第二百十八話【SZO新聞との交渉】

「しかし静岡総局の皆さんは微妙な応対でしたね」祭記者は言った。

「何しろ本社から来た人間が競争相手と業務提携するんだからな」

 自分でやっておいて他人事のように分析してみせる天狗騨記者。


 ASH新聞静岡総局の前に一台のタクシーが滑り込んで来る。天狗騨と祭はそのタクシーに乗り込んだ。

「SZO新聞本社まで」と天狗騨が運転手に告げた。後部ドアが閉まりタクシーは動き出す。


「いつの間にアポを取ったんです?」祭が訊いた。

「そんなもの取ってるわけがないだろう」天狗騨が無造作に答えた。

「取ってないんですか⁉」祭の声が甲高くなる。

「電話で『ASH新聞ですが、』などと名乗っても胡散臭い電話でしかないだろう」


(そりゃそうかもしれないが天狗騨キャップの場合、その髭面をどうにかした方がいいんじゃあ——)と祭は思ったが口には出しては言えない。

 今度は逆に新幹線の高架下をくぐり静岡駅南側へ。タクシーはひた走る。

 新型コロナウイルス以降、タクシー車中のような狭い場所で会話をするのははばかられる雰囲気を今なお引きずるのが日本社会である。それ以降ふたりは車中で黙り込んだまま。



 やがてタクシーはSZO新聞本社へと到着した。珍しく天狗騨が普段は輪っかにして首を通してあるだけのネクタイをきゅっと締めた。

 そしてタクシーを降りた天狗騨は意気揚々と、祭はどこか不安げな足取りで社屋へと突入していく。そしてふたり、受付に名刺を渡した。



 或る意味当たり前の展開となった。

 面談室へは通されたものの広報担当が出てきて『お話しをうかがいましょう』という展開だ。

 天狗騨は名刺をその広報担当氏にも渡す。次いで祭も。

 天狗騨が口を開いた。

「我々ASH新聞はリニア中央新幹線の現行ルートでの工事に多大な懸念を持ち、これを阻止すべきと考え特集記事を組むことにしました」


「そうなんですか」と広報担当氏、注意深そうに天狗騨の顔をうかがっている。


(やっぱり、天狗騨キャップの場合その髭じゃないか)と同じ事を思ってしまう祭。

 まともにネクタイを締めようとASH新聞記者というよりは胡散臭いフリージャーナリストにしか見えない、それが天狗騨である。しかし天狗騨は相手の怪訝そうな表情についてまったく気にする様子も見せず続けていく。


「世の中便利になっていましてね、」と天狗騨が妙な方向に切り出し始めた。「——日本全国の新聞の縮刷版をネットで見ることができるんです。有料ではありますが。ただし時期は1980年代半ば以降限定です。しかしそれについては今回は無問題でした」


「——SZO新聞のこれまでのリニア南アルプストンネルについての特集記事を精読させて頂きました。SZO新聞には長年の取材を通じ多くの知見が積み重なっています。私は貴社の編集方針が我が社の編集方針と同じであると確信し、今回の私どもの特集記事をSZO新聞との共同記事として書いて紙面に載せるべきと考えました。本日うかがったのはそのためです」


 広報担当氏は目を白黒させている。

 天狗騨は『』と言った。つまり同じ記事を異なる新聞に載せるという事である。

 地方紙であれば通信社から記事を買うのは当たり前で、そういう意味では同じ記事が異なる新聞に載るというのは珍しくもなんともない。

 しかしそれが『全国紙の特集記事』となるとまったく話しが違ってくる。しかも一方的に記事を受け取るのではなく、その記事づくりに参加できるという。

 ASH新聞の記事がSZO新聞の紙面に載ると同時に、それを意味していた。


「いま『』とおっしゃいましたか?」

「いかにも『』です」

「そういう話しは私の一存では、」まで言って広報担当氏は語尾を濁した。

「それはそうでしょう。では我々はいったん引き取り、明日また同じ時間にうかがいます」天狗騨はそう言うと「さあ祭君、行くぞ」とさっそく祭に立つように促した。


(交渉は長引くぞ)と思っていた祭は拍子抜け。始まってから5分ほどしか経ってない。しかしキャップが『引き取るぞ』と言っているのだからその通りにするしかない。


 かくして面談室を、SZO新聞社屋を出る天狗騨と祭。


 再びタクシーを呼んだ後、祭が訊いた。

「やけにあっさり引いたように思えるのですが」

「これ以上粘ったら迷惑だろう。押し売りか押し買いのようだ」

「どういう意味があったのでしょうか?」

「名刺を置いてきた。電話でのアポでは渡せないシロモノだ。後はASH新聞のブランドにどれほど力が残っているかという問題だな。ま、〝偽造しようと思えばできる〟と言えなくもないが」

「じゃあ最初からそれ以外するつもりが無かったって事ですか?」

「その通り」

「では静岡県知事への取材とかは?」

「考えていない。効果が無いのは解っているからだ」

「それ本気で言っているんですか?」

「少なくとも我々の敵はそういう事にして片付ける。何を書くかは味方以外の者に対しても効果があるかどうかで決める」

「じゃあどこへ取材に行くんです?」

『そいつらの言っている事はおかしいぞ』と言えなければ勝利などおぼつかないからだ」

「リニア推進派なんて静岡県にはいないんじゃあ……」

「そう、もちろんいない。だから今日はホテルにチェックインして後はゴロ寝だ」

「たったこれだけでずいぶんタクシー代かかりましたし、まだ昼前なのにもうする事が無くなるなんて……」

「今までの部署では官房長官の定時会見に出席してメモ取っていればなんとなく仕事感は得られるんだろうが、社会部の流儀はこんなもんだ」天狗騨は断言調に言い放った。


 ちなみに、警視庁に詰めていたりするとやっている事は似たようなものになるので必ずしも天狗騨の言うことは〝全て正しくはない〟。

 呼んだタクシーがやって来た。

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