第二百六十一話【政府は閣議決定で国民に義務を負わせる事ができるか? オンライン資格確認・導入義務化問題】

「これだ、」天狗騨記者はようやく自身で納得でき、且つ今の自分の立ち位置でも書けるネタに辿り着いた。その〝投稿メール〟をさっそくプリントアウトする。

 プリンターが吐き出したA4の紙一枚を持って広田広報部長の前に進み出た天狗騨。


 広報部長は意外そうな顔をしながらもその紙片を受け取り、印字された文字を目で追っていく。

「どんなもんでしょうか?」天狗騨は訊いた。


「かなり良いテーマです。問題があるとすれば〝共感力〟がいかほどか、といったところくらいですか」


「私は広田部長の今のことばでかなりの確信を得ました。そこは工夫次第でなんとかできます」天狗騨は言った。


「しかし向こうの部長(社会部長)にもまだ報せてないのでしょう? なぜ私を先に?」


「こちらでお世話になっていますから。そこは当然です」天狗騨は明瞭に言い切った。


 その後社会部長からも天狗騨の選択したテーマにGOサインが出る。かくして数日後、以下の特集記事がASH新聞朝刊に載った。




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【政府は閣議決定で国民に義務を負わせる事ができるか? オンライン資格確認・導入義務化問題】


 議会における審議も経ず、つまり法も作らずに国民に義務を負わせようとする国がある。その中のひとつに、この日本が入っているなどと思う人がどれだけいるだろう? おそらくは思う人の方が少数派であろう。だが残念な事にこの日本はそれらの中に入っている国である。内閣の閣議決定だけで国民に義務を負わせようとしているのだ。

 だがほとんどの人はこれを知らない。なぜならば義務を負わされる国民が極々限られているからだ。しかし我々ジャーナリズムがこれを見逃す事は許されない。


 第一に『義務を負わされる国民は誰か?』という事になる。それは医療機関経営者である。これを聞いた時点で『別に構わないじゃないか』と、途端に関心を失う読者・国民がいる事も想定しつつ、それでも我々ジャーナリズムがこれを見逃す事は許されない。


 第二に『何を義務化するのか?』という事になるが、それは【オンラインで保険資格を確認するための機器の設置を義務づける】というものである。解りやすく言うなら〝ネット回線を使った身分照会システム〟の設置を医療機関に義務づけるというものである。

 つまり誰がいつどこでどんな治療を受けたのかが、ビッグデータとしてどこかに集約される。そうしたシステムの導入を、政府が閣議決定によって医療機関に義務づけたのである。既に厚生労働省は健康保険証を原則廃止する方向で調整に入っている。保険証を廃止した後の事務対応について、マイナンバーカードを基本とするためだ。そのマイナンバーカードと現行の健康保険証の決定的な違いは顔写真の有る無しにある。オンラインで保険資格を確認するための機器には当然


 さて、これで『別に構わないじゃないか』と言ってしまえる読者・国民はかなり少なくなったのではないかと、そう記者は信じる。


 ところで、政府側の言い分はどのようなものであろうか? 取材を申し込んだが残念ながらその回答は『閣議決定という適切な手段で行われたもので、手続き上何らの問題も無いと考えている』の一点張りで『義務化は既に決定事項である』と繰り返すばかりであった。現状〝撤回の意志無し〟と判断するほかない。


 しかし、本当に何の問題も無いと言えるのだろうか? 確かに『国家が行う行政行為の全てに、必ずしも法的根拠は必要無い』という通説はある。とは言え国民の権利や義務に関わる行政行為となると話しは違ってくる筈だ。


 この点について記者が憲法学者に取材をしたところ、以下のような回答が得られた。

『国民の権利義務を行政が一方的に変動させるような権力的な行為については法律の根拠が必要だという【権力留保説】が最近の有力な学説となっている』との事であった。こうした学説が昨今有力となりつつあるのは、『古くからの【侵害留保説】という学説ではあまりに行政のフリーハンドが大きく、〝法律の根拠が必要〟という範囲があまりに狭くなりすぎるから』だという。


