第二百二十七話【SNSは昭和だった】

 天狗騨記者は午後三時少し過ぎに静岡から東京へと戻った。今彼は針のむしろに座っているかのような状態にある。

 ここはASH新聞東京本社。一人の論説委員が就活生を装ったテロリストによって、事もあろうにこの本社社屋内で銃によって殺害された。

 そのテロリストの犯行声明文と天狗騨の普段からの言動がシンクロしてしまったからたまらない。それは『米軍慰安婦問題』。そのため社に戻るなり社会部デスクからのパワハラを受けている。

「天狗騨ァ、さぞかし溜飲が下がっただろうなあ、お前が一生懸命に口にしてた『米軍慰安婦問題』があれほど取り上げられてなァ!」


 ASH新聞社内は事件から丸一日が経った後も異常な興奮の坩堝るつぼの中にあり、『皆が皆一致団結し敵を殲滅しなければ気が収まらない、これはやって当然の義務である!」といった精神状態にあった。社会部デスクも例外に漏れず〝その中の人々〟の一人となっている。


 こうした場でもほとんど唯一の例外と言ってもいいのが天狗騨記者。元々ただでさえ社内で浮いている上に、事件当日静岡に出張していて現場にいないアウトサイダー状態。これを嫌った部下の祭は早々に帰京してしまっている。


 天狗騨に対する社会部デスクの〝ほぼほぼ罵声〟がここぞとばかりにまだ続いている。とは言え彼にとって社会部デスクに対する反論など比較的造作も無い。が、人が一人死んでいる。さしもの天狗騨もこうした〝反論しにくい空気〟の中にどっぷりと漬けられてしまっていて、ものを非常に言いにくくなっていた。そんな中天狗騨は思っていた。

(存外俺も常識人だったという事か)

 同じ組織に属する人間が非業の死を遂げた結果、その組織内において何かしら反論めいた事を言いにくくなるというのはいかにも小市民的に思われた。


 天狗騨は帰京の際にわざわざ静岡のコンビニで昼食とともにASH新聞も購入し、帰りの新幹線の中で隅々まで熟読してきた。

 紙面は加堂内閣の犯行声明文をそのまま読み上げるという非常識な対応を激しく攻撃し、昭和の赤報隊事件と変わらない論調が社説から記事から、そうした一切合切で埋め尽くされていた。

 だが『米軍慰安婦問題』という語彙など紙面のどこにも見当たらない。それどころか犯行声明文を紙面に載せない事さえ正当化していた。

 天狗騨は苦虫を噛みつぶしたような顔をするしかなかった。

(この後の対応についての最善手が……、逆に『米軍慰安婦問題など取り上げない』に落ち着く他ないのか……)

 意外な事に、事この期に及んでは〝敢えて取り上げないという選択〟を、真っ向から否定できない天狗騨であった。


(テロリストに脅されて『米軍慰安婦問題』を言い出す形になるんじゃもう手遅れだ)

 テロによって新聞の紙面がガラリと変わる。これでは新たなテロを誘発しかねない。天狗騨の気分の底にはなにかしら重い重い沈殿物が積もる一方となっていた。


(だが今の我々は『言論の自由を守れ』『報道の自由を守れ』と正論を言えば言うほど憎まれる。〝社の方針としての行動の顛末〟がどうなるか分かりきっていても『正論』を振りかざすしか無いのだろう。結果どれほど敵が増えるか解っていてもなお、だ)


(昭和の赤報隊事件の頃は正論を言ってさえおけば正義になれた。それがそうならない以上、もはやこれは八方ふさがりなのだ——)


 もはや負けは確定していて〝最善手〟なる手がどうあがいても存在しないように思われた。


(テロリストが脅して来る前に『米軍慰安婦問題』を言い出せていたなら、かもしれなかったのにな……)


(——だからこそ俺は機会あるごとに『米軍慰安婦問題』を持ち出し何度も言及してきたのに、激高されるか、話しを逸らしてくるか、この二通りの反応しか戻っては来なかった)


 ただ沈黙を続けるばかりの天狗騨に社会部デスクは大いに気を良くし、ここぞとばかりに喋りがいよいよ止まらない。普段からの恨みが積もり積もっている。実は天狗騨はろくに話しを聞いていないのであるが。


 事件発生を知ってから後、天狗騨はこの事件についてのSNSのチェックをしないでは済まなかった。暇が少しでもあればスマホでチェックをかける。これは精神に与える悪影響から決して薦められてはいない、いわゆる〝エゴサーチ〟である。


