第二百五十五話【ASH新聞・広田広報部長】
天狗騨記者は人生過去一度だけ〝転校〟という経験をした事がある。その時以来の妙な気分になっていた。今けっこう強烈な場違い感に襲われている。
「社会部から来ました天狗騨です。ここしばらくの間よろしくお願いします」
天狗騨がそう言った相手は〝ASH新聞広報部長〟。広報部のトップである。天狗騨はその人物の机の前に立っている。
「話しは聞いています。部長の広田です。まさか社会部の絶対エースの天狗騨さんといっしょに仕事ができるとは思いませんでしたよ」
広報部長はやけに愛想がいい。天狗騨としては率直に面食らう。
(『社会部のエース』とかいう称号は聞いた事があるが『社会部の絶対エース』なんて表現、聞いた事も無い)
(それになぜ〝さん付け〟なんだ?)
「社会部の方では部長から単に〝天狗騨〟と呼ばれています。こちらでも同様にしていただけたらと思います」
言葉遣いだけは〝常識的〟だが、髭だらけの面相や着崩した背広姿は相変わらずなので妙なちぐはぐ感がある。
しかしここだけ聞けば常識的に聞こえても、天狗騨の意識は常識とはどこかズレている。
(余所の部である政治部の部長からは呼び捨てにされているのに広報部がそうじゃないなら、まるで〝政治部が一番偉い〟みたいじゃないか)と、これはそんな動機からの発言であった。もちろんそんな内心など広報部長の想像の埒外である。
「う〜ん、そうですか。しかしどうでしょうかね。そうだ。では『天狗騨君』はどうです? いかにも上司が部下を呼ぶときの呼び方でしょう?」広報部長は言った。
(あちらさんがそういう思いならそれでもいいか)と天狗騨は考え、早々と意識を切り替えた。
「ではそれでお願いします」
「うん。では天狗騨君、君の机へ案内しよう」
誰かを呼んで案内させると思いきや、広報部長が突然立ち上がった。自ら天狗騨を案内してくれるようだった。
(いったいどうなっている? こんな部長いるか?)と思うしかない天狗騨。
広報部長の後についてこのフロアを縦断するように歩き続ける天狗騨。さりげなくここの部員の様子を伺う。天狗騨の動きを目で追い続ける者、天狗騨などまるでいないかのように当面の仕事に没頭し続ける者。歩きながらなのでその比率までは分からない。
(さし当たって〝関心のある者〟と〝無関心の者〟か。ま、内心など分かるはずもないか)そんな事を思っていると、
「あそこが天狗騨君の席だ」と広報部長から或るひとつの机を指定されあてがわれた。さすがにフロアの隅の方である。天狗騨が椅子を引き出し机の前に腰掛ける。当然机の上にはパソコンの液晶画面。既に起動済みである。しかし天狗騨にはここ広報部においてはどのファイルに何が入っているかなどまるで不案内である。
「分かる方のレクチャーを受けたいのですが」と天狗騨が言うと、なぜか広報部長が肯き、
「私がやろう」と言い出した。
「部長が自らですか?」と訊けば、
「ちょっと君の仕事ぶりを見てみたいのだが」と戻ってきた。
(なるほど、〝噂の敏腕記者〟の仕事ぶりを見てやろう、というわけか……)
しかし——
「私がしようと思っているのはサイトのメールフォームから送られて来たメールをただ読むことだけで、早い話しマウスを握りながらパソコン画面を見続けているだけなんですが」と困惑気味に天狗騨は答えた。
「いや、君はなんてタフガイなんだと、そう思ってね」
(タフガイ???)この時天狗騨は広報部長の言ったことばの意味がよく飲み込めなかった。
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