第二百五十話【社会部長の総括】
天狗騨記者が担当する連載の第9回目が掲載されたその日、天狗騨は社会部長に呼ばれ、応談室の中で密談を始めたばかり——
当然社会部長の方から切り出した。
「9回目はお前が喋ってばかりだったな」
「JRTKの社長のガードが予想以上に固くて警戒感を隠そうともしていませんでしたから」
「にしても一企業のトップに『ESG投資』を正面から説くとはな、存外それが原因じゃないか?」と社会部長は口にした。
『ESG投資』という価値観は『SDGs』よりもおよそ10年早い2006に国連責任投資原則(PRI)が提唱し始めた価値観で、要はこれもまた国連発祥である。(ちなみに『SDGs』は2015年の国連サミットで採択された)
『ESG』の『E』は環境(Environment)。『S』は社会(Social)。『G』はガバナンス(Governance)を表している。これだけでは少々解りにくい。要は〝自然環境〟や〝人間が暮らしやすい社会〟にも配慮した企業統治をすべきで、投資の目的は儲けだけではなく持続可能な社会のためになるものでなければ、といった意味になる。
投資とは企業や個人に関わらず、基本儲けることを主目的とするが、とは言え飽くなき利益の追求を目的とするだけの行為には非難の目を向けなければならない、という事になるだろうか。
「日本人は、それも地位の高い日本人ほど外国由来の価値観の前では借りてきた猫になりますからね。最悪私が避けたかったのはこの特集記事でJRTKのPRをやられる事でしたから。相手のペースにさせないため、こちらが優位に立つためにはこれを持ち出すほかありませんでした。この際利用できるものはなんでも利用しようと、ただそれだけですよ」天狗騨は悪びれもせず答えた。
「まあウチ(ASH新聞)の記者がやって来るとなればその手の予想は簡単につきそうではあるが。ところで、明日掲載予定の10回目の中身は社説を模した形の記事だったな?」
「ええ、静狩記者と半分ずつですね。しかし〝社説〟というよりはちょっとしたコラムですよ」
「ともかく取材記事としては今日が事実上の最終日というわけだな」
「はい」
「思ったより評判がいい」社会部長は端的に〝答え〟を口にした。
「〝思ったより〟ですか、」そう口にした天狗騨の表情は複雑だった。
「まあお前がこの大役を任された事についてか、一地方紙との対等な提携が原因なのか、はたまた記事の書き方が気に食わないのか、ともかく快く思わない者が、まあ実数など調べようが無いが感覚として半数近くはいる。逆に言うと半数くらいしかいないとも言える」と社会部長が続けた。
「その快く思わない半数はこの社会部だったりしないでしょうね?」
「否定はしない。だがどういうわけかあの政治部でお前の特集の評判が良いようだ。左沢さんから直接聞いているだろうからその辺りは薄々でも解っているだろうが」
「すると明日の最終分が紙面に掲載された後、私の身分はどうなります?」
「そうだ。今日はその話しだ。もうそろそろ触れてももいい頃だと思ってな」
「覚悟だけはできています」
「うん、当初は確かにその方向性、つまり『最後の花道』路線だった。お前は論説委員室に殴り込みを掛けるという前代未聞の暴挙をやってのけたわけだが、『国立追悼施設建設論』をぶちながら結局『反国立追悼施設』に変節したASH新聞上層部は、最初から徹頭徹尾国立追悼施設建設に反対していたお前に対し負い目があったからな。厳しいだけの処分はできなかった。ところがだ、」
「ところが?」
「お前の書いた特集記事がこの先どういう影響を与えるかによって、未来が変わってしまうという情勢だ。お前も今日の朝刊は見ただろう? 政治部が全面的に推してきているリニア絡みの続報記事を。環境大臣を良識派だと断じ、政府や国土交通大臣を舌鋒鋭く攻撃している。これの効果次第というところがある。まさかあの左沢さんがお前の意見を汲むとはな」
「そうは言いますが、いくつかのアイデアの中で『リニア中央新幹線で行け』とこのテーマを私に振ったのは部長ですが」
「そう言えばそうだったな。しかしこういう記事の書き方で来るとは思わなかった。書き方としては少しばかり常識を外していたな」
「社会に影響力を与えてこその新聞だと、そう思っていますから」
「聞く者が聞けば実に心強いことを言うな」
「時に部長、私の今後の身分が既に決定されているわけではないというのなら、今ここで自己アピールをして構わないでしょうか?」
「構わんが」
「私の問いに社長の返事が一瞬だけ詰まったんです。国交大臣ほどではありませんでしたが」
「うん」
「現段階では確証はありません。私の完全な個人的カンですが、リニア南アルプスルート選定に当たりJRTKは間違い無くJRHNとなんらかの裏取引をしています。リニアの並行在来線・中央本線を巡る取り引きです。大井川の水を生活の糧としている人々や南アルプスの自然の事などまるで考えず互いの企業利益を第一にしてこの不合理な難工事ルートが選ばれた可能性は非常に濃いです。民営の一番悪い臭いがするんです。証拠を掴めるかどうかは解りませんが、取り敢えずJRTK社長からは『そんな裏取引は無い』という言質をとりました。もしこれでなんらかの密約があった場合はスキャンダル化できます。我々社会部としてはこのセンは追う価値があるのではないかと、そう思います」
「少しばかり雲を掴むような話しだな」
「では雲ではない話しも」
「その意味する所は何だ?」
「他に会社の利益になるかもしれない話しがあります」
「社の利益を語るのか? お前がか?」
天狗騨という男は会社の利益の事など意識がどこかに飛んでいて歯牙にもかけないのだと思い込んでいた社会部長は、実に意外そうな声で問い返した。
「実はSZO新聞の静狩記者との対談は紙面に掲載したくらいの量じゃないんです。掲載された分は相当に端折ってます。全体として見たら優に本一冊分くらいになります。あの特集記事の評判が或る程度良いのなら完全版としてASH新聞新書から発行してみてはいかがでしょう? それはSDGsを考える教材になり得るものです。利益が見込めそうならぜひ」
「抜け目がないな、いろいろと」
「これでも会社員です。良い意味で保身のための策くらいは用意しますよ」天狗騨はまたも悪びれずに言った。
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