第二百二十五話【シン・赤報隊事件】

 立てこもり事件は膠着状態となった。テレビ画面も延々同じ映像が流れ続けるだけ。ASH新聞東京本社の映像だけをこのまま見続ける行為にどれほどの意味があるものか。さすがにこのままスマホでテレビ視聴を続ければ確実にバッテリー切れを起こす。

 天狗騨記者はスマホ視聴に見切りをつけた。


「事件は事件として我々は特集記事の打ち合わせを続けましょう」天狗騨は言った。


 この冷淡ともとれる〝言〟に祭は顔に不満の色を表したが、今から東京に戻って何ができるかを考えた場合、確かに何もできないのである。

 静狩は静狩でこの事件の顛末によっては〝この後のASH新聞の紙面構成がどうなるか未知数となる〟という不安を感じていた。しかしこういう感情を露わにするわけにもいかず、天狗騨の提案に、

「そうですね」と応えるしかなかった。


 そうこう業務を続けているうちに午前中が過ぎていき昼となる。

 天狗騨と祭の二人は昼食をSZO新聞本社の近くの中華料理店で採り、今会計を済まそうという正にその時の事だった。ふいにチャイム音が天狗騨達の耳に届いた。音の方向はテレビ。店のテレビに映し出されていた番組が報道フロアに切り替わっていた。

『13時2分、確保です。13時2分、容疑者確保』

 局アナが心持ち早口で必要最小限の情報を読み上げる。このままテレビを見ていたいがレジの前でこのまま立ち続けるわけにもいかない。会計を済ませるや店の外でスマホのテレビを点けた。


 最悪の事態が告げられていた。

 人質は現在〝公式には心肺停止状態〟で、ASH新聞東京本社の屋上ヘリポートに東京消防庁のドクターヘリが今正に降りていく様が映し出されている。天狗騨の危惧は現実となった。

 被害者は論説委員である事が判明し、その名前が何度も読み上げられている。顔写真は画面に出っぱなし。

 使用された凶器は3Dプリンターで造った〝銃〟。その銃はいかにもな銃の形をしておらず、ハードカバーの本のような形をしていた等々、続報が次々入ってくる。


「くそっ! これは第二の赤報隊事件だっ!」祭が怒りを爆発させた。駐車場で突如大声を上げた祭を避けるように歩いていく店の客とおぼしき人間。


「落ち着け」

 本当に落ち着いた様子で天狗騨は祭に声をかけた。


「天狗騨キャップは落ち着きすぎですよ! これは『言論の自由』『報道の自由』そして『民主主義に対する挑戦』です‼」


 祭が言った事は正論であり正面からそれを問われれば「そう」と認めるしかないのが普通。


 ただ天狗騨は自身で困惑していた。率直に言って腹の底から涌きだし吹き上がりとめどもなくなるような怒りが〝涌いてこない〟のである。

 天狗騨が〝怒りを感じる〟前に思い出したのはあの自身に対する査問会であった。

 今日銃で撃たれた被害者が出て、被害者の顔写真が出て、それでようやく(あの論説委員はこういう名前だったのか)と分かる始末なのである。特に天狗騨に突っかかってきた、間違いなくあの顔だった。湧いてきたものはこの程度だった。


 それは実に不思議な感覚であった。(あの男はもうじきこの世からいなくなるのかもしれない——)という。

 脇ではまだ祭が天狗騨をなじっているが、天狗騨は特段怒り出すことも無く、

「祭君、45歳定年制を押し進めようとした社長が殺害されたあの日、君は目の前にある仕事に冷静に取り組んでいた」と祭に向かい言った。


 これにたじろぐ祭。


「これを言ったら〝人間失格〟だが、俺は周囲に失格者だと思われている。だから言えるが、世の中には死んでも同情を集めない人間がいる。それがこの社会というものじゃないか?」


「しっ、しかし同じ会社の人間ですよ、仲間じゃないんですか⁉」


「仲間、な」


「天狗騨キャップには査問会の時の恨みがあるんじゃないでしょうね?」


「そこは逆だろう。あの場にいたほとんどの者に恨まれるのが俺だ」


「なら恨む動機があるって事じゃないですか」


「そこまで買いかぶってくれるとは思わなかったが、しょせん俺はこの間まではヒラの記者。俺の内心なんかよりこの事件に対する社会の反応を心配した方がいい」


「どういう意味です?」


 〝そこまで買いかぶってくれるとは思わなかったが〟には『イジメを受けて恨まない人間だと思うなよ』と相手(この場合は祭)に思われていたという事で、天狗騨的には好ましい事だった。だが今は個人的な話しをしている状況ではない。〝社会の反応〟の話しを始める事にした。

「君はこの事件を〝第二の赤報隊事件〟と言ったな」と天狗騨は確認する。


「言いました。当然出てくる発想です。言論機関が狙われたテロなんですから」


「それも〝恨み〟の感情だな」


「そんな低次元なものではありません! もっと高尚なものだ!」


「昭和の赤報隊事件は社会がASH新聞の味方をしてくれたからそう言えた。だが現代社会が昭和時代並にASH新聞の味方をしてくれるのか? これは必然〝恨む・恨まない〟の問題となる」


「なら簡単な事です。昭和並みにこちらが圧倒的正義になればいい。言論機関を狙ったテロを支持する者は民主主義の敵だ!」


(アメリカかよ、)と天狗騨は思うが、あまりに真剣すぎる怒りに却って何か〝反論めいた事〟を言う気にもなれない。代わりに祭に言ったことばは、

「予定では明日まで静岡滞在だ」だった。


「天狗騨キャップ、私でなければできない事はもうここにはありませんよね?」


 天狗騨はただ無言で祭の目を見るのみ。


「ならば私は今すぐ東京へ戻ります」


「戻ったところでできる事などあるか。この事件の掘り下げなら他の人間がとっくに取りかかっているだろう」


「自分の共同体が狙われてそれでこんな所に居続けられるわけがないでしょう! こんな時に皆と同じ空気を吸わなくて後で絶対後悔します!」


「皆と同じ空気を吸ったら雰囲気に飲み込まれるぞ。事件が起こった時にたまたま取材で東京を離れていたってのも〝天の配剤〟ってもんじゃないのか?」


「ここで〝天〟とか言うことが信じられません。まさか天狗騨キャップはこれが天罰だとか抜かしませんよね? 私は絶対今日東京へ戻ります!」


(〝天〟はまずかったか、)と思う天狗騨だったが、率直な感想としてこれには微塵の嘘も入り込んではいない。とは言えさしもの天狗騨も次のことばを探しあぐねているうちに、さらに祭が畳みかけた。

「——第二の赤報隊事件が起きているのに」と感情に任せるまま〝言うべきでないセリフ〟を祭も口走る。と同時に既にタクシーを呼び出し始めていた。


(ここに静狩さんがいなくて良かった)と天狗騨は思うしかない。もはや祭をなだめるための上手いセリフも言い回しも一切思いつかない。

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