第二百五十四話【天狗騨記者、昔のジャイアンツになる】
その日天狗騨記者は社会部長から応談室へと呼び出されていた。当然、この部屋には二人しかいない。
(いよいよ俺の今後の〝身の振られ方〟が決まるのか)と、さすがの天狗騨も身体が硬直してくる。しかしこの時点でもう天狗騨には嫌な予感がしていた。
社会部長の表情が固いのである。
「結論から言うと、お前の今後についてはまだ何も決まっていない」社会部長は言った。
(それは〝結論〟とは言わないのでは?)と思わず突っ込みたくなる天狗騨。しかしさすがの彼もここでは突っ込めない。さらに社会部長が話しを続けていく。
「お前はな、適当な例えかどうか分からんが、〝昔の巨人〟みたくなっている」
「えー、とそれは〝ジャイアンツ〟の巨人ですか?」と天狗騨は訊く。野球については、比較的不案内なのである。
「そうだ。お前の歳では知っているのかどうか分からんが、昔『アンチ巨人』という価値観があった。特定のチームを応援するわけではないが、『巨人が負けると飯が旨い』という価値観だ。昔の巨人はな、熱狂的なファンがいる一方で、熱狂的に嫌うファンもいた。巨人の対戦相手を片っ端から応援し続けていくという、これもまたある種のファンだな。お前の今の立場がその頃の巨人だ。これでだいたい会社(ASH新聞)におけるお前の今の立ち位置が分かったろう?」
「それは喜ぶべき事なんでしょうか?」
「もちろん喜ぶべき事だ。〝アンチ〟は強い者にしか付かない」社会部長は断言した。
「私が〝強い者〟ですか、」
『強い』と言われ、悪い気分はしない天狗騨。
「元々お前は強かった。強かったが優秀だとは思われていなかった。しかし今回〝優秀さ〟を証明した。政府が国策とするリニア事業で閣内不一致を誘発させ、リニア南アルプスルート選定について、〝もしや〟という疑惑追及の足がかりも得た。だが少し前までのお前は〝なるべく関わりたくない人〟だった。そして俺自身も例外とは言えなかった。それが今や隔世の感だ」
「はぁ、」
こう社会部長に言われ喜ぶべきか、複雑になるやら、そんな天狗騨である。
「それらを成し遂げるために使った方法も通常とはまるで異なる独創性。地方紙との異例な提携記事の実現、連載のほとんど全編を占める対話形式のインタビュー記事、そして最終回を妙に記憶に残るコラムで締める。〝人の記憶に焼き付ける〟といった観点から見てその手腕は大手広告代理店のエリートサラリーマンと比べても遜色ない」
「ちょっと! 冗談じゃないですよ。『DT』とか、絶対に入りたくなかった企業なんですから!」
『DT』とは大手広告代理店の中の最大手である。
「おっと、勘違いするな。何も転職を勧めてるわけじゃない。誉めただけだ」
「ならいいんですが」
しかし天狗騨のその表情は憮然としている。『DT』と言えば社員をパワハラで自殺に追い込み、その上東京オリンピックを巡る巨額の収賄事件が絡んでくる。こんなイメージしかない。
天狗騨は『社会に対する正義感が無くても勤まるような仕事はクズだ』としか思っていなかった。真性にジャーナリストを志す人間というのはけっこう面倒くさいのである。
社会部長の話しは続いていく。
「しかし、ここからが問題だ。その〝通常とはまるで異なる手段〟に難癖を付ける者達が出てきた。『結果』で文句が言えないからこうしたやり口になる。で、その中身だが、先ほど俺が誉めた長所を全て短所と読み替える」
「つまり地方紙などと提携するな。対話形式などは邪道で普通に記事を書け。あんな最終回など論外で主張をする際には〝社説の書き方〟をよく見て手本にしろ、とかですか?」
「天狗騨、お前には〝敵の意図〟を瞬時に読み取る能力があるようだな」
「それで私はどうすれば?」
「今お前が口にした三点、これらを潰した特集記事を一本仕上げろ。それで決まる」
「正直厳しいですね、リニア特集と同程度の効果を期待されると」
「そこはいい。要はお前の事を快く思っていない連中が、突っ込みたくても突っ込めないものを書いてくれれば」
「解りました」
「そこでひとつだけアドバイスをいいか」
「そういうのは大歓迎です。『リニアで行け』と言ってくれたのは元々部長でしたから」
「それなんだが、その時あと二つ、提示したテーマがあったろう。『太陽光パネル』と『空飛ぶ自動車』だ。これはやめておけ。未だ我が社は反原発で再生可能エネルギーの切り札を『太陽光パネル』だと考えている勢力がいるし、太陽光パネル公害については同業他社がもう既に社会問題として取り上げていて目新しさが無い。『空飛ぶ自動車』をやめておく理由は前と同じだ。存在していない物はいくら社会問題を起こしそうでも、今モノが無いんだから起こしようがない」
「テーマは新たに自分で見つけろと、こういう事ですね?」
「それを含めて記者の能力だ」社会部長はそう言い渡した。
天狗騨は眉間に皺を寄せ十秒ほど考える仕草をした。
「では私が〝広報部〟の方へ出入りできるよう、許可を通して頂くようお願いします」
「なんで広報部だ?」
「広報部とは言いますが、正確には苦情対応部でしょう。我が社(ASH新聞)への抗議を含めありとあらゆる社会的不満が自動的に集まってくる部署です。ヒントを見つけるならそこかと」
社会部長は肯いた。
「分かった。俺の方から話しは通しておく」
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