第二百二十八話【天狗騨記者の推理】
「部長、ちょっとよろしいでしょうか?」
「また来たのか?」
ASH新聞社内において天狗騨記者が日常的に口がきける最も偉い人は社会部長である。
天狗騨はまた部長の机の前にいた。さっき来てから一時間も経ってない。
社会部長は椅子に座ったまま、そして眉間に僅かのしわを寄せながら、
「リニアの特集記事の件は『続けておいてくれ』と言った筈だが」と口にした。
言外に〝他の事に首を突っ込まない旨約束したろう〟と言っていた。むろん天狗騨からすれば織り込み済みで、だからこう言った。
「持論を述べるつもりはありません。事件当日ココ(ASH新聞東京本社)にいなかった者としてひとつだけ確認しておきたい事がありまして」
社会部長は無言で卓上のメモ用紙を〝ぴっ〟と一枚取り、
「このスペースに書いてみ給え」と天狗騨の前に置いた。〝長い話しはしない〟という意思表示の現れであった。
「解りました」と天狗騨は素直に応じ、サラサラととんでもない事をメモ用紙に書き記した。
そこにはこうあった。
『今回の事件で我々下々の者に何か隠し事をしているのでは?』
社会部長は無言で天狗騨を見上げた。
「『気のせいだ』と言われてしまえばそれまでです」天狗騨は訊かれもしないのに答えた。
「少し応談室の方まで来てくれるか」社会部長は言った。
(説教だけしかする事が無いのならこういう反応は無い)天狗騨は確信した。
応談室の中に入るや社会部長は天狗騨に言った。
「なぜそう思った?」
「あの古溝官房長官の記者会見の中に〝気になったことば〟がありまして」
「それは?」
「立てこもっているその最中に首相官邸のサイト宛てに犯行声明文が送られていた、と言っていたのが引っかかりまして」
「なぜ引っかかる?」
「アレ(米軍慰安婦問題)が一番訴えたい事なら、やっている最中ではなく最初から送っておくものではないでしょうか? 犯人視点で不測の事態が起こり送信できなかったら、単なる立てこもり事件として処理されてしまいます」
「直感か、」
「ええ、直感ですね」
「ならもう少し推理してみ給え」と社会部長は少し意外な事を言った。
天狗騨は肯く。
「そもそも『立てこもる必要』があったのか? という問題です。犯人がASH新聞社に恨みを持ち、インパクト重視で少しでも偉い人の殺害だけを企てていたのなら、偉い人が目の前に出た来た途端に銃をぶっ放せばいいだけです。立てこもる必要はありません。立てこもるという事は、『何らかの要求を我々ASH新聞に対しても行っていた』と考えるのが自然です。立てこもっていた時間は長くて三時間といったところですか、しかしASH新聞の紙面には我々がされたであろう要求については何も載ってはいません」
「相変わらずだな、天狗騨」
「恐縮です」
「他には?」
「まだいいんですか?」
「ここまで言ってしまったんだ。逆にここで終わられると俺の方が気持ち悪い」
「分かりました。私が最初に直感めいたものを感じたのは〝犯人の身分〟からです。東京大学在籍の学生がその身分を棒に振ってまで公憤を動機とした事件を起こすものだろうか、という点です。東大の学生なら良くも悪くも〝利己的〟なんじゃないかと。この大学に入ろうと思ったその一番最初の動機は徹頭徹尾『利己』の筈です」
「なかなかに言うな」
「むろん『東大の学生には公共心は無い』と言うつもりはありません。中には『社会の役に立ちたい』と考える者もいるでしょう。ただその身分と引き替えにするとなると話しが違ってくる。身分を棒に振る以上公憤が動機とは思えません。しかし、私憤が動機なら東大生でもあり得る事です」
社会部長はパッと両手を上げた。
「分かった天狗騨、お手上げだ。そこまで考えられた以上、お前については隠しておく必要も無いな」
「どういう事でしょう?」
「俺だって義理を背負わされただけで、隠蔽工作に積極的に加担などしたくは無いさ」
「と、いうことは?」
「あったんだよ、我々ASH新聞に対する要求が。私憤のようであるが公憤もゼロとは言えない動機がな」社会部長は言った。
今度は天狗騨が眉間に僅かのしわを寄せた。
「すると『米軍慰安婦問題』ではないと?」
「そうだ」
「だとしたらおかしな事です。こちらは社員が一人殺されています。動機が私憤多めに見えるのなら、それを記事にして書いた方が我々に対する世間の同情が少しでも高まる筈です。現状我々の立っている位置が、昭和の赤報隊事件の頃のような立ち位置に無い事を危惧していますが」
「それをやると我々が益々苦しくなりかねない、なら報道しない動機としては充分だろうな」社会部長が厳しい顔をして言った。
社会部長の非常に奇妙な言い様に天狗騨の表情もさらに厳しくなっていく。
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