 SNS上では『天誅』だとか『神罰』だとかいったワードが飛び交い、この現役東大生テロリストを『義士』と呼び、それがさらに発展する形で『安重根義士』『安重根』などと絡めて言及する投稿が非常に目につき、事実トレンド入りしていた。

 これは韓国的なる価値観を否定できないASH新聞社の価値基準を見透かした上での語彙選びとしか考えられなかった。一種の嫌がらせである。

 その後あの信じがたい官房長官の記者会見を経て『古溝』『加堂』、そしてあの『魔人カドー』なるワードが急浮上してくる。

 当然これに激高したASH新聞シンパ側が対抗しないで済ませられる筈も無く、SNSと言い、掲示板と言い、ネット上では双方の憎悪が激しく衝突し渦を巻き始めていた。少なくとも事件当日は双方の勢力は五分五分といったところであった。

 しかし昭和の頃は言論機関に対するテロの評価が五分五分などあり得ない事態である。



 だが事件翌日、即ち天狗騨が帰京した今日、SNS上では目に見えた変化が現れていた。

 『言論の自由』『報道の自由』がトレンド入りし、〝ハッシュタグASH新聞を応援します〟というワードがトレンド入りする事になる。

 『安重根義士』というワードも『それと東大生テロリストは同じにはならない』という文脈の投稿ばかりとなっていた。もう一方の勢力の投稿は僅か一日後には消えていたのである。


 明らかにこのテロを支持するアカウントが次々凍結された結果としか言いようがなかった。


(『米軍慰安婦問題』の追求などはさせまいと、これがアメリカ企業の自国に対する忠誠心か、)天狗騨にはSNS運営会社がどれほど美辞麗句を弄し自己の行動を正義化しても、もはや国粋主義者のようにしか見えない。

 かくして事件初日こそ近未来的カオスのただ中にあったSNSの中は、二日目になってほぼ完全に昭和になった。『言論機関に対するテロはいかなる理由があっても許さないぞ!』という昭和に。


(アメリカ企業が造り出す昭和とはこれ如何に、)天狗騨は思った。むしろこの〝皮肉な現実〟にニヤリとしそうにさえなってしまう。むろん社内の人間が一人死んでいる以上本当にニヤリとはできないが。


(こうなってしまってはデジタルネイティブも何も関係無いな)とも思う。


(Z世代だとかなんとか、マスコミが若者を特別視し媚びを売るのは昔からだが、異論の排除の結果一つの意見に塗りつぶされた言論空間の影響をそうした世代が受けるとするなら、昭和の頃と比べて人間は進歩しているとも言えない。新しそうに見える道具が結局なんだと言うのだ)

 そんな事を思いながら改めて昭和の赤報隊事件に思いを馳せる。天狗騨はこの1987年も社会が果たして一枚岩だったかどうかさえ疑っている。天狗騨の思考は千々に飛ぶ。


 天狗騨は1987年に起こった昭和の赤報隊事件の原因がASH新聞の『南京大虐殺肯定報道』にあると考えている。この報道は今現在の価値基準に照らすと報道と言うよりは中国の宣伝のようにしか見えない。なにより南京大虐殺が起こったとされる1937年のちょうど50年後のタイミングで昭和の赤報隊事件が起こったのである。

 だが事件をきっかけに当時の報道がASH新聞の行ってきた『南京大虐殺肯定報道』を分析したかと言えばそうではない。赤報隊と南京大虐殺肯定報道は直接結びつけられる事は無く、『言論の自由を守れ!』『報道の自由を守れ!』という一般論に終始し、それが実際ASH新聞側にとって功を奏した。


(そして今回は『従軍慰安婦』か、そして量ったように次は『言論の自由を守れ!』『報道の自由を守れ!』。まるで歴史が繰り返しているようだ。しかし、なにかの節目なのか?)


(こう言ってはなんだがなぜ今このタイミングで『慰安婦』なのか?)


 犯行声明文の中には『徴用工問題』とも絡められていた一節もあった。

(あるいはこれか?)とも思うが、どうも動機として腑に落ちない。


 こういう時は〝知っていそうな者〟の所に行くしかない。

 天狗騨はこの事件について、どうしてもひとつ引っかかる点があった。


(さっき部長には帰京の挨拶をしたばかりだが、もう一回行ってみるか)そう決断し天狗騨は立ち上がる。


「オイ、天狗騨、人が話しをしているのに勝手に席を立つとは何事だ⁉」と社会部デスクがどやしつけた。驚くべき事にまだ喋り続けていたのである。


「少し気になる事がありまして、どうしても思いついた事を今処理しておきたいんですよ」天狗騨は言うや既にフロアの中の移動を始めていた。

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