第二百四十一話【SDGsとリニア中央新幹線 第5回『迂回ルートの怪』】

SDGsとリニア中央新幹線 第5回『ルート選定の怪』



天狗騨「リニア中央新幹線について、『合理的判断基準に拠らないルート変更ならあった』、との事ですが、具体的にお願いします」


静狩「JRTKが2011年に作成した『環境影響評価(アセスメント)の配慮書』という資料の中にそれは記されています。甲府盆地の西側に巨摩こま山地と呼ばれる山々があります。リニアのルート予定図をみてもらえば解る通り、山梨県内のルートは巨摩山地付近で大きく南側に迂回して大井川上流域へと伸びています」


天狗騨「リニアの軌道はその速度故に『なるべく直線の方が良い』と聞きました。だからこそ南アルプスルートが選ばれたと聞いています。そういう事ならばこの〝迂回〟にはよほどの理由がある事になりますが」


静狩「JRTKは先ほどの『配慮書』をホームページに掲載しているのですが、その中に巨摩山地北中部を回避した理由が書かれています」


天狗騨「迂回理由は公表されているんですか、どんな理由でしょう?」


静狩「配慮書に拠ると『地質が脆弱で、土かぶりが大きく、高圧湧水が発生する恐れがある』と、湧水の発生可能性を理由に回避した旨明記されています」


天狗騨「ときに『土かぶり』というのは?」


静狩「トンネルの深さです。要するにどれほどの土がトンネルの上にあるか、という意味になります。当然の事と言えますが高い山に掘るトンネルほど直上の土の量が大きいわけです」


天狗騨「解らなくなってきました。そういう理由は巨摩山地北中部とは到底思われません。南アルプスにこそ当てはまるように思えます。南アルプスについてはその配慮書に何か書かれているのでしょうか?」


静狩「南アルプス、即ち大井川上流部について『土かぶりが大きい』。地質についても『破砕され脆弱』と書かれています」


天狗騨「同じじゃないですか。しかし『高圧湧水発生の恐れ』が巨摩山地北中部におけるルート迂回の理由になるのだとすると、南アルプスにおける湧水発生についてはどう書かれているのですか?」


静狩「『トンネル内湧水による地表への影響は小さい』と記されているだけです」


天狗騨「湧水が発生する事自体は予測しているわけですね。しかしこの回答だと、巨摩山地について高圧湧水による〝難工事の予測〟を理由にルート変更をしておきながら一方南アルプスでは湧水が発生しようとトンネル工事そのものを成功させる自信だけはある、という理解になるほかありません。自信が無いのかあるのか全く解らない支離滅裂さです。それにしてもJRTKは高圧湧水発生の困難性を認識し山梨県内ではそれを回避しているのに、どうして南アルプスでは回避しようとしないのでしょうか? 彼らなりの理由があるのでしょうか?」


静狩「それについてJRTKはこう言っています。『南アルプスのどこを通ろうとも高圧湧水は避けられない』と」


天狗騨「それはあまりにも乱暴な見解です。南アルプスにおける高圧湧水の発生をはっきりと認識していながらそれが結論になんらの影響も与えないとは。南アルプスそのものを通らなければ高圧湧水は避けられるのにどうして避けようとしないのか、まともな判断力があるのかどうか疑われる言動です。率直に、無謀な作戦に突き進んでいるという感想しか持ち得ません。思わず連想してしまうのは『インパール作戦』です。なるほど、〝合理的判断基準に拠らない〟とはこういう事なのですね」


静狩「はい、我が意を得たりです」


天狗騨「しかしまだ『そんな判断をする人間が本当にいるのだろうか?』と、これを信じられない自分がいます。より確実な〝安全策〟は検討もされなかったのでしょうか?」


静狩「リニアのルートについてJRTKは『Aルート』『Bルート』『Cルート』という三つの案を示しています。このうち南アルプスルートがCルートです。Aルートは木曽谷ルートとも呼ばれ、それはほぼ『中央西線』、Bルートは伊那谷ルートとも呼ばれ、それはほぼ『飯田線』と、それぞれ言って良いかと思います」


天狗騨「つまり南アルプスルート以外の他案には既に鉄道が通っているという実績があるわけですね。どうしてそちらのルートが選ばれなかったのでしょうか?」


静狩「実はリニアのルートは『Bルート』の伊那谷ルートで決まりと思われていました。現に2006年頃の同社のリニアの広報パンフレットに記載されたルートは伊那谷ルートのみです。それが突如2008年になって『南アルプスルートが可能である』と方針が一転したのです。試算の結果、南アルプスルートは伊那谷ルートに比べて経済的であると」


天狗騨「経済、つまり〝お金〟ですか?」


静狩「そうです。2009年6月、JRTKは伊那谷ルートではなく南アルプスルートを選択した方が建設費で6300億円減、年間維持運営費190億円減、設備更新費100億円減、年間収入で9千億円増という試算になった、と発表しています」


天狗騨「これは正直眉唾ですね。人跡未踏と言っていい南アルプスを通るルートの方が工事費も維持費も安くなるというのは額面通りに受け取れません。むしろ難所を選んだが故に工事費がみるみるふくれ上がる可能性の方が高いように思えますし、本格的登山者が行くような場所に保線員を送らなければならないのに、既に鉄道が敷設されているルートを採るよりも維持費が安くなるというのはおかしいんじゃないでしょうか」


静狩「そうした批判を想定しているのかどうか、〝経済〟以外の理由も示されています。伊那谷ルートに比べ南アルプスルートは所要時間が7分短縮されると、そのようにJRTKは言っています」


天狗騨「7分ですか。なんとも微妙な数字です」


静狩「『なるべく距離を短くする。その分所要時間も短くなる』という丹那トンネルの発想ですね」


天狗騨「しかし丹那トンネルの時代と現代との決定的な違いは、そのトンネルを通る列車の性能が段違いだという事です。蒸気機関車とリニアでは速度の面で雲泥の差があります。丹那トンネルは『水を止めるのではなく抜く』、という逆転の発想で開通にこぎ着けたという事ですが、この現代、列車そのものの速度が極めて速いのなら遠回りしても良いのではないでしょうか。現にその差は〝7分〟でしかないとJRTKが自ら言っているわけです。7分早く名古屋ないし東京に着く意味とはなんでしょうか。名古屋ないし東京に着くまでの〝時間〟を問うのなら建設時間も含めたトータルの時間で考えるべきですよ。『建設に時間がかかればそれだけリニアを使って名古屋や東京に着くまでの時間も長くなる』と考えるんです。人跡未踏の南アルプスルートと、既に鉄道が通っているルートとを比べれば、間違いなく後者の方が予定通りに工期を消化できる筈です。この現代では遠回りこそ近道だという逆転の発想も成り立つと思いますね」


静狩「私には天狗騨さんの言うことの方が合理的に思えます。しかし『もう工事は始まっているから今さらルート変更は無理だ』という事になっている」


天狗騨「既成事実を積み上げてから事後承認を求めるやり口は戦前の軍部と同じです。やはり〝国策〟という扱いにするとこうした非合理がまかり通り始めてしまう。改めて懸念すべき事態が現在進行形であるのだと認識します」

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