 では【侵害留保説】とはどのような学説なのだろうか? 前述の憲法学者に拠ると『国民の権利を制約したり、義務を新たに課したりする場合でも、国民にとって行政の行為には法律の根拠が必要』とする学説だとの事であった。


 つまり国民の権利義務を行政が一方的に変動させるような行為であっても、国民に不利益を課す行為でなければ、法的根拠は要らないという事になる。

 取材の結果、政府は【侵害留保説】を根拠として法制化を伴わず、閣議決定のみで突破は可能と判断した線が濃厚となった。

 『オンライン資格確認は国民に不利益を課さず、それどころか便利にするための行為だから法的根拠は必要無い』とする理論武装で閣議決定という手段を用い義務化を図ったものと推定される。だが本当に国民に不利益を課さないのだろうか?


 まず、直接義務を課される医療機関に不利益は無いのだろうか? さし当たって考えられるのは〝費用〟の問題である。

 確かに、資格確認の端末機である『顔認証機能付きカードリーダー』導入に当たっては、期日までの申し込みによって一台限定で無償提供されるという制度はある。

 しかしこのシステムはオンラインによって機能する。つまり〝通信費〟が新たな固定費として上積みされる。

 医療機関と一口に言っても規模の大小、患者の多寡、といった格差というものは厳然としてある。あらゆる医療機関を十把一絡げというのはかなり無謀な政策と感じる。

 電子カルテ等を導入しネット環境に接続している医療機関の場合は既に〝〟を費用として計上しているため機器の値段がゼロならば新たな負担は生じないと言える。しかし、そうでない医療機関の場合、固定費の負担増となる事は避けられない。


 そうした費用面での問題を差し引いてもそれでも何らかの利益を『オンライン資格確認・導入義務化』は医療機関にもたらすものであろうか?


 政府の主張する、医療機関にとってのメリットは『その場でその健康保険証が有効か否かが分かる』というものである。


 健康保険証とは医療機関受診時に必要となるカードである。交付対象者は事業所で雇用される労働者で、彼らを被保険者としている。医療機関にこのカードを提示する事で受診者が窓口で払う費用は全医療費の3割で済む。

 時に、この健康保険証には事業者ごとに一定の固定番号が振られている。つまり転職などすれば保険証の番号は新たなものとなり、よって前の保険証は使えなくなる。基本退職時には健康保険証は事業所に返還しなければならないが、返還しないまま医療機関を受診するという者は現実にいる。

 また現状の健康保険証は写真付きでないため、外見上の性別、年齢が保険証に記された表示と同じように見えれば、他人の保険証を用いて医療機関を受診する事が可能であるとも言える。顔写真付き保険証で顔認証必須となれば、こうした行為の実行はできなくなる理屈だ。


 しかし、仮に受診希望者が持参した健康保険証が〝使えない保険証である〟と受診前に分かったとして、医療機関に得があるのだろうか? 損害を予め回避できるのだろうか?

 具体的に指摘するのならそれは『診療拒否は可能か?』という事である。むろん医療費の全額、即ち10割分負担をするのなら損害は発生しない。よって当該受診希望者を拒否できる理由は無い。だが使用不能の保険証を医療機関に持って来ている時点でそうした持ち合わせは無いだろうと、こうした前提でこのケースを考える事とする。


 医師法という医師の義務を定めた法律がある。その第19条1項にはこうある。

『診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には正当な事由がなければこれを拒んではならない』

 これを〝応招義務〟という。


 一見、医師の患者に対する義務のように読めるが、厚生労働省医政局長通知は『医師法第19条第1項及び歯科医師法第19条第1項に規定する応招義務は、医師又は歯科医師が国に対して負担する公法上の義務であり、医師又は歯科医師の患者に対する私法上の義務ではないこと』としており、応招義務は医師の国に対する義務であって患者に対する義務ではない事になっている。ただ〝国に対する義務〟といってもこの法律に罰則規定は無い。


