヒョロ長も、まるで互いの様子を窺うような——)

 かたな(刀)が思っているままに、しばらくの間静寂の時が続く。それを破る口火を切ったのは仏暁——。

「誰からいきますか?」


「そうさな、刀、お前から行け」と遠山公羽。


「わたし⁈」とかたな(刀)は自分を指さした。その声は裏返っており口火を切った仏暁の方へは振られはしなかった。

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