第二百三十七話【SDGsとリニア中央新幹線 第3回『トンネル工事と湧水』】

SDGsとリニア中央新幹線 第3回『トンネル工事と湧水』



天狗騨「本日、第3回目のテーマは〝トンネル工事と湧水〟の関係性についてです。まずひとつ確認しておきたい事があるのですが、リニア中央新幹線・南アルプストンネル工事を始めれば必ず土中から湧水が噴き出す事になる。そうした理解で間違いないのでしょうか?」


静狩「はい。地質学上間違いなく。また南アルプストンネルについて当事者であるJRTKも、『水抜き』の必要があると説明しています」


天狗騨「今『水抜き』と聞きましたが耳慣れないことばです。これは静岡県知事もかつて要望していた筈ですが、トンネル工事に伴い発生した水は抜くのではなく、大井川に戻す事になっていませんでしたか? 『抜く』と『戻す』は意味が違うように思えるのですが」


静狩「その通りです。『水を戻す』というのは、そうあるべきだ、という〝べき論〟で、『水抜き』というのは〝トンネル工事のセオリー〟です」


天狗騨「その辺りの事情の説明をお願いします」


静狩「分かりました。まず、ここ日本においてはトンネル工事と湧水の発生は必然的にセットになっていて、湧水の発生しないトンネル工事はまずありません。ただ、現場現場で各々違いはあります。要は噴出する湧水の圧力であり、湧水の量という事になります。というわけでここでひとつ視点を変えてみようかと思います」


天狗騨「どういう事でしょうか?」


静狩「今我々はSDGsを指標とし『水資源の保護』という価値観に重きを置いているわけですが、ここはひとつトンネルを掘る側の視点に立って考えてみようという事です」


天狗騨「なるほど、それもまた大切な事です」


静狩「大井川の水資源の恩恵を受けている人々にとっては湧いてくる水は〝命の水〟そのものですが、トンネル工事を行っている人々からすればそうした水は〝自分達の命を脅かす存在〟に他なりません。例えば先に出した丹那トンネルのケースでは16年の工事期間中に67人もの作業員が命を落としています」


天狗騨「この現代にそれだけの数の死亡者が出たらトンネル工事としては完全な失敗、一大スキャンダルになりますね」


静狩「はい。ただこの丹那トンネルという現場はトンネル掘削の実験場のような性格を持つことになりました。セメントを注入して地盤を固めるであるとか、トンネル掘削の最先端部の気圧を高めたりであるとか、大量の水の噴出を押さえるために様々試行錯誤が行われました。しかしどれも上手くいったとは言い難く、トンネル工事を成功させたのは結局『逆転の発想』でした。それが『水抜き』です」


天狗騨「つまり、出ないように押さえつけるのではなく、出たがっているものは出してしまえ、という発想ですか」


静狩「おっしゃる通りです。土中の水を出し切る事によって高い水圧の水が出なくなりトンネル掘削工事を進める事が可能となりました。作業員の安全のためには水を絞れるだけ絞って枯らすのが一番だ、という事になった。こうしてトンネル工事のセオリーが確立したのです。このやり方は『丹那方式』とも呼ばれています」


天狗騨「そのトンネル工事のセオリーはこの現代でもセオリーなのでしょうか? 『現代の技術によって克服された』であるとか、そうした状態にはなっていないのですか?」


静狩「残念ながらなってはいないようです。工事の専門家に取材したところ『掘削技術は格段に進歩した』との事ですが、〝湧水を確実に止める技術〟というものは今も無いそうです。『今でもトンネル工事は水を抜くのが鉄則だ』との事です」


天狗騨「今『確実に』と言われましたが、という事は、一応湧水を止める技術はある事はあるんですね?」


静狩「はい。薬液を注入する事によって地盤を固める方法があります」


天狗騨「さっきの丹那トンネルの〝セメント〟が〝化学的薬液〟に進化したわけですか。しかしそれでも〝止められない〟と?」


静狩「はい。地盤工学の専門家に拠れば大深度、つまり地下の深い部分に掘るトンネルにこの方法を使う事については『難しいのではないか』という話しです」


天狗騨「ということはやはり確実なのは『止める』よりは『どこかへ流す』という事になりますか。苦し紛れの折衷案のようになってしまいますが『抜いた水』を『大井川に流す』事が可能ならば水も元に戻り万事解決という理屈にはなりますが」


静狩「確かに理屈ではそうなりますが、それもまた『難しいのではないか』とそのように考えています」


天狗騨「それはなぜでしょう?」


静狩「トンネル掘削に伴い発生した水を抜くためには『水抜き坑』という水を流すための別のトンネルを掘る必要があります。それも何本も。丹那トンネルの場合だとその総延長は14キロにも達しています。そうしたトンネルは本坑、即ちレールを敷いて列車を通す本来のトンネルとのがトンネル工事のセオリーだからです」


天狗騨「、というと、リニアは東京から名古屋へと東西を繋ぐわけですから、西か東か、どちらかに流すという事ですか?」


静狩「そうなります。一方で大井川は北から南へと流れているわけで、大井川とリニアはほぼ直角に交わります。角度を九十度変えて出てきた湧水を流せるかというと、反セオリーであり著しく不可能ではないかと。だから静岡県知事が『トンネル工事で出た湧水が山梨県側に流れる』と主張しているのは『出てきた水は東側に流れていく』と言っているだけで、トンネル工事のセオリーを喋っているだけとも言えます」


天狗騨「しかしその静岡県知事は最近言うことが以前と違ってきています。工事に伴い発生した湧水の、大井川へのいわゆる『全量戻し』は諦めて、『田代ダム』というダムに溜めた水で減った分を代替しようという方向性になっている。これについてはどうお考えでしょうか?」


静狩「その『田代ダム案』にはひとつよく解らない部分があります。それは工事中だけの措置なのか、工事完了後も続ける半永久的な措置なのか、という点です」


天狗騨「敢えて私が代弁しますが、JRTKに拠るとリニア中央新幹線・南アルプストンネルを造ると同時に、湧きだし続けるであろう水を大井川に戻すための『導水路』も造るという事ですから、『工事中の間だけ田代ダムのお世話になる』という事になりますね」


静狩「ただ、大井川の水資源に対する影響が工事中に限定されるのかどうか、もしかしてトンネルが完成し工事が終わってからも半永久的に続くのではないか、という懸念材料が、つまり『よろしくない実例』があるのです」


天狗騨「それは『丹那トンネル』とは別件で?」


静狩「ええ、1999年の事ですから古いは古い話しなんですが、『丹那トンネル』よりはかなり新しい話しです」


天狗騨「というと?」


静狩「新東名高速道路です」

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