第二百十七話【静岡と赤報隊】

 翌日、一番電車とは言えないにせよ早めの新幹線の乗客となった天狗騨記者と祭記者は新幹線の中で新幹線談義をしていた。とは言え〝新幹線〟という電車には車内で大いに雑談できる雰囲気など無い。降車案内のアナウンスが始まり後5分ほどで静岡到着というその時に祭が切り出した。


「ここに来てリニア開業の暁には静岡に停まる〝ひかり〟を増発するという話しがありますね。それに静岡空港の新幹線新駅の話しも今さらながらに出てきています。静岡県知事がそれを望んでいるとか」


「意図的な噂話くさいな。『知事がリニアを材料に新幹線でバーター取引を画策している』というのは知事の信用と求心力を削ぎ落とす初歩的な策略に見える」と天狗騨は応じた。


 かくして二人はその静岡駅に午前九時過ぎには着いた。

 ホームに立った天狗騨は腕時計に目を落とすと「静岡総局にちょっと顔を出してからSZO新聞へ向かう」そう祭に告げた。

 『静岡総局』とはASH新聞の支局の事である。〝北口〟という出口の方へと歩き始める天狗騨と祭。ここで祭が不可思議な事を喋り始めた。

「『静岡総局』はなんで〝総局〟なんでしょうね?」


「何が気になる?」天狗騨はその意図が読めず尋ね返した。


「『静岡支局』じゃないですかね、普通は」


(言われてみれば、)と天狗騨も思った。


「昨日天狗騨キャップから『総局へ寄る』と連絡を受けてから〝あれ?〟と思ったんです。てっきり『静岡支局』だと思っていたものですから」


「ずいぶん奇妙な事に興味を持つもんだな」歩きながら天狗騨は言った。


「ぜんぜん奇妙じゃありません。『ASH新聞静岡支局』と言えば、ここもまた赤報隊事件の現場です」


「〝その現場の名前をなんで変えてしまったのか?〟 と言う訳か」


「なんだかこういう事をしていると記憶が風化していくような気がして。最も重大な事案は『阪神支局』で起こりましたが、赤報隊事件は広域事件です。そこが忘れられると一カ所だけで起きた殺人事件になってしまう」


「率直に言ってなかなかの着眼点だが、呼称変更の事情について訊く相手は必然会社の上層部になるがな」天狗騨がそう言うと祭は黙り込んだ。


(まさか『なんで〝静岡支局〟という名を残さなかったのか?』と、このネタで暴れてくれとか思ってやしないだろうな)つい天狗騨は思った。


「天狗騨キャップはこの呼称変更をどう考えますか?」

 しばし黙り込んでいた祭ではあったが、リニアとは全く関係の無いこの話しをこのまま続けるようだった。


 しかし天狗騨は必ずしも悪い方ばかりには考えてはいない。

(少なくともこの件については口にする事と本心が一致している)と、そう思ったからだった。

 天狗騨は〝こうでないと収まりが悪い〟というか、なにか非常に落ち着かないのである。


「同感だな」天狗騨は答えた。別に部下に迎合はしていない。心底そう思ったからそう答えた。


「天狗騨キャップなら『赤報隊事件』に対するアプローチをどうされますか?」


(〝俺が担当だったらどう報道するか?〟ってのは、それこそ今までには無い〝俺に対するアプローチ〟だな)と天狗騨は少し驚いた。


(これには何かしら意図があるのは間違いないが、祭個人の意図か、もっと組織的なものかまでは分からない)とさらに思考を展開させた。そして、

(『これはここだけの話しだが』といったオフレコ系の話しは、通じないことを前提にすべきだ)と結論を導いた。


(だから、敢えて挑発的に踏み込む)と決めた。


「当たり前の考えを俺の口から聞きたいのか、普通では聞かない考えを聞きたいのか、どっちなんだ?」とあまりに直裁的にを訊いた。

 〝ついぼろっと本音がこぼれた〟ではなく、本音を聞きたいのかどうかを直接尋ねたのである。


 祭は答えた。

「『普通では聞かない考え』の方をお願いします」と。


(やはりそう来るか)天狗騨は思った。


「『赤報隊』は人殺しだ。だから普通にASH新聞の側が正義になる。ただし、その報道にはごまかしがあり、誠実に対応してしまえば自らの口で『どっちもどっち論』を吐くことになる」天狗騨は述べた。


「赤報隊事件に関するASH新聞の報道のどこがごまかしなんでしょう?」


「『言論の自由を守れ!』だな。この手の総論は口にするがについては遂に口を閉ざしたまま。今でも閉ざしていると言える。『言論の自由を守れ!』と言っておきながらについての意見は言わないのだから自由を自分で放棄していると言える。これはごまかし以外の何物でもない」


「なんです、その『』というのは?」


「『南京大虐殺』だよ」


 祭は歩くのをやめてしまった。

「どうしてそんな所へ話しが飛躍するんです?」


「飛躍でも何でもない。赤報隊の脅迫状を忘れたのか? 『反日ASHは五十年前にかえれ』という有名なやつだ」


「知ってますよ」


「だから『南京大虐殺』と言ってるんだ。ASH新聞阪神支局襲撃は1987年だ。そこから50年前は1937年となる。この年は『盧溝橋事件』の年であり、日本軍が南京を占領した年、つまりいわゆる『南京大虐殺』年でもある。『ASH新聞はこの年にかえれ』と脅迫状は言っている」


