第二十一章 回天
第二百二十四話【立てこもり事件発生‼】
静岡県。SZO新聞本社に天狗騨記者はいた。ただ今当該社屋応談室にて同新聞の静狩記者と〝リニア中央新幹線共同特集記事〟の最終的打ち合わせの最中である。傍らにはもちろん祭記者もいる。
その最中の事だ。突如応談室の中へSZO新聞若手記者が飛び込んできた。〝ノック〟も無しに、である。
「天狗騨さんASH新聞がたいへんだ! 早くテレビを!」
その若手記者は自社の静狩ではなく天狗騨の方へと〝ことば〟を飛ばした。その声調子から尋常ならざる事態の発生を瞬時に悟った天狗騨はスマホでテレビ放送を点ける。公共放送の画面が映る。
いの一番に目に入ってきた字幕が、
【ASH新聞社で立てこもり事件発生】だった。
「なんだこりゃ?」と声が出たがこれは祭の声だった。天狗騨は声も出せずに画面を見たまま固まったまま。
その画面には天狗騨達にとってはおなじみのASH新聞東京本社の建物がヘリコプターによる空撮で映し出されていた。既に静狩も自身のスマホでその中継を確認中。
「警備はどうなってるんだ⁉」怒りとも苛立ちとも言えることばが祭の口から飛び出した。
1993年、右翼団体主催者がASH新聞東京本社役員応接室で社長と会見中に拳銃自殺するという事件が起こった。この時はこの主催者が自身に凶器を向けてくれたため『報道の自由・言論の自由』を脅かす事件にはならなかったが、拳銃という凶器の中の凶器をASH新聞東京本社内に持ち込む事を許してしまったという意味では大事件であった。
それ以降警備に一定以上の神経が割かれ、現にそれ以降この場所を現場とする事件は起こっていない。
だから天狗騨は別のことを考えていた。
「内部の者の仕業かもしれん」と、声も出てしまった。
「どこからその発想が来るんです?」と咎めるように祭。
天狗騨は眉間にしわを寄せながら祭を見て、
「先週、社長室殺人事件があったろう? 45歳定年制を押し進めようとした社長が部下の秘書室長に殺害された事件だ」と口にした。
「じゃあ社員が上層部に恨みを持ってるって事じゃないですか。ウチの会社が同じだと言うんですか?」
「何歳で定年にするかという問題じゃなく、平たく言えば『パワハラ案件』かもしれんという事だ」
天狗騨には当然心当たりがある。日常的に社会部デスクから嫌がらせを受けている。しかし天狗騨の場合はそれがろくに気にならない。確かに社内の階級差を使ったパワハラを受けてはいるのだが社会部デスクがあまりに天狗騨にとって相手にならない事と、社会部長の存在が状況を中和しているためである。
(ウチの会社も社説や記事はご立派な事を書くが人間的にろくでもない者は割といるからな、ろくでもない上司が恨みを持たれた可能性は十分あり得る)などと天狗騨はそれこそろくでもない事を考えていた。そしてもう一つ、ろくでもない事を思いついた。
それは(中道キャップに今電話したらどうなるか?)であった。(事件現場にいるんだから事情を知っていそうだ)とそう思ってしまった天狗騨はテレビの視聴を中断し、さっそくに中道に電話を入れた。すぐに繋がった。
「今静岡から見てます。全国中継ですよ、何がどうなってるんです?」天狗騨が間髪入れず訊いた。
『そんなの分かるわけがないだろう。警察からは出入り口の扉を閉め鍵をかけ待機しろと言われているだけだ』
「誰か取材に行かないんですか? 皆さん記者でしょう?」
『犯人は凶器を持っている上に人質を取っているんだ』
「凶器の種類は? どの部屋へ立てこもってるんです? 人質は誰ですか?」矢継ぎ早に天狗騨の質問が飛ぶ。
『そんなものは全部分からない。分かっているのは犯人が就活生って事だけだ』
「犯人が就活生? それで警備の網を楽々すり抜けたって事ですかっ?」
天狗騨のそのことばを拾った祭と静狩と若手記者が明らかに動揺の声を上げた。しかし電話口の向こうの中道からは、
『事件が起こる時ってのはこんなもんだ。どこか緩いんだ』と戻って来るのみ。
(確かにそういうものかもしれない、)と天狗騨。しかし明らかな失態である。
「じゃあ人事部の誰かが人質に?」とさらに天狗騨が質問を続ける。
『いや、もっと偉い人の筈だ』
(偉い?)
「まさかウチの部長が、」
『どうしてそういう発想になる?』
「〝偉い〟と言われたもので」
『もっと上だよ、上』
「なんで就活生相手にそこまで偉い人が? 一般論として会社案内に〝偉い人〟が出てくる会社は規模が極めて小さな会社じゃないですか」
『今日来た就活生が東大生だったらしいんだ。それで調子に乗ったんじゃないか?』
「ホントですか⁉ それ⁉」
昔は珍しくもなかった。だが昨今東大卒業見込みでASH新聞社を受けようとする学生は、会社としての将来性を見透かされたが故なのか、極めて希少種である。だから中道に〝調子に乗った〟云々言われても(さもありなん)と思えてしまう天狗騨であった。
「なにが〝ホント〟なんですか? 天狗騨キャップ!」と祭がやかましく訊いてくる。天狗騨はその祭を左手で制し、中道に〝続き〟を頼む。
『人事部に確認したら「東大の学生だ」と言うんだ。この事は警察にも話してあるって話しだ』
「俄には信じられませんが」
『そうだな。テレビを見る限り現時点でこの情報は出ていない。目下警察が裏を取るために動いているんだろう』
「犯人は単独犯なんですね?」
『らしいな』
「他には?」
『これ以上は分からん。後はテレビでも見ておくしかない』
これで中道との通話は切れた。
天狗騨は口を開いた。
「犯人は東大生らしく、就活生を装ってASH新聞東京本社侵入に成功したらしい」
これには誰しも唖然とするほか無いが、いち早く立て直した祭が、
「偽学生の可能性は?」と訊いた。
「分かっている情報は全て警察に報せてあるらしい。現在ウラを取っている最中のようだ」
それを言うと皆が押し黙った。
天狗騨は無意識にまたスマホのテレビを点けた。本来ならこんな事でスマホのバッテリーを浪費すべきではない。しかしこのSZO新聞社屋内という場で、街頭テレビよろしくみんなでテレビを見る気にもなれなかった。何と言ってもASH新聞社の事件なのである。
天狗騨には嫌な予感がしていた。先週、有名企業の社長がその部下によって社長室で殺害された。ASH新聞社も一応有名企業である。
(社長、とは思えないが誰か〝偉い人〟が人質に取られているらしい。就活生は厳密には社内の者ではないが〝社内の者候補〟であるのは間違いない。在籍大学が東大というのが本当なら、現在のウチ〔ASH新聞〕なら事実上ほとんど社内の者ではないか)
(そしてひとたび重大事件が起こると模倣犯が出るという……)
(殺害、されたりしないよな?……)
中道キャップとの通話が終わりどれくらい経ったろう、皆がスマホのテレビを見ているうちに局アナが〝ソレ〟を読み上げ始めた。立てこもり犯が就活生でありしかも東京大学に在籍している旨、である。警察がウラを取った事を意味していた。
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