第二百六十五話【天狗騨記者、遂に自著を発刊する身となる】

 社会部長の話しはまだ続いている。

「そういう訳で天狗騨、〝アメリカ栄転〟の方はお前にとって『悪いニュース』か『良いニュース』かは分からない。だがもう一方は間違いなく良いニュースだと言える。前にお前が提案した〝リニア問題に関する新書の企画〟、あれが通る事になった」


「本当ですか⁉」と驚く天狗騨記者。


「むろんSZO新聞の静狩記者との共著という事になるだろうが、国立国会図書館に名が残る」


 以前天狗騨は社会部長にこんな提案をしていた。



『実はSZO新聞の静狩記者との対談は紙面に掲載したくらいの量じゃないんです。掲載された分は相当に端折ってます。全体として見たら優に本一冊分くらいになります。あの特集記事の評判が或る程度良いのなら完全版としてASH新聞新書から発行してみてはいかがでしょう? それはSDGsを考える教材になり得るものです。利益が見込めそうならぜひ』と。



「確かあの時、〝殊勝な事〟も言ってたよな?」と社会部長。


「しゅしょう?」と思わず問い返す天狗騨。


「これでも会社員だと、良い意味で保身のための策くらいは用意すると、な」


 確かにそんな事は言った記憶がある。

「よく覚えてましたね」


「俺としては、両方共に〝受けて欲しい〟ところだが」


「つまり考える猶予は頂けないと?」


「そうだ。この場で決断してくれ。ただ、『社命だ』と言いたいところだが、生憎こちら側は反主流派だからな。厳密な意味で社命ではない事は伝えておく」


「確かに名誉な事です。ただ、ひとつだけいいでしょうか?」


「ひとつだけならな」


「もう私は暇ではないというか、端から見て余計な事をしている時間は与えられないんですね」


「そういう事だ。寄り道無しで最短コースで上へ行って貰いたい。俺の直感だがASH新聞社にはもう時間的余裕は数年しかないような気がしている」


 天狗騨は少しだけ考え込み、そして口を開く。

「一般論として大きな組織はなかなか変われないといいます。なぜ今ごろ、というか今回に限ってどうしてそんな事が可能なのでしょうか。まさか私一人の影響力でこの組織が変わったとも思えません」


 社会部長もまた少し考え込んだようだった。言うべきか言うまいか。しかしこちらもまた口を開いた。

「この会社に対するテロだろう」


「テロがきっかけで変わるというのは。まるで〝桜田門外〟ですよ、」

 天狗騨が口にしたそれはもちろん大老井伊直弼が暗殺された『桜田門外の変』である。

「——これで私は果たして〝チャンスだチャンスだ〟と喜んでいいんでしょうか?」


「それは『承諾した』と受け取っていいのかな?」社会部長は訊いた。


「はぐらかさないで下さいよ。なんかこう、スパッといった感じで割り切れないんですよ。テロで死亡した論説委員は私に好意的な人間ではなかったかもしれないですが、人の死が自分の立身出世に繋がっていくってのが」


 しかし社会部長はこう言った。

「厳密にはテロで世の中は変わらない。テロので変わるんだ。天狗騨、今お前は『桜田門外の変』の事を言ったが、幕府視点ではその二十数年前の『大塩平八郎の乱』だってテロだろう。しかし衝撃的な事件であってもこの事件で外様大名達が幕府の政治に口を出せるような事態は起こらないし、公然と幕府に逆らう藩も出て来ない。違うのは事件後の余波だ。なぜ違うかと言えばつまり時代状況が違っていたという事だ」


「これは世の中の方が変わってしまった結果だと?、」


「その通りだ。昭和の赤報隊事件の時とはすっかり変わり果てた世の中に我々はいる。時代状況が違ってくれば自ずと変わらざるを得ない」


「しかし変わりたくない勢力もいるでしょうね」


「それはさしずめ『佐幕』だな」


「不穏な言い方しますね。〝幕府内の守旧派VS改革派の対立レベル〟ではないとなれば、こっちは必然『倒幕』になりますが」


「理屈の上ではそうなる」


「〝改革程度〟では済みそうにありませんか、もはや」


「確実に潰すか潰されるかの闘いになる。それについてはお前のこれまでの体験から既に感づいている筈だ」


(確かに俺の話しに耳を傾けようとした〝上層部〟は論説主幹しかいなかった。しかしその人は既に他へと遁走してしまっている——)天狗騨は思った。

「ですね」と応ずるしかない。あまりにそれは事実だったから。


「だいたい『桜田門外』とか、〝幕末〟持ち出してきたのはお前の方からだぞ、天狗騨」


(そういえば……)と天狗騨はふと思い出した事があった。幕末、物騒を絵に描いたような藩、長州藩はその一方でおよそ友好国とは言えない当時のイギリスへ、密かに留学生を送り出していた事を。

(その連中は行きたがったんだろうなぁ——)と天狗騨は思いを馳せる。(だが俺は——)


 天狗騨は正直なところアメリカへなど行きたくはなかった。なぜなら〝〟を自覚していたから。


 ——しかし返事はこうなった。

「しょうがないです。行くしかありませんか。しかしリニア新書の方は喜んでやらせて頂きます。なにせ国会図書館に名が残るんですから」と天狗騨は承諾した。


「言い方がアレだが、ここまで期待に応えてきたお前だ。これからも頼むぞ」そう言ってポンと軽く天狗騨の肩を社会部長は叩いた。


 しかし天狗騨、(コレ、いわゆる肩叩きって意味じゃないよなぁ)などと思ってしまっていた。

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