第二百二十話【SDGsとリニア中央新幹線+】

 天狗騨記者が件の手帳を懐から取り出しパラパラパラと頁をめくる。ある所で指の動きが止まりその頁をSZO新聞・静狩記者に示し言った。

「これなんですが、」


「『SDGsエスディージーズとリニア中央新幹線』……、そして副題が『美しい国土を守る』ですか、」

 手帳に書かれている通りをそっくりそのまま声に出して読み上げた静狩。ふいにパッと表情が明るくなる。

「天狗騨さん、イケますよこれは!」


 天狗騨も髭もじゃの口をニカッと開いて笑う。

「少なくとも五分以下にはならない。そういう自信はあります」とそう言い切った。


「いや、〝五分〟どころじゃない。これは勝てますよ。そうか、SDGsか。大井川の流量が減ってしまったら〝持続可能の経済〟どころじゃない!」静狩は膝を打った。


 天狗騨は自分の手帳を見返す。

「ざっと見た感じ『SDGs』が定める17の目標のうち、4つほど関係がありますね、」


「——目標6では『すべての人々が等しく、する』と謳ってあり、」


「——目標8には『持続可能な経済成長を遂げるためには、経済を刺激し、整備することが必要です』とあり、」


「——目標12には『の整備』、」


「——さらに目標15には『陸上生態系の保護、回復および持続可能な利用の推進、、砂漠化への対処、土地の劣化の阻止・回復および逆転、ならびにを図る』とある」


「——さらに言うならこの『SDGs』という価値観を正面から否定できる日本人はいません。SDGsとは日本を含め193の国連加盟国が参加した2015年の国連サミットで『2030年までに目指したい持続可能な世界』を達成するために採択されたわけで、日本も賛意を示した過去がある。これは地位のある人間ほど否定できない。言わば外圧戦術の応用です」と天狗騨が補足説明する。


「確かに『SDGs』という価値観は純粋に日本発かというとそうでもない。しかし日本は賛同している。これはASH新聞的目の付け所ですよ」


 静狩の〝言い様〟を複雑な表情で聞いている祭記者。


「しかしこれだけだと外国人におもねる〝反日新聞〟と言われてしまう。そこでこの副題です」と天狗騨が註釈を付ける。


 静狩はもう一度天狗騨の手帳に書かれた副題を思い出す。

「『美しい国土を守る』、なるほど、『国土を守る』ですもんね」


「敵勢力は右サイドからの攻撃を仕掛けてくるのは確実です。だったらこちらも『国のため』という看板を掲げケアするのは当然の戦術です」天狗騨は言った。


「『右サイドからの攻撃をケアすべき』とはまるでサッカーですね、天狗騨さんはサッカーはよく見られるんですか?」


「嗜み程度です。ただサッカーは弱いとされているチームが強いチームを破る事がありますね?」


「いわゆる『ジャイアント・キリング』というやつですね」


「そう。それです! 巧みな戦術で弱者が強者を屠る。そういうのが〝たまらない〟クチなんですよ。どうも生来ひねくれ者で、純粋に強い者を応援できない」


 しばしサッカー談義めいたやり取りで静狩は大いに気をよくした。『J』も『高校』もここしばらく低迷気味とは言えそこは静岡在住者である。


「となると、〝その次の手〟についても腹案がありますか?」静狩はさらに続きを訊いた。


「NIEです」


「エヌ・アイ・イー、確か『newspaper in education』でしたよね、『教育に新聞を』という」


「はい。私は今回のこの特集記事を『SDGs』を考えるための学校教育の教材として利用する事も可能なものにしたいと、こう考えています」


「よほど解りやすくという事ですよね、」と言って腕組みをする静狩。


「実は静狩さん、ここは『あなたの独壇場に』と私は考えています」


「どういう事です?」


「〝与党政治家の行う政府質疑〟と考えて下さい。あれは政府が聞いて欲しい事を訊くケースが多々ある。私が与党政治家の役で、静狩さんが政府の役です。あなたがぜひとも訊いて欲しいという質問を私がします。あなたはその質問に対し大いにSZO新聞の社論をぶって下さい」


「それを我々がASH新聞紙上でやって構わないのですか?」


「もちろんです。と同時に同じ記事はSZO新聞にも載ります。それはSZO新聞購読者からしたら過去読んだ事のある内容となる。オーソドックスな記事の書き方をしてしまえばほとんど同じ記事の再掲です。見た目が明らかに違うような記事にするためには質疑応答の体裁を整えた対談型しかありません」