「どういう事なのか言ってる意味が解りかねますが」


「簡単な話だ。『以前、1937年には南京占領時の大虐殺など報じていないのに、なぜ今は中国の主張するままに〝南京大虐殺〟を報じているのか⁉』と憤りをぶつけてきている。だがウチの新聞(ASH新聞)は『南京大虐殺肯定報道』に触れないまま赤報隊事件の報道を続けてきた。これを俺はごまかしと感じるわけだ」


「『五十年前にかえれ』をそのように解釈するのは赤報隊の思うつぼじゃないですか」


「しかし厳密に算数してみれば1987年から50年引けば1937年になるんだから、そこは事実は事実として認めなければ報道に携わる者の誠実性が疑われる。だから誠実に行くと〝どっちもどっち論〟になると言ったろう」


「『反日ASHは五十年前にかえれ』という表現には〝暴力によって言論の自由をねじ曲げられた時代を懐かしむ意図〟が読み取れます。こんな時代を再び繰り返してはならないという主張がそれほどおかしいですか?」


「〝暴力によって〟って、そりゃ軍部の事を言ってるのか?」


「そうですよ。軍というのは正に暴力装置です」


「そいつはちょっとおかしいな」


「どこがです?」


「言論の自由が無くなったと言えるのは1941年の日米戦争以降じゃないか。つまり『四十六年前にかえれ』という脅迫状でなければ、そうしたASH新聞の主張は成り立たない」


「天狗騨キャップはばかに細かいですね」


「当たり前だろ。記者なんだから。とは言えだ、〝いつから言論の自由が無くなったか〟などよく分からないと言えば分からない。少しずつ少しずつ狭まっていって、あるとき無くなっていた事に気づくのが〝言論の自由〟というものだ」


「その通りです」


「しかし大まかな指標のようなものはある。1938年に制定された『国家総動員法』だ。これ以前に言論の自由が軍部という暴力装置によって失われたとする主張は完全なイカサマだろう」


「〝イカサマ〟って、そこまで言いますか⁉」


「おかしいものに対し『おかしい』と言えなきゃジャーナリストじゃない。いいか、祭君。1937年頃というのは従軍記者華やかなりし頃だ。盧溝橋事件以降新聞各社の特派員が日本軍と行動を共にして戦争記事を日々発信していた。日米戦争以降の〝軍と報道機関の関係〟じゃないんだ。蜜月と言っていい。敢えて言うが新聞各社は戦争報道を自由にできた。戦地は外地、進軍は順調、と来れば『戦争』についての国民感情は悪くなりようがない。報道とて同じだ。


「戦争を自由に肯定って……」


「問題はこの時〝自由に否定〟する事ができたか、だが、『否定して処罰された』だとか、そういう話しは聞いた事がない」


「否定する者というのは?」


「例えば『玄洋社の頭山満』だ。右翼の大物だな。いてもあまり嬉しくはないだろうが」


「……」


「ともかく解ったろう? 赤報隊の脅迫状には『1937年のお前たちは日本の立場に立った報道をしていただろうが』という意味に書いてあるのに、ASH新聞側の反論が『1941年から1945年の間のような社会の到来を許してはならない』では〝論点のすり替え〟でさえある」


「そういう考えの人は……なかなかいないんじゃないですか?」


「ではこう考えたらいい。1987年のASH新聞はどの立場に立っていたか? 巷間伝えられる『南京大虐殺』を〝真実だ〟という前提に立っている以上、中国の立場に立った報道をしているじゃないか」


「そう言えば天狗騨キャップは『南京大虐殺』に思いっきり疑義を呈していたんでしたね?」


「ああ、それを信じたいアメリカ人相手に大いにぶってやった。しかしこんなものはつまらない武勇伝だ。いいか祭君、我々はリニア特集を始めるに当たり『』でなければ勝てないという前提に立ったんじゃなかったか? どこか外国の立場に立っている者の言うことなど、日本人は聞く耳を持たん。こういうのは万国共通だと断言できる」


「天狗騨キャップのお考えはよく、解りました」


 ここでしばらく立ち止まっていた天狗騨達は歩き出す。

「ああそれから祭君、『赤報隊事件』に関心があるのなら自社報道の肯定ばかりではなく別の視点を持った方がいい。ズバリそれは『犯人はなぜ逮捕されないか?』だ」


「防犯カメラなんて80年代にはありませんからね」祭が上方に視線を送りながら言った。駅には当然ついていて天狗騨と祭の姿も捉えられている筈である。


 〝そう来るか?〟と意表を突かれる天狗騨記者。しかしすぐさまこう切り返した。

「このASH新聞の社論は『防犯カメラ』にネガティブだったがな。『監視カメラ』とか言い換えてな。ある意味君も我が社の社論に逆らっているな」


「ちょちょっ、ちょっと待って下さいよ!」


「冗談だ冗談」そう言って天狗騨はひげもじゃの口をニカッと開いて笑った。「——俺が言いたいのはな、この一連の赤報隊事件は便乗犯によって拡大してきた事件じゃないかって事だ。だから生真面目に捜査すればするほど犯人像は絞り込めない」


