第二百三十二話【テロでさえ社会を結束させる事はできない】

 極度の興奮状態は、僅か一日しか保たなかった。


(もはやテロでさえこの社会を結束させる事はできないのか……)

 心底そう思うしかない天狗騨記者。


 “テロが社会を結束させる”とは妙な表現だが、要するにこれは『テロとの戦い』を指している。今回、ASH新聞襲撃事件ではずいぶんテロと戦おうとしない者が見受けられた。それだけならまだしも積極的にテロの側に立つ者さえ現れる。俗なことばで言えば〝敵〟であった。


 敵(?)もさるものとしか言い様が無かった。

 片っ端から造られ続けるいわゆる捨てアカ。そして決まってその捨てアカではASH新聞に対するテロが賞賛される。そうして片っ端からそれらのアカウントが凍結されていく。


 このような不毛な荒漠としたいたちごっこが延々繰り返され、SNSを運営するアメリカの大手IT企業がこれらの〝捨てアカ群〟をして、営業妨害と断定し、法的手段も辞さずとチラつかせれば、チラつかされた側は『なぜ検閲者が正しい者であるかのような顔をして振る舞っているのか!』と反発の意を公然と露わにする。


 かくして、“民主主義を護るための行為”が、却って〝新たな分断〟を生む始末であった。


 こうした荒れるネット言論を目の当たりにした結果、ASH新聞社員達の興奮状態はあっという間にしぼんでしまったのである。


(これが、〝多様な意見〟のなれの果てか)とも思う天狗騨。


 とは言え相変わらず〝建前〟は生きている。『言論の自由を護れ』『報道の自由を護れ』が公然と否定されたわけではない。しかしSNSという存在は人間の本音を可視化してしまう。

 それを見てしまったASH新聞社員達の気分は奈落の底へと落ちていくより他なかった。

 彼らはもはや加堂政権に対し何らかの報復をするという気概さえ失ってしまったかのように天狗騨には見えた。

 もっとも、内閣総理大臣自ら無敵の人と化している現状で、中途半端な報復はさらに状況を悪化させる事だけは確実であった。


 そしてこれが良いことなのか悪いことなのか、テロリストの言い分だろうと、筋さえ通っていれば社会に影響を与えられる事がハッキリとしてしまった。

 天狗騨があれほど取り上げるよう熱弁を奮った『米軍慰安婦問題』、それが一つのテロ事件をきっかけに公然と取り上げられるようになり、国名によって態度を使い分ける大韓民国に対する非難がひとつの価値観として、この日本社会に定着しつつあった。


 しかし天狗騨としてはこんなものは不本意そのものであり、言論の敗北である。

(社会を変えるのにテロが必要だとは、そんなものが認められるか!)であった。


(もはや俺がやるしかない!)天狗騨は気負わざるを得なかった。


 天狗騨が任されている『リニア中央新幹線』に関する特集記事。むろんその方向性は反対論である。

 純粋な言論の力でこれをひっくり返せるかという、かなり分の悪い勝負に天狗騨は勝たなくてはならない。それが〝証明〟になる筈だった。少なくとも天狗騨自身、これを己に課された義務であるとそう強く思い込んでいる。


 ただし、そんな事ができると期待する者はこのASH新聞社内には一人もいない。そんな中いよいよ天狗騨記者の特集記事、『SDGsとリニア中央新幹線』の10回の連載が紙面に掲載される——

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