第二百五十六話【心を病む仕事】

 天狗騨記者は我ながら自身の想像力の無さに呆れていた。

(そうか、俺の事だったのか……)


 ASH新聞のサイトの中に『掲載された記事について、言いたい事があれば受け付けます』という〝ご意見・ご感想どうぞ〟のメールフォームがある。一回に送れる文字数は千文字未満。


 新聞社へと送られてきたそれらのメッセージの全てが〝ファンからのメッセージ〟であるわけがない。

 パソコンの液晶画面上にはメッセージのタイトルのみが時系列順にずらーっと延々縦に並び続けている。それらのうち、けっして少なくない数の——

 

 『天狗騨』『天狗騨』『天狗騨』『天狗騨』『天狗騨』……天狗騨という文字列。

 さらにその中のいくつかには既にタイトルからして『国賊』の文字が躍っている。


(外に妙なデモ隊が毎日来ているのに、ウチに来るメールがこうなっていない筈は無いってもんだよな)天狗騨は思った。


 その中の一番投稿日時が新しいモノをクリックして開けば、ある意味〝反論のしようのないシロモノな文面〟が画面上に展開された。

 ただただ徹底的な悪罵が書き連ねてあるだけで、『かくかくしかじかだからこうなのだ』といった論理がどこにも見当たらない。なので『あなたの言っている事はこの点がおかしい。だから他の結論になるしかない』といった反論が成り立たない。だから、

「これはひどい」と思わず天狗騨の声が漏れた。これは『残虐だ』と言うよりは『中身の無さがひどすぎる』意味であった。



 天狗騨が自分の名前が付いている次をクリックして開く。今度はさっきの物よりは多少はマシなものだった。どこがマシかと言えば一応論理があるところだけ。しかしその論理と来たら経済的視点一辺倒。『リニアこそ日本再復興の切り札だ云々』。他の視点などまるで存在しないかのような物言いであった。ただその論理を装飾する言い回しだけは効いていて一見頭が良さそうに見える。

「なんてタチが悪いんだ」またも思わず天狗騨の声が漏れた。


 天狗騨はリニア中央新幹線建設をそもそも否定していない。ただ『南アルプスルート選択という決断に問題がある』と、〝現行ルート強硬派〟に突きつけただけである。

(何一つ読まず、イメージだけで非難しているのか)



「天狗騨君、そろそろやめておきましょう」突然後ろから声が掛かり天狗騨のマウスを動かす手がピタリ止まった。

「これ以上はメンタルをやられますよ」声の主はもちろん広報部長だった。


 天狗騨はくるりと椅子を回し広報部長の方に身体を向けると、

「これは今日の分のメールなんですよね?」


「正確には昨日の十七時から今の時間までですね」


(しかしそれにしてはけっこうな量がある)天狗騨は思った。

「私の連載など終わってからもうしばらく経ってしまったのに、今でもこんな調子なんですね」


「ちょうど今国会で『リニア問題』の追求がたけなわですからね、そういうのもあるんでしょう」


「正直、どうなんでしょう? ここに寄せられるメールは? 〝不快なメール〟の方が多いんでしょうね?」


「残念ながらその通りです」


「こうしたメールには全て目を通されるんですか?」


「通します」


「立派ですね」率直に天狗騨は言った。


 広報部長はにこやかに笑みを浮かべているが、しかし——

「と思うでしょう? でも必ずしも立派な理由に拠る行為とも言えません」


「〝立派でない理由〟があるんですか?」


 真顔に戻り、広報部長はこう言った。

「『利己のために』という事になりますか」


「よく解りません」


「『赤報隊』と言えば解りやすいですか」


「じゃあこれらの中に脅迫めいたものが?」


「まれにあります。見つけ出せば即座に警察に通報ですが、そのためには全部に目を通さなければならない。しかし全部に目を通すが故にメンタルをやられる者が必ず出ます」


「さっきの話しですね。自分の仕事が否定ばかりされては、自分の存在意義まで自問自答してしまうでしょうね」


 ここでなぜか広報部長はまたも意味深な笑みを浮かべた。そして、

「ところがです、〝メンタルをやられない〟ってのも逆の意味で問題なんです」とそう口にした。


「それは、『』っていう思考に陥っていく、って事ですか?」


 広報部長は満足そうに肯いた。

「さすがは社会部の絶対エース、噂は真実だったという事ですね」


「あっ、いや、」と困惑する天狗騨。


「今のをです、言う相手を間違えると、『社員のメンタルなどやられた方が良いと暴言を吐く上司がいる』という理解のされ方をされてしまいますからね。相手の程度を推測して話しをするというのはどだい無茶な話しです。だから勢い〝低い方〟を前提にして話しをする事になる。かくして迂闊にものが喋れない世の中が出来上がるというわけです」