「便乗犯?」


「そう。便乗に便乗が繰り返され、かくして捜査は攪乱されっぱなしというわけだ」


「益々意味が解りません」


「犯人がASH新聞の『南京大虐殺肯定報道』に憤りを持っているとしたらだ、特定グループだけが恨みを抱いているとするのはおかしいだろう? 現にだ、犯行に爆弾が使われたのはこの静岡の一件だけだ。『連続爆弾事件』なんてことばがあるが、爆弾は静岡一件のみ。これはなぜなんだ?」


「その答えが便乗犯ですか? しかしどの犯行声明・脅迫状にも同じワープロ、用紙が使われ、用紙の折りたたみ方も同じで、だから同一人物、または同一グループの犯行と考えられて来たんじゃないですか」


「だから便乗に便乗が繰り返されていると言っているんだ。阪神支局で記者を殺害した奴を真犯人と定義するなら、この真犯人に便乗して同種の犯罪を起こした奴がいる。そして今度はその真犯人が便便して脅迫状を送り付けてくる。だから同じワープロ、用紙になるのも当然だ。俺の直感ではな『赤報隊事件』は見ず知らぬ者同士が同じ犯罪で繋がっていくという未来的事件なんだ」


「聞いた事の無い主張です」


「『赤報隊事件』の最後を知っているか?」


「さいご?」


「『愛知韓国人会館放火事件』だよ。『南京大虐殺肯定報道』を問題としていた筈がどうしてここに行き着くのか。もはやASH新聞も関係が無くなっている。便乗の連鎖が途切れたため終わったのだと俺は考えている」


「——ただ俺が問題としているのは『犯人はなぜ逮捕されないか?』だ。この原因は警察だけにあるわけじゃない。このASH新聞新聞の報道自体が犯人逮捕を遠ざけている節がある」


「いくらなんでもそれは聞き捨てなりません!」祭が珍しく語気を強めた。


「だがな、一連の赤報隊報道ではウチ(ASH新聞)は意図的とも思えるほどに『南京大虐殺』には徹底して触れてない。『50年前にかえれ』とこれ以上にないヒントを貰っても。そしてこれは今でもだ。赤報隊は名古屋でも事件を起こしていてウチの名古屋本社社員寮が銃撃されているわけだが、被害者がこの調子だから警察も『南京大虐殺報道』についての怪文書を無視するんだろう」


「そんな怪文書が? あった、んですか?」


「あった。名古屋本社社員寮が銃撃されるのが1987年9月、その少し前の1987年7月に名古屋市役所に届いていた筈だ。当時の名古屋では市民団体が中国の『南京大虐殺記念館』の姉妹館建設を求めていて、それに対する反発の文書だ」


「——要するにその文書にはASH新聞の『南京大虐殺肯定報道』に対する怒りと憎しみが全編に表れていた。その枚数が50枚にも渡っていたというから尋常じゃない。とは言え『南京大虐殺』に疑義を呈そうとしたらこれくらいは要るというのは俺も実感として解る。俺も相当あのアメリカ人には手を焼いたからな」


「——しかしこの程度じゃ〝怪文書〟とまでは言えない。せいぜい右派の立場からの抗議文だ。怪文書の怪文書足るゆえんは『もしこの館が出来たら、不測の事態も考慮しろ』と書かれていた事だ。不測の事態とは『この館の爆破或いは阪神支局襲撃事件のような人身事故が発生する』事。こうした脅迫としか受け取れない一文があったからだ」


「それなのに無視っ⁉ なぜっ?」


「理由はよくは解らない。ただ実際現場が捜査を求めても上司が無視した。しかし『南京大虐殺肯定報道』を無視していたのは警察だけじゃない。ウチ(ASH新聞)もだ。件の怪文書の中身は非常に理路整然としたものだったようだ。もしぶつけられたらウチが一番苦手とするタイプじゃないか。それを避けたかった。肝心の犯人の動機について論じられない時点で迷宮入りは必然だったんじゃないのか?」


「……」


「だから俺はどうだか知れたもんじゃないと思ってる。『南京大虐殺肯定報道』に触れた赤報隊からの脅迫状が本当に無かったのかどうか。もしそんな物があったのなら相当ウチが不利になる。人一人殺されていてもな。なにせあの中国のでたらめぶりをそのまま記事にして載せてしまったんだからな。名古屋でその手の怪文書が届いていたのなら他でも届いていたんじゃないのかと疑うのは自然な流れだ」


「——とは言え今回俺は『リニア以外に首を突っ込むな』と厳しく釘を刺されているからな。まあ余興はこの程度だ。静岡に来たからって赤報隊で侃々諤々やるつもりは無い」天狗騨は祭にも釘を刺し、そして改めて自身にも言い聞かせた。


 静岡総局まではあと少し歩く。

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