第二百七十一話【元女子大生な落ち武者?】

 時は三月。

「ハアアアアアァァァァァ失敗しちゃったぁ……」と大きな大きなひとり言。しかしそのひとり言を聞いた者は周囲にはいない。


(でるのはため息ばかり。そのため息も白くなる……と思うけどマスクしているから分からない。に、してもなんのために大学出たんだろう……。あの勉強漬けの日々はなんだったんだろう。この大学……いやもう関係なくなっちゃったからあの大学だけど、に入るためにも相当苦労した。あの勉強漬けの日々は高校時代、その前の中学時代、さらにその前の小学校時代から延々続いてきたというのに。『時間を返せ!』なんてやぼな事は言わない。勉強ができることはそれなりに楽しかったから。それなりに楽しい日々だったから。なのになぜ……)


 そんなことを考えながら一人の少女、のようにしか見えないが〝〟が、いかにも田舎という風景の中の、ザ・田舎道とも言うべき田舎道を、これ以上はないというくらい重い重い足取りで歩いている。その様はまるで落ち武者のよう。彼方後ろから車の音が微かに聞こえ始めてきた。

 ブロンロンロンロンロンロンロン——


(うわぁボロっちぃくるまだなぁ。田舎だからこんなのが走ってるのかな)


 しかしそこは腐っても日本、田舎道でもきれいに舗装はされている。田舎道だから遅く走っているというより、生まれつき遅そうな車は、腐った黄色のような色をしたその車は、それでも車だから易々と元女子大生を追い抜かしていった。白い煙を排ガス管から吐き出しながら。


(これから田舎暮らし、といってもここが本籍地になってるから出身地みたいなものではあるけれど、それがとうとう始まるんだなぁというのを実感するなぁ……)


 彼女の名前は遠山刀。読みは『とうやま・かたな』という。もちろん誰も読めない。注意深くない人間から『遠山力(とうやま・りき)』なんて呼ばれて男と勘違いされたりするのも一度や二度ではない。その都度彼女は「わたしは女子なんですっ!」とアピールする羽目に陥りその都度こう思う。

(本当に文字をよく見て欲しい。でも文字を間違えられなくても『とうやま・とう』なんて呼ばれてしまったりする。わたし日本刀のブランドなのっ⁉)


(女の子の名前で一番下に『な』の字がつく名前がある。『奈』とか『菜』なんてのが一般的じゃないかなと思う。それなら『刀』の最後の文字は『な』だからこれもありなんじゃないかとわたしの父が名付けてしまったのだが、だけどかなり無理のある名前。漢字で書けない。仕方ないから今まで友だちやらクラスメート相手にはひらがな+一文字漢字の〝かた菜〟で通してきた)


(だけどエントリーシートは本名で書かなくちゃだし、漢字で書くとたいてい面接官の過半数がこの名前にまず反応する。わたしの名前にこんな文字使って‼)


(だけどわたしが遂に就活に失敗したことをこの名前のせいにできるはずもない。わたしは田舎に逆戻り。それも高校卒業して出発した時よりさらに田舎に逆戻るなんて……。父の兄弟の長男、本家の伯父さんの世話になるのだからそれも仕方ない——)


(もう一回だけど、だけどチャンスがあれば生かせるのかなぁ。やっぱりダメなのかな。でもわたしは運の良い方なんだろう。非正規雇用をやらずに済む。〝派遣〟なんかもわたしの人生に関係のないことばで済んでしまいそう————)


(ただし、わたしにが勤まれば……だけど。取り敢えず生活に困ることはないから——)


(でもわたしは〝結婚相手〟としてんだろうか……)


 などなどと、かたな(刀)の思考はひたすらネガティブモード。てくてく、てくてく。ひたすら、もはや市道だか私道だか分からないような曖昧な道を道なりに歩き続けている。というのもこの辺り、道が不自然にぐにゃぐにゃぐにゃと曲がっているのである。


 かたな(刀)が歩く道の左手には山々が間近に迫っている。しかし右手の方はさほどの圧迫感もなく山里以上盆地以下といった風情。中途半端に広い半開きな山間部。

(雪が無いのが幸いかな。空気はまだ寒々としていてテレビの中のどこかでは桜が咲いていたけど、ここはまだまだの田舎道。花粉症持ちにはつらい季節に場所だなぁ……)


 そんな事を思いつつ、かたな(刀)は道なりに進んで進んで、迷いようもない一本道をひたすら進んでいくと、これまた途方もなく年季の入った平屋建てのプレハブ小屋が見えた。工事現場の事務所か、はたまた昔の選挙事務所なのか、いかにも〝仮設〟といった風情の建物だった。仮設なのにもかかわらずここに建ち続けて幾年といった風情ですすけている。壁には幾筋もの茶色い筋が。その壁に五、六本の配線または配管とメーターが貼り付いているのが見えていた。


 かたな(刀)は今一度確認しようと思い立ちコートのポケットから手書きの地図を取り出し目を落とす。目的の場所は確かにここらしい。


(まさかここに住まわせるんじゃないでしょうね……)


 彼女は『ここに寄ってから自宅の方に行くように』との言づてを、彼女の伯父から預かっていた。建物には無駄に大きな板きれ、看板にしか見えないものが掛かっている。


(あっ!)と、かたな(刀)は心の中で驚いた。


(さっきわたしを追い抜いていった車。ボロ車。そこに人!)

 上背は優に百九十センチを越しているかという、それでいて横幅のまるで無い電柱のように背の高い男がそのボロそうな車に寄っかかっていた。

(なに、あのヒョロ長いの。こんな人気ひとけのないところで……)


(距離をとり身構えざるを得ない。身に危険を感じなくもない——)


 幸いにして(?)看板に書かれた文字は無駄に大きかった。だから、かたな(刀)には遠くからでも何が書いてあるかが読めた。その看板にはこうあった。

 墨書で『玄洋舎』と。


(指示された目的地は確かにここだ)

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