第二百五十二話【天狗騨記者、遂に国賊となる】

「国賊天狗騨誠真ーっ、出て来ぉーいっ‼」


 ASH新聞東京本社の前にはこうした怒声を上げる一団がここ最近毎日のように集うようになっていた。もちろん外でいくら騒ごうとその怒声は社屋の中までは響いてこない。が、不穏な言動を繰り返す輩が連日押しかければ、ASH新聞社内では僅かでも口端に上らない日は無い。当然天狗騨の耳にも何を騒いでいるのか、それは届いている。


(俺が〝国賊〟ねぇ)と思うしかない天狗騨記者。



 天狗騨が担当したリニア特集記事の最終回分が掲載されておよそ二週間、キセキが起こっていた。奇しくも天狗騨がその担当した連載の最終回で触れたアニメの話し、『海底超特急』の如く、リニア計画は事実上無期延期になっていたのだ。


 天狗騨が特集記事第7回、第8回において先鞭をつけたリニアを巡る加堂内閣の閣内不一致。

 そのネタを引き継いだ左沢政治部長率いるASH新聞政治部が総力を挙げて政権攻撃を開始した。『リニア南アルプスルート変更もあり得る』とした環境大臣の方が失言したことにして詰め腹を切らせ幕引きを図りたい政府側に対し、そうはさせじと『SDGs』や『ESG投資』といった日本国外発の〝正義の価値観〟を持ち出し〝政権側の正当性〟を粉砕、逆に国土交通大臣や政府の側を悪党側に追いやろうと試みる。


 そんな攻防の中キセキが起こった。


 謀反が起きた。東京、神奈川を地盤とする与党の衆議院議員十五名弱が加堂政権に反旗を翻しリニア計画の凍結を求め始めた。いずれも〝大深度地下をリニアが通る〟選挙区から選出された議員達ばかりであった。都市部において選挙区を自転車で回れるほどの細切れにした小選挙区制が完全に徒になったと言えた。

 『あなたの家の地面の下にトンネルを掘らせて下さい』と言われ喜ぶ住民はいない。

 トンネル工事は一年や二年では片付かない。最大でも任期四年、実際のところ三年数ヶ月の間に行われる衆院選に必ず引っかかる。天狗騨記者が仕掛けた連載第1回目は確実に効いていた。


 もしも十五人の与党議員が選挙で落選し、代わりに当選を果たした議員が特定野党の議員達ばかりだったら……ここだけで一気に三十議席分もの差が詰められる。いや、下手をすれば政権交代も。

 正に〝憎き加堂政権〟を倒せるかもしれない大金星。だがしかし——



 そんな中天狗騨は中道キャップの下で〝雑務〟としか言いようのない日々地味な仕事をこなし続けている。それがどれほど地味かと言えば、記事材料収拾のための取材のためにすら外には出してはもらえない。こうした措置は中道の上のそのまた遥か上の〝社命〟によってである。

 よって得体の知れない抗議団体のせいで天狗騨は閑職に追いやられているも同じであった。


 そういう閑職な仕事を天狗騨に命令する形になっている中道キャップが感じる自身の居心地感は当然よろしくはない。とは言え天狗騨は憂鬱そうな態度も見せず、さして重要な仕事でもない言われたままの仕事を淡々とこなしている。


「今日も気分は変わらないか?」中道は傍らの天狗騨に尋ねた。一日に一度は訊こうと中道が密かに決めているフレーズである。


「毎日自宅の前まで運転手付きの社用車が迎えに来てくれる。まるで重役になった気分ですよ。ま、社旗は付けさせてくれないんですけどね」その話しぶりはいつもの天狗騨そのものであった。


「まだ車に旗をつけたいのか?」と呆れ顔の中道。ASH新聞を標的としたテロが起こって二ヶ月ほどしか経ってないのにまったく危機感は感じられない。


「——ものは考えよう。この宙ぶらりんの状況、私にとっては悪くはありませんから」

 こうした〝言〟もいつもの天狗騨とまるで変わらない。


「いや、悪くないわけないだろう。あれだけの仕事をやってのけた後だ。それに比べて今やらされている〝仕事〟はなんなんだと、」とここまで言って中道は我に返った。「——ちょっとくらいそう思うだろ?」と小声で続けた。