「この部にいる方ならそんな事は無いでしょう」柄にも無く会社員モードでトークする天狗騨。


「いや、余所の部署の方に知ってもらう事が大切なのです。だからこの仕事に専任はいません。交代制です」


「こういう事は上の方の人は知っているんですか?」


「定期的に上げるレポートの中に入れていますから知っている筈なんですが。何を主張しようと自由ですがせめて言うことをコロコロ変えないで欲しいものです。そうなってくれれば我々の精神的負担も軽くなる筈なのですがね」


「そういう時が一番激しくなりますか?」天狗騨は訊いた。

 これには天狗騨にも心当たりが十二分にある。ASH新聞はキャンペーン報道系の報道で何度もこれをやらかしている。そのもっともひどいものが、かの『慰安婦問題』で、

 『日本軍による強制連行があった』→『日本軍による広義の強制連行があった』→『広義の強制性があった』→『慰安婦がいたこと自体が問題だ』といった具合。〝日本をなぜ非難するのか?〟という理屈がここまでコロコロ変わるのである。

 時代は下って『首相と懇意の学校法人経営者に土地が格安で払い下げられたという問題』だったものがいつの間にか語られなくなり、『公文書が書き替えられたという問題』にすり替わってしまった事もあった。


 だが、

「おっと、少し言い過ぎましたね」と言って広報部長は話しをはぐらかした。しかし天狗騨は切り込んでいく。

「上の方の人がここへ来てメールフォームから来た反応を直接見るという事はありますか?」再び天狗騨が訊いた。


「実に答えにくい、難しい質問ですね」


 もはやこの返答で察するしかない。

「解りました。先ほどは私のメンタルの事をご心配頂きましたが、今の話しを聞いてしまったからには取り敢えずでもしばらくの間は一通り目を通していこうと、そう思います」天狗騨は決断した。

 会話の流れとしては元々天狗騨の方から訊いた事である。『上の連中は現場に降りてくるか?』と。だから理屈の上では〝煽られた・乗せられた〟は無い。天狗騨の動機は専ら(俺があんなの〔上の連中〕といっしょにされてたまるか)、であった。


「そうですか、あまり勧めませんが」そう広報部長は言った。


「ありがとうございます。しかし私は次に任された特集記事の材料を探しにここへ来たわけですから、それが見つかるまでは続けるつもりです」


「なら仕方ありませんか」


「お心遣い、ありがとうございます」


「時に天狗騨君、『こういう社員の人格に影響を及ぼすような仕事はAI(人工知能)に任せるべきだ』という大義名分的発想は、いかにも出てきそうだとは思いませんか?」


「出てきているんですか?」


「会社としての儲けが減ってくると、人員整理の話しが出てきてしまうのがこの現代です。ちなみにAIの件、個人的には私は反対なんですよ」


「ずいぶんと難しい問いですね。ろくな仕事でなくても仕事はあった方がいいのか、経済的に脅える事になる代わりにその仕事から自由になれる方がいいのか」


 広報部長は顔に笑顔を浮かべ、

「天狗騨君も私に難しい事を訊いていましたから、これでおあいこです」と、そう言った。


「なるほど、広田部長には一本とられたようですね」これには天狗騨も苦笑いするほかなかった。


「それとあと一つ。AIは『あなたの身が心配です。今すぐ旅立って』という文章を何に分類するんでしょうね? 私は機械任せになどできない、人間が責任を持ってやらなければならない仕事があると、そう考えています」


(?)


「では天狗騨君、私はこの辺で。良い材料が発掘できることを願っています」広報部長はそう言うと自分の机の方へと歩きだした。

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