第二百六十六話【日本人最大の弱点】

 応談室から出て自分の席に戻ろうとする天狗騨記者。その席に勝手に腰掛けている者がいる。


「なんであんたがそこに座ってる⁉」


「シャカイ部にハ君の居場所は無イ、と聞いてイルガ」

 むろんこの喋りはリベラルアメリカ人支局長。だが天狗騨は当人に尋ね返す事など無く、隣席に座る中道キャップに訊いた。


「キャップ、いったいいつから私の席が占拠されてるんですか?」


 中道はキーボードを叩く手を止めると、

「お前が応談室の中に入ってすぐだが、」と返事をした。


(この絶妙のタイミング、ウチの部長と何事か打ち合わせ済みという事か)

「ここはよっぽど〝入りやすい〟場所のようですね?」嫌味混じりに天狗騨は言った。

 〝ここ〟とはもちろん社会部フロアの事である。リベラルアメリカ人支局長に限らず、すっかり部外者だろうと立ち入りお構いなしのフリースペース状態になっている。


「用も無ク来ルと思うカ? ワザワザ資料ヲ持って来テやったノダ」そう言いながらリベラルアメリカ人支局長は塩ビ製のブリーフケースをずい、と掲げてみせた。


「中身はなんです?」


「留学のタメノ書類一式ダ。ただシ全て英文だガナ」


「そりゃ解読に時間が掛かりそうですね」と口にする天狗騨。してその内心は(これはどんな嫌がらせだ)


「しかシ、固有名詞はスグニ解る筈ダ」

 そう言われ天狗騨は自身の机の傍まで来た。リベラルアメリカ人支局長からブリーフケースを押しつけられるように手渡される。椅子はその彼が占拠してしまっているため天狗騨は立ったまま。

 ブリーフケースを机の上に置き留め具をパチっと外すと中身の書類はことば通り全部英文のようだった。

(先が思いやられるな)とウンザリする天狗騨。ウンザリしながらも書類の束を取り出す。

 一枚目の書類上端部にある紋章のような図柄のすぐ下にある大学名を示す固有名詞、リベラルアメリカ人支局長が言った通り一瞬でそれは解読できた。

 この件については既に社会部長から示唆はされていたものの(本当にこう来るか?)と思うしかない。


「これデ君と私とハ『同級生』と言うワケダナ」とリベラルアメリカ人支局長は口にした。


(つまりは、この男が〝筋書き〟を書いたというわけか?)しかし天狗騨、その内心をおくびにも出さず、すっとぼけた返答をしてみせる。

「いや、あなたは既に卒業しているだろうから、言うなら『同窓生』の方じゃないですかね」


「オー、そうカ。『同級生』と『同窓生』にハ微妙な意味ノ違イがあるノダナ。外国語とイウのはやはり慣れナイものダ」


「まああなたの場合はかなりの〝日本語の使い手〟だとは思いますよ」


「お褒めニ預カリ光栄だナ、テングダクン、シカシよもやトハ思うガ私がでキテいるノニ、『英会話に不案内だカラ、アメリカ行きニ気ガ進まナイ』とカ言い出シタリしないダロウネ?」


(〝天狗騨君?〟 今までこの男、俺の名をこう呼んだ事は無かったような。そういえば〝キミ〟と呼ばわりもこれまで無かったような気がする。もっとも会社という場所での『キミキミ呼ばわり・クン呼ばわり』は上司が部下を呼ぶときの呼び方だが)

「ええ、正直英会話というのは苦手ですね」と天狗騨は真っ正面から挑発を受け止め口にした。


「ソウカ、それナラ大丈夫ダ。行けバ喋るシカなくナル。〝気ガ進まナイ〟理由が『ハーバードでないカラ』だっタラどうしヨウカと思っテイタところダガ」


(これについてのツッコミは一切無しか)〝これ〟とはむろん〝英会話〟云々。

「別に『ハーバード』に行こうと思った事もありませんがね。しかしこの大学もアイビーリーグの一つではないですか、」そう言いながら天狗騨は手にした書類の束を軽く振った。そうして続けた。「——私はこういう〝旨い話には必ずウラがある〟とつい考えてしまうタチでしてね」


