第二百六十話【天狗騨記者、『鋼鉄の心臓を持つ男』になってしまう】

(『論理』とか『人権』とか、報道機関が絶対に護らねばならない価値観を一顧だにしない記事がこうも立て続けに載るとは。いったい敵方の〝数〟はどうなっている? それとも社内の要衝が効率よく抑えられているとでもいうのか?)


 もはやこうなってしまうと嫌でも〝社内における政治力〟という見えざる力を、天狗騨記者でも意識せざるを得ない。


(このままでは『悪貨は良貨を駆逐する』の法則が発動してしまう。新聞記事に上下が無いとした時に、読者には〝実質価値の低い記事〟の記憶ばかりが刻まれ、〝実質価値の高い記事〟が載っていてもそっちの方の記憶は無くなってしまう——)



(しかし、それでも——、それでもこっちの武器は〝論理〟しかない——)


(無いのか? 何も無いのか? 何かあるだろう?)

 そう思いながらASH新聞へ寄せられた〝ほとんど抗議メール〟の精読を再開する。ひたすら、ひたすらにディスプレイを睨みつけるように目を通し続ける天狗騨。

 その中に新型コロナワクチン接種後の死亡者数についての投稿を見つけた。『このワクチンはどう考えてもおかしい』と。


(そう言えば……)とすっかり失念していた事を思い出す。


 『ASH新聞論説委員殺害テロ事件』の〝隠された犯行声明文〟の話しを思い出したのである。社会部長の、まったく非公式な話しに拠れば、その内容は『mRNAワクチン接種の結果として心臓の後遺症を抱える事になった』と訴えたもので、犯人は東大に合格しながら今後の人生に絶望していた。犯人から名指しされたのはASHグループ。グループの親会社だと目されてしまったASH新聞社を標的としてテロが決行され、挙げ句テロを正当化する犯行声明文が送りつけられてしまったのである。


 しかもその犯行声明文はどうもASH新聞以外には送りつけられていないらしく、経営判断という、早い話し企業の財務の問題で、ASH新聞は新聞社と言うよりはグループ企業の事実上の親会社という立場を優先した。『テレビASHのmRNAワクチン接種推進報道』を無問題とし続けたいがために、その犯行声明文は未だ公表される事無く存在しないことになっている。


(なんだか、ウチが隠蔽工作をしているようだ。しかしこの場合、テロリストの心の声を世に問う方が公益のためになったりしないか?)


 天狗騨は考える。もし『mRNAワクチン接種後の死亡例及び後遺症例についての記事』を書こうと思ったらどうなるか、を。この際〝絶対にやらせてくれないよなぁ〟という発想が浮かんでこないのがいかにも天狗騨らしい。

(シリーズものになるしかないよなぁ……)


(そう言えば新型コロナワクチン接種後の不審死の数はどれくらいになっているのか……)

 天狗騨が今し方読んだメールの内容は『近しい人がワクチン接種後に無くなった』というものだった

(一番最後に確認したときには1800人ほどだったか……)

 今の〝実数〟など頭の中に無い。改めて、あらゆる社会問題に関心を持ち続ける事が非常に難儀である事を自覚する他ない天狗騨。

(どだい新聞記者に、最新鋭のワクチンの欠陥など証明できるわけがない。記者にできる事はひたすら事例と証言を積み上げていく事だけだ——)


(1800人だとしても、これだけの数の遺族の取材に行くとなると1人じゃ無理だ。それこそ俺が本物のキャップになって部下も5人くらい、いや、せめて3人くらいいないとあまりに時間がかかりすぎる——)


 天狗騨には自身に猶予された時間はあまり無い事は理解していた。だから今度の特集記事は1人で書けるものでなければならないし、まして〝シリーズ物でないと掘り下げられない〟など論外なのである。

(リニアは特別すぎたって事か……)


 天狗騨は『このテーマ』は諦めざるを得なかった。しかし何か別のテーマは探さなくてはならない。天狗騨は続きを始める。ひたすら向き合うはパソコンのディスプレイ。


 特段なんの成果も無い日が何日も過ぎていく——さすがの天狗騨もだんだんと焦りが出てくる。



 さて、本人はネタが一向に見つからない事に焦っていたのだが、周囲からの〝見え方〟はまた別物であった。こうして天狗騨が例外無くASH新聞宛に送られた〝ほぼ抗議メール〟を精読し続けている様は、天狗騨のあずかり知らぬところで、新たな『天狗騨伝説』を生み出していたのである。


 自己に向けられた非難や批判、罵詈雑言についても、眉一つ動かさずそれを読み続けていたという、『鋼鉄の心臓を持つ男』として。


 恐るべき男、〝社会部の天狗騨〟の名声(同時に強烈な敵対者も生んでいるが)は、いよいよ確固たるものとなっていく————

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