第二百二十六話【魔人カドー】

 東京都C区N町——首相官邸。古溝官房長官の定例記者会見が始まった。この会見が後の政治史に残るほどの重大記者会見になろうとは、現在この場にいる者としてそれを知る者は古溝以外にはいない。


「本日、ASH新聞本社における立てこもり事件で犠牲者が出てしまいました。心よりお悔やみ申し上げます」と古溝はまず切り出した。


 救命センターに担ぎ込まれたASH新聞社論説委員は、やはり助からなかった。そしてこの場に詰めかけたありとあらゆるマスコミに所属する政治記者達は、当然官房長官の口から〝真っ当な常識〟が語られるものだと根っから信じ、僅かの疑いも挟んでいなかった。

 そんな空気の中古溝は続けていく。

「現行犯逮捕された容疑者から首相官邸のサイト宛てに犯行声明文が送られていました。投稿時間を確認しましたところ、現在進行形で犯行が行われているその最中の時間でした——」


 官房長官のこの発言に記者会見場がどよめく。


「——事の特殊性、異常性を鑑み、情報公開の観点から『秘密主義はよろしくない』との総理の判断で今からこの私が代読させて頂きます」


 この言にどよめき再び。〝犯罪者の言い分〟の広報を政府が行うなど前代未聞である。ほどなくめいめいが声を挙げ始め、それは一大ブーイングの嵐となった。

 実はこんなものを朗読するなど正直古溝だってごめんなのである。ただ、加堂首相のめいとなればしょうがない。しかし記者連中が聞きたくないと言っているのであればこれは渡りに船であった。


「では後ほど報道各社にFAXにて送るという事で対応させて頂きます」古溝官房長官はこれで片付けてしまおうとした。


「そりゃあないでしょう!」とこれに異議を唱えたのがテレビメディアの政治記者。彼と立場を同じくする者達は一斉に同調し出した。紙切れ数枚程度か、そんなものに印刷された『犯行声明文』などペーパーで貰ってもしょうがないのである。文字通りそれでは〝絵にならない〟。

 内閣官房長官が肉声で読み上げその映像を流してこその〝絵〟なのである。かくして古溝官房長官は、『奴らの目の前で読み上げろ!』という加堂首相の極めて粗野な指示通り、記者達の前で〝犯行声明文〟を読み上げる事になってしまった。この時点でもうテレビメディアと新聞メディアの記者の間はぎくしゃくし出していた。


 仕方なく古溝は何枚かに重ね折りたたまれた紙を開き始めた。その開いた紙はA4大。まず注意深そうに数行程度だろうか、黙読すると、やおら声に出し朗読を始める。


「〔事件は既に起こされた。おそらく、ありとあらゆるマスコミは『言論の自由を守れ』『報道の自由を守れ』と声高な大合唱を始めるのであろう。いや、『あろう』どころではない。十中十間違いない。

 よくぞ立派な事を言う、とあらかじめ断定しておいてやろう。声だけは高い者が、ではこれまで言論の自由を行使してきたであろうか? 報道の自由を行使してきたであろうか?

 その答えをここで言ってやろう。その尊き自由を自ら投げ棄て、自らの意志で放棄してきた。そんな者どもが、自ら捨てた自由を『守れ!』などとはあまりに世の中と人間とを舐めている。そんなに人の恨みを買いたいのか。

 そう断定できるだけの根拠は『慰安婦問題』だ。

 ありとあらゆるマスコミは慰安婦問題を『普遍的な女性の人権問題』だとした。ならば日本軍の次は米軍であろう。日本の次はアメリカであろう。日本人の次はアメリカ人であろう。『韓国人米軍慰安婦などいない』と抜かせる者がどこにいるか。『米軍慰安婦に関する証言など存在しない』と抜かせる者がどこにいるか。

 なに、アメリカが相手とて問題は無い筈だ。ありとあらゆるマスコミの中にはアメリカのそれも含まれるし韓国のそれだって含まれている。日本人がこれら外国の連中からどれほど攻撃された事か。アメリカ人も韓国人も自分達の口が主張した価値観をゴミ箱に投げ棄てる事はできまい。それは『人権』をゴミ箱に棄てるという意味だからだ。当然『米軍慰安婦問題追及』の覚悟くらいはできている。なのになぜ日本のありとあらゆるマスコミは米軍慰安婦問題の追及を始めないのか?

