第二百四十話【天狗騨記者のエゴサーチ】

「キャップ、いま手透きでしょうか?」天狗騨記者が隣の席の中道キャップに声を掛けた。


「キャップにキャップと声を掛けられるってのもな、」といつか喋った事と同じ事を口にした中道キャップ。だが次いで「まあいいが、」とも口にした。


「早速ですが私が担当しているリニアの特集記事、評判はどんなもんでしょうか?」天狗騨は訊いた。


「お前も人の評判が気になるんだな。そんなもの気にしないで生きているのかと思ったが」と中道はチクリ。


「これは〝仕事〟の評価ですから」と悪びれずに天狗騨。


「まあ、それもそうか——」と同意する中道。(普段の言動は仕事でもなんでもないからな)と。しかし「意味が解らない」、とも続けた。


「そんなにもったいぶらず教えて下さいよ」


「いやいやいや、人の話しくらい聞いていろよ。俺に訊かなくてもエゴサーチくらい自分でできるだろ? してもろくな事にならなさそうだからあまり勧めはしないが」


「まったく同感です」と天狗騨。


 〝へ?〟という表情が思わず中道の顔に出る。

「なにかこの会話が支離滅裂だ。いったいなにを知りたがってるんだ?」


 天狗騨は声を潜めた。「社内での評判ですよ」


「なら最初からそう言え」


「私の場合、社内にも敵がいるんじゃないかと思いまして」


「……まあ、デスクはそうだよな……」


「誰が何を言ったとか、社内世論調査をしていると思われても面倒じゃないですか、だから主語をぼかしただけですよ」


「〝社内世論調査〟なぁ……、そんなもの編集会議でのやり取りから推測できるだろ。お前も出席しているんだから」


「ところがですね、編集会議は今ひとつ参考になりません」


「何も言われないなんて、そんな事あるわけないだろう」


「いや言われるは言われてますよ、それが記事の書き直しだとか修正にまったく結びつかないだけで」


「つまりお前が最初書いたとおりに載り続けているのか?」


「そうです」


「しかし〝何か〟は言われている?」


「そうです」


「いったい何を言われているんだ?」


「『SZO新聞の主張があまりに色濃い』、と」


「まあそれは事実なんじゃないか?」


「しかしです、政府を追及するために週刊誌が嗅ぎつけたスキャンダルもこのASH新聞の紙面には載ってきました。また逆パターンもあります。『慰安婦問題』、『学校法人を巡るいわゆるMK問題』はASH新聞発ですが、余所のメディアの報道はASH新聞の主張が色濃かった筈です。同業他社の主張や価値観であっても同調はこれまで厳然として起こっていたわけです」


「ま、まあそうだな。しかし編集会議という席における一般論としてはどういう事なんだ? 批判がありながらそのまま載り続けるってのは?」


「その理由は割と単純だと思います。要は対談形式の記事だからです。中身が気に食わないからといって書き直しをさせると『言ってもいない事を言った事にされた』と対談者から抗議の来る捏造記事になってしまいますから、何か思うところがあっても修正のさせようがないんです」


 中道はハッとした。

「だから対談形式なのか……」


「そうですよ」


「お前ってヤツは悪知恵が働くというかなんというか……」


「〝悪〟という接頭語だけは余計です。部長は『自由にやっていい』と言ってくれましたが、別に部長は会社の中で一番偉いわけではないですからね、自由は保障はされていません。では上から干渉されない仕組みは何か、と言ったらこの〝対談形式の記事〟という方法しかなかったという訳ですよ。この手法を自由に選べたのは大きかった」


「なら表現を変える。策士だな、天狗騨」


 天狗騨は苦笑いをして「それもイメージ的にはどうかと思いますが、」と口にした。「——しかしキャップ、話しが『編集会議』の方にズレていってしまいましたが、これは冗談ではなく、この特集記事が終わった後の〝私の〟が気になってきましてね、おそらく私はこのままこの場所に居続ける事はできないんじゃないかという予感がしているんです」


「弱気だな天狗騨」


「組織が本気で牙を剥いた場合、個人なんて弱いものです」


(そうだよな、あれだけの事をしでかした以上は〝地方へ飛ばされる〟くらいは想定の範囲内だろうな)それは天狗騨が論説委員室へ殴り込んだ〝事件〟を指している。

(加えて普段からのASH新聞的価値観に批判的な言動もあるだろう)そんな事も中道は思ってしまう。


(地方へ飛ばすにしても国立追悼施設の件じゃあASH新聞本体も脛に疵のある身だ。花を持たせてから飛ばそうと、そういう事なんだろう)

 このおかしな部下が隣からいなくなってしまうというのも、なにか感慨がこみ上げてくる。そんな中道であった。

「そういう事を考えてしまうって事はもう残りの連載分ももう完成しているんだな」


「ほとんど完成と言って差しつかえありません」


「そうか、寂しくなるな……」と中道。しかし天狗騨は頭のネジが飛んだようなところがある男である。


「しかし現状、上層部が全てを思い通りにできる状況でもないわけです。個人が組織に敵わないというのは真理ですが、それも〝〟という条件付きの場合です。だから『編集会議』の話しなどは話しの〝ズレ〟でしかないんですよ」


「は? どういう事?」


「この建物の中で論説委員が殺害されました。この事件では、テロの大義名分として『ASH新聞のこれまでの慰安婦報道を指弾する脅迫状』が首相官邸に送りつけられていたわけですが、加堂政権はこの中身を伏せるどころか全文読み上げてしまいました。これはもう『桜田門外の変』みたいなものですよ。テロが起こる前と起こった後では社会が変わってしまいました」


「さ、桜田門外の変だぁ?」


「そうです。『桜田門外の変』の後、限られた上層部が政治を動かす行為が不可能となり、様々な者達が政治への参加を求め始めます。ぶっちゃけですね、これと同じ事がASH新聞でも起きやしないかと不謹慎ながら期待しているんです」


「どういう期待だ?」


「ASH新聞の中の中堅以下の者達が上層部の意向に服従しなくなったらどうなります? 私はそれに一縷の望みを繋いでもいるんです。だからリニア特集記事の社内での評判が気になるんです」


「だから『編集会議』が参考にならないなんて言ったのか……」

 ここまで話しを聞いてようやく天狗騨の意図が飲み込めた中道。天狗騨が生き残るためには社内の支持がどれほどあるか、そこが決め手で、だからこそ社内世論調査をしていた、のだと。

 これが真に知りたい事ならば、確かに上役ばかりが集まる場での評判などに意味は無い。

「そうです」と天狗騨も明瞭に答える。


「しかしなんというか、諦めが悪いというか……」


「潔く諦める新聞記者なんて者は新聞記者に向いてませんよ。〝潔い〟とは対極の〝粘り強くしつこい〟性分こそが職業上必要な資質です」天狗騨は寸分の迷いも無さそうに断言した。


「しかしお前の場合、普段からの言動がなぁ……」と、ぼそりと中道。


「普段からの言動には自信がありますよ。『日本だけを狙った慰安婦問題よりも、あらゆる慰安婦問題を平等に』、という私の価値観こそ人権平等主義に合致する不滅の価値観です」


「……」


 理屈は確かにそうであった。しかし——

(茨の道を敢えて選択できるほど、このASH新聞は正義感に溢れているのか?——)

 決して口に出せない疑問が湧いた中道キャップだった。

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