 それならば使えない保険証を持って来て且つ10割負担不可能な受診希望者に対しては〝診療拒否〟ができそうなものである。だが、記者としての良心から予め態度を明確にしておかねばならない。この際『法律上の正しさ』など無意味である。よく法律論を振りかざし『俺は正しいお前は間違っている』と主張する論者がいるが、そうした〝論〟は時に社会から受け入れられないものとなる事を、今の段階で指摘しておく必要があると考えた。


 というのも、2000年代になると医療バッシングが激しくなり、『応招義務』は法的性質から離れて解釈されるようになっていく。現時点において下級審判決ではあるものの『医療機関が正当な事由なく診療を拒んだ』として損害賠償請求が認められた事例がある。

 では『診療を拒める正当な事由』とは何か? と言えば『満床です』が思い浮かぶが、一応当該下級審に拠ればだが『緊急対応が必要であるか否か』が判断基準となるようだ。だが医療を受けようと医療機関にやって来る人間は、少なくとも自身では『緊急対応が必要』と信じている事であろう。

 仮に受診希望者が〝保険証無効〟を理由に受診を拒否され、その後死亡した場合などは確実に医療機関の側が悪者となり、バッシングの対象となる事だろう。その時に『法律上の正しさ』を主張してみても(弁護士が言うのだろうが)益々憎しみを買う立場になるのは想像に難くない。やはり『診療を拒む』行為にはリスクがある。


 受診前に健康保険証が有効か無効か分かるというシステムは、ネット回線に接続していない医療機関にとっては通信費という名の固定費の増大から明らかに不利益で、既にネット回線に接続している医療機関であっても、特段なんの利益ももたらさないと言っていいのではないかと考える。これが結論だ。



 では患者側の視点ではどうだろうか? オンラインで保険資格を確認するシステムが医療機関に導入される事で受ける〝利益〟はあるだろうか?

 まず感じるのは〝利益〟というよりは〝漠然とした不安〟ではないだろうか。冒頭部に書いた通り、誰がいつどこでどんな治療を受けたのかが、ビッグデータとしてどこかに集約されると聞いては心中は穏やかではいられない筈だ。具体的にはプライバシーの権利との整合性である。

 例えば18歳未満の女性が〝望まない妊娠〟をした場合が考えられる。その女性が中絶を望んだ場合でも医療機関の受付では保険証をに通さねばならず、そのデータはどこかへと送られる。ここに〝拒否〟という選択肢は無い。

 患者側の視点では、不利益しかもたらさないと結論する他ない。



 以上様々分析してきたが、『オンラインで保険資格を確認するシステムの設置を医療機関に義務づける』という政策は、国にとっては未だ交付率5割を割るマイナンバーカードの普及に寄与し、将来的には国としては便利になるのだろう。(おそらくはこれが目的なのだろう)が、一方で国民にとっては不利益しかもたらさない政策だと言えるのではないか。つまり【侵害留保説】を採っても、閣議決定で義務化をするなど憲法違反なのである。


 もしそれでもなお政府が『オンラインで保険資格を確認するシステムの設置を医療機関に義務づける』政策を正しいとするならば、閣議決定などではなく、法案として議会に提出し、議会を通った法律とすべきである。そうした過程を経れば、正真正銘の義務という事になる。


 最後に、記者が何を問題としているのかを改めて明確にしておきたい。

 これはオンライン資格確認云々の是非を超えたところにある問題である。国民に義務を課す場合には、議会の審議を経た立法が必要だという民主主義の価値観を護るための戦いなのである。『蟻の穴から堤も崩れる』と云う。どんな些細な事でも油断をすれば将来大きな災いを招く。



            ASH新聞社会部 天狗騨誠真(てんぐだ・せいま)

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