「なるほど。それに『対談型』は解り易いかもしれませんね。NIEにぴったりだ」


「ただ、紙面にはスペースというものがあります。私に与えられるスペースは〝10回分〟に過ぎません。そして静狩さんにはその半分の〝5回分〟を用意します」


「半分もの〝事実上の編集権〟を我々が獲ってしまっていいのですか?」


「これはあくまで対等な立場での提携共同記事です。フィフティーフィフティーは当然の事です。なにせリニア南アルプストンネルの件ではSZO新聞は我々(ASH新聞)よりも明らかに先行していますから。その取材材料を使用する事ができるのは当然取材をしたSZO新聞ですよ」


「なるほど、これは追い風だ」


 この後トントン拍子で特集記事の構想が形を成していく。

 そんな中突然祭が切り出した。

「天狗騨キャップ、大学教授達に対する取材の件も急いだ方がいいわけですよね?」


「そりゃそうだ。静岡県知事がリニア推進派の条件を呑んで期成同盟に加盟してしまった以上は時間があとどれくらいあるかは解らない」


「では私は明日朝一番の新幹線で本社に戻りその仕事に取りかかります」きっぱりと祭は言い切った。


「どういう風の吹き回しなんだ?」

 を頼んだにも関わらず静岡までついてきたのが祭だったから、当然こうした疑問も口から出る。


「この特集記事に少しでも協力せねばと、そうからです」祭は答えた。


(〝自分に押される〟とは変わった言い方だが、)と思うも、

「よしっ、じゃあ行け」と天狗騨もまた背中を押した。


「大学教授連に何を取材するんです?」静狩が訊いた。


「大井川が消滅する可能性についてです」祭の方が答えた。


 これには「えっ⁉」と言って固まってしまう静狩。


「元々は私が言い出した事です」と天狗騨がそれを引き継いだ。


「いったいそれは……?」あまりにショッキングな発言に静狩の口からはろくにことばが出てこない。


「大井川の水量が減るというのは確実視されてはいるが減る水量が分からない。という事は、もの凄く減る可能性はゼロではない。〝もの凄く減る〟とは大井川という川が消えて無くなる事です」天狗騨が答えた。


「そこまで想定して書きますか?」


「はい。私は大井川が中流域で消滅してしまう可能性を想定しています。何しろ人間の行動によって面積10分の1になってしまった湖や、存在そのものが消滅してしまった湖がありますからね。水資源激減ないし消滅の実例がある以上〝想定外〟は言い訳にはできません」


「それは、海外ですか?」


「日本の右翼・右派・保守派が蛇蝎の如く嫌う『ソビエト連邦』と『中華人民共和国』です」とまで言って天狗騨は手帳を繰り始める。


「——カザフスタンとウズベキスタンにまたがる『アラル海』という湖があります。かつては世界第4位の広さの大湖でしたが現在その面積は10分の1。こうなってしまった原因は〝川〟なんです」


「川、?」


「このアラル海という湖に注ぐ二本の川、シルダリア川とアムダリア川という川があるのですが、この二本の川の水をソビエト連邦が綿花や水稲栽培のための農業用水として過剰に摂取してしまった結果、川の流量が激減。アラル海までろくに水が流れ込まなくなりこの体たらくというわけです」


「では消えた方の湖が中国ですか?」


「はい。新疆ウイグル自治区にあったロプノール湖です。20世紀半ばまでは存在していたとの事ですが今は消えています。やはりこちらも川絡みです。この湖に流れ込むタリム川という川の上流にダムが建設された事が消滅の原因と考えられています。が、場所が場所だけに真の原因が何なのか外国人には実施調査のしようがありません。確実に言えるのはダムの存在とタリム川は湖に届く前に消えているという事です。つまり、川が下流まで届かず長さが短くなった」


「——ただソビエト連邦も中国も、川の水そのものを利用するためにこうした状態になったわけで、電車を通すための穴を掘って同じ状況を造ってしまったら日本がどれだけマヌケかって事です。よく言いますよね、平和ボケ日本人を揶揄する『日本人は水と安全はタダだと思ってる』ということばが。これは右派・保守派が好むフレーズでもある。しかし〝水がタダ〟だと思っているのはいったい誰でしょうか? 要するに『愛国者は誰か?』をこの特集記事では日本社会に問います」天狗騨は言い切った。


「我々の方が〝愛国者〟になるわけですな」と静狩。


 ここで突然祭が立ち上がった。

「天狗騨キャップ、明日帰ると言いましたが今から帰京します」と言うや半身をひねり「ここの代金は経費で落ちる筈ですので行きます」と言って喫茶店の出口へ向かって歩き出していた。

 あっけにとられその後ろ姿を見送る天狗騨と静狩。


「これはいよいよ面白くなってきたという事でしょうね」静狩は言った。

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