 昨今『徴用工問題』なる別種の外交問題が日本にあるという事になっている。慰安婦問題を棄て〝ここまで〟をもってウヤムヤとし、『新しく造った問題』を騒ぎ立てる者達がいる。この『徴用工問題』なる問題を声高に叫ぶ者どもこそが言論の自由、報道の自由を、自らの意志で積極的に放棄している張本人どもなのである。

 『米軍慰安婦問題無き慰安婦問題』と『徴用工問題』には共通項がある。

 それはターゲットを日本と日本人に絞っているという、この一点に集約される。

 『特定対象に特定のイメージを持たせる事を目的とする』、これを報道とは言わない。

 これは宣伝広告の類いである。『宣伝広告』と『公平公正さ』ほど相性の悪いもの同士は無い。あらゆる対象を平等に俎上に載せる『宣伝広告』は存在しないのだ。即ち、あらゆる対象を平等に俎上に載せる行為こそが言論であり報道なのだ。

 よってこの自分は報道機関を襲撃したとは少しも考えてはいない。大手広告代理店を襲撃したと考えている。

 大手広告代理店の分限で『言論の自由』も『報道の自由』も無い。むしろ悪辣な広告は規制と処分の対象というものだ。

 『反日広告・反日宣伝』、いったい誰からこの差別的広告を広くぶつよう依頼されたのか、『言論の自由』『報道の自由』を声高に叫ぶ者はその邪悪な依頼主の名を速やかに明らかにすべきだろう。

 その上で改めて言っておくことがある。

 『言論の自由』『報道の自由』を声高に叫ぶ者達よ、諸君らが大手広告代理店の社員ではないと言い張るのなら、『言論の自由』『報道の自由』を真実行使してみせ給え。諸君らには慰安婦問題の続きを行う自由があるのだ〕——、以上です」古溝官房長官は紙片を畳み始めた。


「人一人死んでるんだぞ!」政治記者達の中、誰かが叫んだ。そうだそうだとたちまちのうちに同調の声多数。内容が内容である、さっきまでの新聞VSテレビメディアの反目が嘘のようであった。むしろ古溝に肉声で読み上げさせたのは失敗とさえ言えた。

「遺族の気持ちを考えた事があるのか⁉」

「政府が犯罪者の味方をするつもりか⁉」次々非難の声が挙がっていく。

「質問は指名を受けてからにして下さい!」官邸スタッフの声が飛ぶ。しかし古溝官房長官は官邸スタッフの方を制し、

「むろん政府が容疑者の味方をするなどありません」と口にした。しかし効果はむしろ火に油、さらに騒ぎが拡大していく。この状況にさぞかし古溝はたじろいでいると思いきや——

「と同時にあなた方の味方をする事もありません」と声のトーンもそのままに断言した。


 むしろ非難のボルテージが沸騰するとすればただ今古溝が口にしたことばこそ、その燃料たり得る筈であった。だがこれで一気にこの場が〝凪〟の状態と向かっていく。

 ここへ来て初めて指名を受けた記者が質問をするという本来の状態へと戻った。

「政府は言論機関に対するテロとは戦わないという事でしょうか?」指名を受けた記者の口がそれを言った。

 『戦うか?/戦わないか?』典型的二択の質問である。2000年代初頭、『テロとの戦い』が叫ばれた頃非常に流行した価値観であった。しかし古溝は真面目である事を放棄した。

「加堂総理はあなた方の『国立追悼施設報道』における手の平返しを、たいへんに恨んでいます」


 その言に、政治記者達の顔、顔、顔、みなどれもこれも固まり凍り付いていた。『常識』が一切通じない怪物を相手にしているようにしか皆思えなかったのである。

 それでも政治記者達はこの怪物に果敢に立ち向かっていく。次の指名者はこう切り出した。

「政府はテロ犯の主張に共感を覚えるという事ですか?」

 これは〝脅迫〟である。しかし、その感覚はまだ2000年代初頭の延長。一般的に言って脅迫は〝守るべきものがある者〟相手にしか通じない。


「『政教分離、政経分離同様、行為と言動も分離して考えるべきではないか』、それが総理の考えです」またも古溝が開き直ったかのような言を発した。


 この返答に質問者は呆然とするばかりであったが次の質問者が立ち上がる。


「米軍慰安婦問題を提起した場合、日米関係が緊張する事は避けられません。それは日米韓の連携に悪影響を与え、北朝鮮、ロシア、中国を利する。我が国の安全保障に重大な影響を及ぼします。政府はこの点どのように考えているのでしょうか?」

