第二百十九話【静岡でも喫茶店密議】

 今現在、天狗騨記者と祭記者はホテルなどにいなかった。登呂遺跡観光(?)の真っ最中である。それもその筈、昼前からホテルにはチェックインなどできないからであった。一般論では15時過ぎから。


「これが竪穴式住居か」などと言いながら天井を見上げたり、土間(?)をぺたぺた触ったりしている天狗騨。


 祭は天狗騨がタクシーに乗り込むなり「ここから一番近い名所史跡はどこでしょう?」と運転手に訊いたことに卒倒しそうになった。「ちょっと。」と制動をかけるも「こんな時間からホテルにチェックインできるわけないだろう」と真顔で言われ返す言葉も失った。

 運転手から「ここから極近所に『登呂遺跡』があります。国の指定史跡にもなっていますね」と戻って来ると。天狗騨は、

「名前だけは聞いたことがあります。一度見てみたかったんですよ」とGOサインを出した。


 SZO新聞本社から登呂遺跡までではあまり上客とは言えなかったが、それでもわざわざ呼び寄せたタクシーである。乗らない道理も無くタクシーは登呂遺跡へと発進し現地到着、そして今ふたりは観光中なのである。


(取材に来て観光か……)と思う祭だが観光でもしていないと確かに時間の潰しようがない。


「高床式倉庫というのは正倉院の原型かね」などと言いながら実にゆっくり見て廻っている天狗騨。必然祭もそれは同じ。

 何より祭が呆れたのは、天狗騨が昼食のことをすっかり忘れているようであったこと。


 そんな折も折、天狗騨のスマートフォンが振動し出した。

「はい」と天狗騨が出ると、

「SZO新聞の静狩しずかりです」と相手は名乗った。

「さっそくのご連絡ありがとうございます」と応じる天狗騨。

「天狗騨さん達は今日は静岡で一泊ですか」

「その予定です」

「では今日の16時に——」

 と静岡駅北口に隣接するホテル内喫茶店を会談場所に指定された。天狗騨は自分の容姿の特徴を告げ、それでこの電話は終わった。

 通話が終わるなり祭が切り出してきた。

「やけに早いですね」

「だな」

「これがASH新聞の権威というやつでしょうか?」

「一応権威のカケラくらいは残っていると思うが、何か切羽詰まった事情がありそうだ」と天狗騨は返した。

「16時ならまだここにいられるな」などと天狗騨は言い、改めてまだ見ていない箇所を最後まで見て廻る意志を示した。

(勘弁してくれ)と祭は思うがどうしようもない。


 静岡駅北口のホテルは先代の天皇が来県時に宿泊した事もある。少なくとも取材でやって来た新聞記者が〝宿はここにしよう〟とすればASH新聞であっても後で経理の方からお小言を食らう可能性大である。

 遅い昼食を済ませた後天狗騨達は指定されたそのホテル内喫茶店に15時半には着いた。その姿をめざとく見つけた者が早くも。

「天狗騨さんですね、こっちです!」と立ち上がる者アリ。


 歳は40半ばほど、天狗騨記者より半回りほど年上に見える男が左手を上げていた。

 その席へと迷う必要もなく近づいていく天狗騨と祭。今度は向こうから名刺を渡し返された。


 SZO新聞政治部『静狩』、と記されていた。


「私が今現在の『大井川とリニア南アルプストンネル』の特集記事の責任者です」静狩は名乗った。

 これを受け天狗騨と祭の側も自己紹介を始める。互いにさらにいくつかの形式的な挨拶を終えると事実上の開口一番、静狩はある種とんでもない事を言ってのけた。

「一発で分かりましたよ」と。しかし天狗騨もあたかもその反応を予見していたかのように、

「そうでしょう、人間、分かり易いようアイコン化するのも必要です」と応じた。


 祭はこの全面髭だらけの面相を、なぜ天狗騨が続けているのか分からず、また聞く勇気も無かったが、その理由の一端が見えたような気がしていた。


「それにしてもずいぶん急でしたね、突然話しを持ってきて今日このように面会の機会を得られるとは思いませんでした」と天狗騨が切り出した。


「実は今までの特集記事取材班の報道が徒労に終わりかけているのです」苦渋の表情を浮かべ静狩がその疑問に答えた。


「なにかありましたか?」天狗騨は訊いた。


「実は静岡県知事が『リニア中央新幹線建設促進期成同盟会』に正式加盟する事が決まってしまいました……」静狩が絞り出すような声で喋り出す。


「あの排他的な組織が無条件加盟を認めるわけがないでしょうね?」天狗騨にはさっそく予感がしていた。(切羽詰まった事情とはコレか)、と合点がいった。


「おっしゃるとおりです。『現行南アルプスルートでの整備を前提にしているか』、『品川—名古屋間の2027年開業、大阪までの2037年の開業を目指す立場であるかどうか』この二点を確認できたので『静岡県知事の加盟を認める』と。愛知県知事などは『満額回答を得た』とご満悦です」