「この私をどう処分するか、決めあぐねているというのは良い傾向ですよ。即決で左遷の勢いだったというのに」


(いや、違う。こういう話しをするつもりじゃなかったろう)中道は思い直した。


「あの外の連中の事は気にならないのか?」


「我々全員慣れてませんか? 毎年毎年『赤報隊バンザーイ』とか言われ続けてるじゃないですか」


「あのデモ、っていうかデモと言いたくないが、あの集団が来るのは毎年GW中5月3日の一日だけだろ? だけど奴らは毎日やって来てお前を名指ししているんだぞ」


「これが〝記名記事のリスク〟ってやつですか。それより私が憂慮するのは日本の右派や右翼の没落ですよ」


「いったいそれは何の余裕だ?」


「余裕じゃありません。本居宣長も古事記も右連中にはその意味が通じなかったって事を言ってるんです。リニアが日本人の愛国心を体現する絶対的な存在にまで祭り上げられているってのは明らかに現代愛国心の病ですよ」


「〝技術立国日本の夢〟なんだろうな、連中にとっては」

 それを言った後中道は自分で自分が不思議になった。なぜ右連中の気分を代弁しているのかと。

 しかしそれを受け天狗騨はこう返してみせた。

「それは私でもなんとなく解ります。日本が一番良い時代だった時のフレーズが『技術立国』でしたからね。でも残念ながらそれは昭和の極一時期にだけ通じた価値観で、絶対的愛国心の拠り所じゃありません。『美しい日本の自然をリニア如きで壊すな!』も立派に愛国心として成り立ちますよ」


「俺も理屈としては成り立つとは思うが、連中には話しは通じないぞ。リニア南アルプスルートに反対しただけで静岡県知事など右界隈では『中国の廻し者』にされていたからな」


「まったくあれはどういう理屈でそうなっているのか理解に苦しみますね。まぁ私の方もああした特集を組んだ以上、『国賊』呼ばわりされる事くらい想定内ですよ」


 ぱちぱちぱちぱち。

 ふいに背後から一人分の拍手が聞こえた。中道と天狗騨が思わず振り向くと拍手の主は祭記者。拍手をやめるや口を開いた。

「中道さんと天狗騨キャップの話しが面白そうだったので切りの良いところまで立ち聞きさせて頂きました」


「政治部に戻ったんじゃないのか?」天狗騨が訊いた。


「ココ(社会部フロア)は割と自由に出入りができると思っていました」


(いや、それ、〝自由に出入りできる〟んじゃなくて、勝手に入ってきているだけなんだよなぁ)と内心で中道キャップ。


「だいいち俺はもう一記者に戻っているんだがな」と天狗騨。


「いいえ。天狗騨キャップは私にとって永遠のキャップです。天狗騨キャップが中道さんの事を『キャップ』と呼び続けるのと同じです」

 中道としては複雑な言われようである。(俺はいったいいつ天狗騨から解放されるのか)と。


「それで今日は何の用事で来たんだ?」と訊く天狗騨。


「ところで天狗騨キャップは表の連中から『国賊』と呼ばれてますね」


「あぁ、『国賊』だな」


「何も神経が参ってなさそうですね」


「連中からすればこのASH新聞本体が国賊になっているのに、今さら『国賊』如きで右往左往するわけないだろう」


(なんて言い草だ)と思った中道キャップだったが、一方では(それは当たってるんだよなぁ)と公然とは否定できない。


「ですが〝右往左往〟するヒトがいるんですよ。口さがない奴らが天狗騨キャップ国賊呼ばわりされてビビってるって言ってるから、『そんな事は無い』って事を確認しに来たんですよ」祭は言った。

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