第二百六十三話【主流派の逆襲】

 天狗騨記者の特集記事第二弾が紙面に載った五日ほど後、ASH新聞社説が『マイナンバーカード』を取り上げた。

 だがそれは天狗騨からしたら自身の書いた特集記事への意趣返しとしか思えなかった。

 確かに社説のタイトルに『拙速』『乱暴』とあり、一見すると政府のやり口に憤っているように見える。

 だが——


>マイナ保険証を使えば、患者の同意のうえで、過去の健診結果や処方薬の情報を、医師らが参照できるようになる。転職の際の保険証の切り替えも必要なくなるという


 と、社説の中にはこう書いてあったのである。


 天狗騨としては(〝利点〟だと?)と思うのみ。(むしろ〝利点〟など認めてしまったら政府側の策略に落ちたも同じ)とさえ考えていた。


(政府はマイナンバーカードの義務化を謀っている。だが『義務』ということばを使わないでそれをやりたい。なぜなら国民に義務を課すとなれば法案を提出し野党との議論を議会で経た上で議会を通さないとそんなものは実現しないからだ。当然その過程で内閣支持率にも影響を与える。そのためには『利益』ということばを使っておくのがいい。【侵害留保説】という学説では『国民にとって不利益を課す行政の行為には法律の根拠が必要』とする。つまり国民にとって利益があれば法的根拠など必要無く、閣議決定で義務を課せるというわけだ。政治家にそんな知恵があるとも思えない。さては官僚の入れ知恵か?)


 天狗騨は政府側の策略に、論説委員ともあろう者がまんまと、半ば既に乗せられているとしか考えられなかった。


(『我々は国民の皆さんの利益のためにやっています。いいですか、利益です。決して義務なんかじゃない。国民の利益なんですよ』とは政府めふざけやがって。この主張は論理的におかしい。『義務』の対義語は『権利』であり、『利益』の対義語は『損失』だ。『国民が新たな義務を課される事で国民全体が利益を得る』という理屈が成り立つのなら、逆もまた真なりで『国民に新たな権利を与える事で国民全体が損失を被る』という理屈も成り立つことになる! おかしいだろこれは!)


(はっきりしているのはこの詭弁がまかり通った場合、『国民の利益という事にしておけば、法も作らず国民に義務を課すことができる』という独裁国家顔負けの事態となるという事だ。外国に向かっては『法の支配』などと言っておきながらこの詭弁、許せんっ! クソ政府め!)


(だから法的根拠も無しに保険証を使ってのマイナンバーカード義務化を謀る行為を阻止するためには『医療機関にマイナンバーカード保険証顔認証システム導入が義務化されているぞ! 義務を課すんだから立法が必要の筈だろう!』と言わねばならない。〝潰す〟ためには俺の戦術が最適解だろうが!)


(だいたい、ウチの論説が言う利点は本当に利点と言えるのか? マイナ保険証を使えば、患者の同意のうえで、過去の健診結果や処方薬の情報を医師らが参照できるようになると言うが、患者が意識不明の状態で医療機関に担ぎ込まれた場合はどうなる?)


(——患者が意識不明の状態で医療機関に担ぎ込まれた場合、同意のとりようなど無いが、そういう時ほど医師は『過去の健診結果や処方薬の情報を』欲しがるのではないか。だとするなら患者が医療機関に初診でかかる場合、どんな場合でもあらかじめ同意を求めるという事が起こりうる。断れば不利益な扱いを受けるのではないかと、患者サイドの心理的圧迫から、事実上同意せざるを得なくなったりはしないか。患者に精神疾患系の通院歴があるならそれは〝利点〟どころか負担になるのではないか)


(——転職の際の保険証の切り替えが必要なくなるというのも、人によっては〝利点〟どころか不利益だ。健康保険証の番号は事業所ごとに違っている。本来なら自分本人しか知らない筈のこれまでの職歴を他人が公然と見ることになる。世の中には不幸な転職というものがある。パワハラやセクハラやカスハラなど種々のハラスメントで仕事を辞めざるを得ない人々がいる。だが転職歴が多ければ多いほど採用側はそれを〝マイナス〟と評価する。『長続きしない人間だ』と判断するからだ。いったい転職歴はどこまで記録され閲覧状態にされるんだ? これはもう議会という場での議論が必要だろう。事と次第によっては保険証を切り替えた方が逆に利益だという人も出るだろう。きっと


 天狗騨はカッカカッカしていた。

(これは本気で政府の政策を潰そうとしていないポーズだけの主張だ)と。


(この程度のものが載せられるほど向こう側の政治力はまだ健在なのか)とも。


 だが物事の本質を見抜ける者はごく少数だが実在していた。

 それは名古屋市のKT市長であった。マイナンバーカードと保険証を結びつけ、事実上の義務化を謀る政府方針に対し言ってのけた。

 医療記録などの情報が集約されることについては「それほど便利か。医療の中でやればいい」と正面から疑問を呈し、さらには、

「とんでもない。百歩譲っても、」と発言したのである。


 国民に新たな義務を課そうとするのなら、議会の審議を経ての立法化が必要。それが民主主義国家だ、という天狗騨の言い分を名古屋市長が代弁してくれたと言っていい。


(さすがは名古屋、かの徳川宗春を生んだお土地柄だ)と天狗騨は珍しく政治家に感嘆していた。

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