 ここでコーヒーが三人分運ばれてくる。


「要するに〝工期の限定〟と〝ルートの現状維持〟と、手枷足枷両方付けたという事じゃないですか」天狗騨は憤りの感情も露わに言った。


「ただし、多少静岡県側の要求も入ったと、そう言えるだけの〝余地〟は無い事もない」と静狩は若干憤りからは距離を置いた。


「という言い方は〝事実上無い〟という意味に聞こえますね。しかしそれはどんなです?」


「『静岡県内の課題解決に〝〟取り組みを進める』と国の関与を引き出した点ですね。ただしこれは〝表面上は、〟に過ぎないのかもしれません。知事は与党のリニア推進派議員に期成同盟会に入るよう薦められて決断したわけですし、薦めた側の手前これくらいは、という訳です」


「なるほど、今回の件、国会議員連中も噛んでいるわけですか。リニア推進派の国会議員連中が、自身が不利になる事をやるわけがないというわけですね」


「見ようによっては嵌められたようにも見えるし、中に入って意見を言えず外野で騒いでいるだけでは何も動かないとも言えるし、選挙で知事に投票した有権者は実に複雑です」


「しかし与党は与党、問題は国がというか政府が静岡県の味方をしてくれるかどうかですね」


「そこなんですが、首相がリニアに試乗したりしてますしね」


「確かに。リニアを国策だと思い込んでいる政府もどこまで静岡県側に立つか怪しいものがありますね。与党のリニア推進派はそれを見越していると」


「そうなんです。正にそこです!」と静狩はここで初めて語調を強めた。


「——我々地方紙は国に圧力をの紙面を造る事はできますが、実際圧力にもなりません。そんなところに天狗騨さん達の来静です。ASH新聞なら国に圧力をかけるくらいは日常茶飯事レベルの意識でできると、私はそう考えています。こう言ってはなんですが、全国紙の中にも経済上の観点からリニア推進に傾いている新聞がありますから」


「とは言え実際圧力にならないのはASH新聞も大差はありません。なにせ反日新聞だからリニアに反対しているという事にされるのは火を見るよりも明らか、」

 この天狗騨の言い様を聞いた静狩は目を白黒。祭も内心で頭を抱えていた。

「——しかしです、我々としては愛知県に圧力をかけるよりは国家に圧力をかける方がやり易い。国家を相手にした方が何らかの効果を出せると踏んでいます。私はむしろ静岡県知事がよくぞ期成同盟会を政府のコントロール下に置いてくれたと、そう思いますね」


「すると勝算があると?」


「実は我々は鼻つまみ者でしてね、」と天狗騨が内部事情を持ち出し横で内心(オイオイ)の祭。「——この特集記事が或る意味ラストチャンスでもあるんです。だから普通の特集記事にはなりません。思う存分煽ります」


「まるで週刊誌ですね」


「週刊誌が扱うテーマにしては高尚すぎますがね。それより貴社の中に『ASH新聞と組むなど逆効果』という考えの方々がいると思われますが、それら反対勢力の抑え込みの方をよろしくお願いします。我々の方はリニア中央新幹線についてSZO新聞との提携の許可を上から取ってあります」


「もう上層部と。天狗騨さんはよほどの実力者なんですね」


「いやいや、鼻つまみ者です。味方はいない事もないらしいというのは分かりましたが、周囲は敵だらけです」


「まるで静岡県の置かれた状況です。いくら大井川の事を力説しても日本全国に響きません」


「世の中そんなものです。それをどうにかするのが我々記者の腕の見せ所というわけです。そこでです、もう打ち合わせかと驚かれるでしょうが、リニア中央新幹線の特集記事についての我々の概案を聞いて頂けますか?」

 天狗騨が新聞記者というよりは、まるで一般企業のサラリーマンの如くプレゼンテーションを始める意志を明らかにした。


(天狗騨キャップってこういう人だったっけ?)と置いてけぼりを食らいつつある祭。当然そんな〝概案〟については天狗騨からは何も聞かされていない。

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