第二百三十一話【『ASH新聞VSテレビASH』か、あるいは『ASH新聞VS日本国民』か】

 社会部長が天狗騨記者の顔をじっと見る。

「『何を今さら』というのは諦観かね?」と訊いた。


「いいえ。今さら慎重になるなど笑止。我々には失うものなど既に無いのだと覚悟を決め突き進むのみです。むしろ希望が見えてきたくらいです」と、なぜか朗らかな天狗騨。


「ここから後の〝議論〟には甚だ意味があるとも思えんが、興味だけはある」と社会部長は応じた。


「こちらといたしましては〝下からの意見〟が汲み上げられてくれる事を期待しています」


「あまり油を売ってはいられないが、手短に済むかね?」


「なるべく手短に済ませましょう。私は当初絶望していたんです。犯人が『米軍慰安婦問題無き慰安婦問題』に憤ってテロを実行していたなら、今さら米軍慰安婦問題を日本軍慰安婦問題並に報道すれば犯罪者の要求に屈服した事になり、かといってこれまで通り米軍慰安婦問題の追及をしなければ、慰安婦問題は事が確定し、このASH新聞社は反日宣伝を請け負う大手広告代理店にされてしまう。どちらの選択肢を選ぼうと双方とも地獄が口を開けて待っていた」


「——しかっし、犯人の真の犯行動機が官民挙げてのmRNAワクチン接種推進にあるのなら、この危機的状況を脱する事ができます!」天狗騨はそう啖呵を切ってみせた。


「経済面を持ち出されたら?」


「だいたいカネを物事の判断の基準にするとたいていの場合間違った判断をしてしまいます。反日宣伝専門の大手広告代理店にされるのとどっちがマシだと思いますか? 現状究極の二択です。『ASH新聞VSテレビASH』か、あるいは『ASH新聞VS日本国民』か、どちらを選ぶのかって話しです!」


「『ASH新聞VSテレビASH』はまだ解るが『ASH新聞VS日本国民』というのは極端過ぎやしないか。『インターネット上も「言論の自由を護れ」「報道の自由を護れ」、という意見ばかりとなっている』という反論を食らいそうだが」


「部長、解っていて言っているとは思いますが、SNSを運営するアメリカの大手IT企業がテロリスト側に立った発言を行ったアカウントを片っ端から凍結している結果として〝そうした意見〟ばかりになっているだけで、やってる事はひいきの引き倒し、こちらにとっての迷惑行為でしかありません」


「一応アメリカ企業のやっている事でウチが助かっている面もあるが、どういう理屈でそうなる?」


「昭和の赤報隊事件の時に使えた反論が使えなくなってるんです。結果的に昭和っぽい言論空間をこの現代に造り出そうと昭和は二度と戻っては来ません。『言論に暴力で応ずるとは許せない。言論には言論をもって当たるべき』という反論がアホのアメリカIT企業のせいで使えなくなってるんですよ!」


「あ、」と社会部長。これは思いつかなかった。


「テロを賞賛しようと、ただ賞賛しているだけで実行を伴わないなら、こんなものでも『言論活動』なんです。それを言う場を奪ってしまったら『言論には言論をもって当たるべき』ってのが完全に真っ赤な嘘になります。昭和の頃なら一般人が自由気ままに言論できる場が無かったから、こうした理想論を口に出してさえいれば簡単に正義になれた。だが今やその逆です。『自由な言論活動ができないのだからテロくらい当然』と逆にテロを正当化する流れを生んでしまう!」


「すると天狗騨、君が経営の責任者ならどうこの危機を切り抜ける?」社会部長は試すような質問をしてみた。

 しかし天狗騨の顔に困ったような色は全く見えない。


「今さっき部長は会社の上層部の総意を話しました。報道方針転換の前提条件です。『mRNAワクチンが人体に有害だと証明できなければいけない』との事ですが、確定してしまった後では手遅れです。たとえ〝医療〟の分野だろうと、現在の常識がこの先も常識であり続ける保証はありません。かのロボトミー手術など今や恐るべき人権侵害になってますよ。保険を掛けるという意味では完全に危険だと方針転換のその時です」


 日本の医学界には『精神外科』という分野が。精神病を外科的処置によって治療するという、その趣旨だけ聞けば実に画期的。『ロボトミー手術』は精神外科の代名詞と云えた。

「ほう、」と社会部長。


「まずはテロリストが我々に要求した要求内容を公開すべきです。これだけで『慰安婦問題』という現状の一焦点状態を多焦点化できます。主題が分散すればそれだけ生きる目が出てくる。その結果我々の系列企業であるテレビASHの立場がまずくなるかもしれません。しかし『お友達クラブ・仲良しクラブ』と言って『仲間であっても容赦はするな』、と政府に訴えてきたのが我々ASH新聞です。である以上我々も実践あるのみ。お友達で仲良しなテレビASHであっても一切容赦はしない。これが言行一致というものです」


「——例えばこういうのはどうでしょう? テレビASHのその朝のワイドショーにASH新聞から論客を送り込んで、司会者やメインコメンテーターをコテンパンにやっつけるとか」


 社会部長は半ば絶句しつつも、

「筋だけは通っているな、」と口にするしかない。僅かに(『私が出ましょうか!』と天狗騨が言い出すのでは?)と思ってしまった社会部長だったがさすがにそこまでは言わない。

 とまれ、この主張は天狗騨自らの口が言った通り、『カネを物事の判断の基準』にしていない。ASHグループの当面の懐事情など清々しいほどに微塵も考えていない。


「私も部長には世話になっている身ですから無理にとは言いません。しかし機会があったらぜひとも上にこうした意見を上げていただきたく思います」と社会部長をも巻き込もうとする天狗騨。

 それに社会部長が微妙に外しながら応えた。

「天狗騨、俺がわざわざこの場をセッティングした理由は、『』というこの一点に尽きる。そこだけは理解しておいてくれ」


「解っています」と口だけでは殊勝な事を言った天狗騨。しかし一応社会部長は念を押すことにした。


「それからこの件で社内では暴れ回るな。少なくともリニアの特集記事が全て紙面に掲載されるまでは温和しくしていてくれよ」


「今私が勝手な事をして企画がお流れになったらSZO新聞にも顔が立ちません。そこは大丈夫です」天狗騨は断言した。「——ところで、今聞いた〝ASH新聞に対する犯人からの脅迫状〟の話しは口外無用なのでしょうか?」と天狗騨は訊いた。


「口外無用なんかじゃないな、言うも言わんも、誰に言うかも自由裁量だ。その結果暴れ回るような事態にならなければな」

 社会部長もを口にした。


「論戦は当面避けておきましょう」天狗騨は社会部長の意を察しそう応じた。


 こうして応談室での密談は終わった。

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