 これまた典型的。外圧を使った日本脅迫、安全保障を使った日本脅迫。手垢のついた手法と言えた。しかし古溝官房長官はこれにもまた無情な対応をした。


「政府が公式に米国に対し慰安婦問題を提起する事はありません。しかしあなた方は別だ。提起する自由があるし、提起しない自由もある。それに政府が干渉するつもりは一切無く全てはあなた方の自由な意志による。後はあなた方のその決断が第三者からどう見えるか? どう思われるか? という問題が残るのみです」


 この場にいる政治記者達は完全に絶望に打ちひしがれた。報道に携わる者が一人殺害されても無条件に正義になれない事がこの瞬間に決定されてしまった。

(このままでは言論機関が大手広告代理店にされるかもしれない————)

 言論機関に対するテロに政府がこれほど冷淡だとは、この場にいる誰しも信じられない思いだった。

(昭和はこんな事は無かった)と、昭和時代を経験していない者さえそうした懐かしき思いにとらわれた。


 しかし国立追悼施設手の平返しの一件を持ち出されれば、加堂という首相がいかに報道企業を憎み恨んでいるかは誰も彼も容易に想像できた。

 こうなってしまった以上、自分達報道企業を応援する空気作りは文字通り自助によってどうにかする他ない。『言論の自由』『報道の自由』は尊く否定は困難でも、『宣伝の自由』などという価値観はそもそも誰も聞いた事が無い。こんなものは簡単に否定されてしまうだろう事は誰しも容易に想像できた。まず自分達の行為が『報道』ないし『言論』だと認めてもらえるところから始めるところから迫られていた。


 しかし多数の人間がいれば空気を読めない者の一人くらいは出る。

「古溝ーっ、今言った事、全て記事に書くからなーっ!」 

 古溝官房長官は声のした方をジロリと見た。

「立ってものを言ったらどうか?」と古溝は口にしたが誰も起立しない。少し待ったが誰も起立しそうにない。

「出入り口のドアを全部開けて」と官邸スタッフに指示する古溝。記者会見場の全てのドアが開け放たれる。

「私はここに最後まで残る。名前も名乗らずコソコソ逃げ帰ったらいい」古溝はそう言い放った。

 政治家は選挙に落ちれば基本無職。一方で政治記者は身分の保障された一流企業のサラリーマン。覚悟が違って当然だった。

 古溝を呼び捨てにした政治記者は周辺の政治記者達にこづかれ始めた。それでようやく立ち上がらざるをえなくなる。

「所属を名乗ってから質問をお願いします」定番の文句を官房長官自ら口にした。

 立ち上がった者は明らかに言いたくなさそうだった。

「所属は?」古溝が再度尋ねると、ようやく、

「ASH新聞です」と名乗った。よりにもよってASH新聞だった。

「記事に何を書くのです?」古溝の方が質問をした。

「大手広告代理店に対する名誉毀損だ!」

 ため息で場が埋め尽くされた。

「それはなんという会社名ですか?」さらに古溝が続けた。

「おっ、大手広告代理店全般だっ」

「あなたの会社ではないわけですね?」

 今度は失笑が漏れた。報道企業に勤める人間が一人殺害されているのである。それを考えた時、それは漏れる筈の無い笑いであった。先ほどの場を満たしていた絶望の空気がこの瞬間に消えてしまった。だからついASH新聞の政治記者はカッとなった。

「なぜ政治家が質問している? 質問するのは我々の仕事だ!」とそのASH新聞政治記者は開き直った。

「ではあなた方の会社が大手広告代理店でない事に期待しましょう」古溝はそうコメントし、会見をここで終わりとした。

(総理、私にできるのはこの程度、これで少しは気が晴れましたか?)、古溝は密かに思った。


 古溝官房長官、この官房長官は本来こうしたやり取りはしない。無難に穏便にというのが〝その信条〟なのである。全ては加堂首相の指示あったればこそだと、その事は政治記者なら誰もが認識していた。



 こうして加堂内閣総理大臣は誰が名付けたか、この後『魔人カドー』との異名をとる事になる————

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