「『旨イ話』と言っテ貰えるトハ光栄ダ。君ノ場合、カリフォルニアとは極めて相性が悪イと思っテネ、ヨッテ必然『東部の大学』ニなる他ナイ」


(『排日移民法』がカリフォルニア州発端である事を散々こき下ろした事を忘れてないらしい)しかし天狗騨もそれについては一切ツッコミをしない。

「はぐらかさずに教えて貰いたい。初対面で私は良い印象は与えなかった筈だ」


「この話シに裏も表も無イ。日本政府が中国国家主席集鑫兵ヲ国賓トシテ招待などするカラダ。これデ早急に『日本人でまともニ話しのデキル民間人が要ル』事にナッタ」


(まとも?)天狗騨は〝まとも〟などと周囲から言われた経験など無い。

「あなたは私がまともに見えるんですか?」天狗騨が訊いた。


「それヲ自分の口デ言ウカ? どんな〝ジョーク〟ダ?」


「あなたこそジョークを言っているのでは?」


「簡単な事ダ。他ガまともジャないカラ君ガまともニ見エル」


「『他』ってのは誰の事を言っているんです?」


「我々ハ日本の有力者タチが何ヲ言っタカ、逐一記録しテイル。日本の経済団体のトップはこう言っタナ。『日本、世界は中国なしではやっていけない』、マタあるいハ『協調と競争を使い分けなければならない』トモ。十年前に言っタナラまだ許せるガ、これヲ今言ウとはナ」


(これはまずいんじゃないのか?)天狗騨は直感した。リベラルアメリカ人支局長は続ける。

「——日本のエスタブリッシュメントらハ、まともに物事ヲ理解スル能力に欠けテイルようダ。競争トハまともにルールを守レル者との間ニだけ成立スル。まともにルールを守ラナイ者ト協調などデキルノカ? 『中国なしではやっていけない』トハ笑わセル。デハ『アメリカなしでやっていける』ト考えテイルのだロウカ?」


「なるほど、解りました。中国人と同様、アメリカ人もまた『日本人最大の弱点』を理解しそこを衝こうと、そのための〝優遇〟が今回の私に対する措置ですか」


「『日本人最大の弱点ヲ衝ク』とハ人聞きの悪イ。何ヲ言われテイルか解らナイノデ説明ヲ求めタイガ」


(なんともわざとらしい)と天狗騨は思った。

「あなたは先ほど私が〝日本人の英語力〟の話しをしたらすぐに『行けば喋るしかなくなる』と返してきました。よって少なくともあなたは英語力については〝決定的な弱点〟だとは思ってはいない筈です。ズバリ言いますが欲しいのは『アメリカの代弁者』ですね」


「オー、ナンとも説明不足ダ。アメリカの代弁ヲしタラそれガ日本人の弱点ダト言うノカ?」


「アメリカだけじゃないから弱点なんですよ。言いたかないですが、日本人はアメリカ人と関わればアメリカの代弁者になるし、中国人と関われば中国の代弁者になるし、ロシア人と関わればロシアの代弁者になり、韓国人と関われば韓国の代弁者となってしまう。その昔には北朝鮮人と関わり北朝鮮の代弁者と成り果てた政党すらあって、拉致問題確定以降党を滅亡させてしまった実例さえある!」


「なんトモ懐かシイ感覚ダナ、テングダクン。このシャカイブで丁々発止やり合っタ過去ヲ思い出スじゃナイカ」


「冗談じゃない思い出ですよ。あの日遂に終電にも乗れずじまいで会社に泊まる羽目になったんですが」


「しかシ、あの時ニ比べレバ我々ハ建設的な議論ヲしテイルのではナイカ?」


「さあ。微妙なところだと思いますが」


「ダガそれハ多カれ少ナカれ、どの国ノ人間ニモ当てハマルのではナイカネ?」


「外国の方の場合、日本の立場を代弁してもせいぜい『アニメ』程度でしょう。だが日本人の場合『相手の立場まるごと』代弁してしまう。これが日本人最大の弱点です。私は中国国家主席集鑫兵が国賓訪日をした時皇居まで取材に行って集まっていた中国人達といくらか会話を交わしましたが、受けた印象はあなたから受けたものとほとんど変わらなかった」


「それハ言わレテ実ニがスルガ」


「あなたも、皇居に集まっていた中国人達も、日本語は堪能だ。だが日本語で喋っていても喋る中身がアメリカ人、中国人の価値観のまんまだ。じゃあ翻って日本人はどうなんだと考えた場合、英語が喋れるとアメリカ人の立場になってしまうし、中国語が喋れると中国人の立場になってしまう。特に〝知識人〟と呼ばれる連中はこのタイプばかりだ」


「それハあくマデ一部ダロウ」


「日本人には『おもてなしの心』とかいう心があるという事になっています。これは〝相手の立場をおもんぱかる心〟であると。日本人同士では〝おもんぱかっている〟のかどうかは怪しいものの、外国人相手には愛想がいい傾向は確実にある。これが悪い方向へ出ると外国の代弁者の日本人ができあがる。日本人の性質がこういうものである以上〝一部〟に限定はされないと、私はそう考えていますが」


「その中ニ君モ入るノカ? テングダクン」


「もちろん入りますよ。私も日本人ですから」


 そう天狗騨が言うやリベラルアメリカ人支局長が爆笑を始めてしまった。

「素晴らシク図々しいジョークだナ!」


「はあっ⁉」と天狗騨。実は大真面目に言っていた。

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