第二百十五話【学者の弱点を突け!】

「やって欲しい仕事とはもちろん〝取材〟だ。取材対象は大学教授」と部下の祭に対し具体的な指示を出す天狗騨記者。


「どの分野の大学教授でしょうか?」祭は確認するように訊いた。


「の前に、がどのような立ち位置から特集記事を書くかを伝えておく。それは『美しい国土を守る。』だ」


「なにか自衛隊の隊員募集的というか」と祭がこぼした。


(今、一瞬本性が見えたか?)と思った天狗騨、しかし特段突っ込まない。

「『国土を守る』と言ったからな」とのみ応じた。


「これが天狗騨キャップの言う『我々ASH新聞の方が日本のためになる』ですか?」


「そうだ」


「『美しい環境を守る』ではだめなのですね?」


「そうだ。例えば原発推進派がかなり右派保守派と被る傾向がある。『環境』という語彙では右派保守派に対する抑止効果は見込めない。その点『美しい国土を守る』という表現を用いれば、言っている中身は同じなのに〝反日呼ばわり効果〟の減殺を大いに期待できる」


「はい」


「そこで次は〝美しい国土〟の中身だが、具体的には『大井川』だ」天狗騨は言った。



 赤石山脈という山脈がある。山梨・長野・静岡の三県にまたがる山脈で日本第二の高峰北岳(3192メートル)等、3000メートルを超える諸峰が南北に連なり南アルプス国立公園を形成している。大井川はその赤石山脈間ノ岳 (あいのだけ)に源を発し、南流して島田市東方で駿河湾に注ぐ一級河川である。



「——リニア推進派の弱点はこの『大井川』にある。南アルプスをトンネルでぶち抜くため、大井川に何かしらの影響を与える事は誰も否定できない」とさらに天狗騨が続けた。


「——問題はその〝影響〟の中身だが、大井川の水量が減るのは確実視されている。ところが〝どの程度減るか〟、その量については確たる事は誰にも分からない。『減った分だけ戻せばいい』という雑な議論が起きているが、売り言葉に買い言葉的で実行可能な対案とも思えない。ここが突きどころだ」


「どのように突きますか?」祭が尋ねた。


「まず『減った分だけ戻せばいい』という雑な議論は無視しろ。リニア推進派がつじつま合わせで約束めいた事を言っているだけで、トンネル工事で出た漏水を元の川に戻せる技術的裏付けなど無いし、漏れた分を全部戻せないからTYO電力のダムの水を拝借できればお茶を濁せるなどと思っている。この時点でお察しだろう。ダムの水は溜めてある水で流れてくる水じゃない。つまりトンネル工事で川の水量は確実に減るんだ」


「はい」


「減る水量が分からないという事は、もの凄く減る可能性はゼロではない。〝もの凄く減る〟とは大井川という川が消えて無くなるって事だ」


「さすがにそこまで書くのは、」と祭が逡巡の意を表す。


「だから訊き方に順序がある。我々メディアの常套手段とも言えるがな」


「具体的には?」


「まず大学教授如きに臆するな。それが心構えだ。そして第1にこう尋ねる。『南アルプストンネル工事で大井川の流量は確実に減るとみて間違いないですか?』と」


「はい」


「すると大学教授は『間違いない』と答えるだろう。そこで第2にこう尋ねる。『どれくらいの水量が減るのか正確な見積もりを出すことは可能でしょうか?』と」


「そんな事はできないのでは?」


「そう。そこが狙い目だ。確実にそういう〝答え〟が戻ってくる。そこで第3にこう尋ねる。『工事に伴いかなりの水量の漏出があった場合、例えば大井川が中流域で消滅するなどの可能性はありますか?』と」


「そう、来ますか」


「俺のカンだがな、『その可能性はゼロだ』と断言できる大学教授はいない。何しろ我々は既に新型コロナ騒動で散々目撃している。学者は保身したいんだ。保身のためには通常『リスクを指摘』しておいた方が安全だ。『絶対に安全』と言って安全じゃなかった場合と、『リスクを指摘』しておいて何事も起こらなかった場合とを比べると、間違いなく後者の方が学者自身にとって安心安全の道だろう? 学者ならずとも例えば〝手術の際〟には必ずこのパターンとなる」


「ひとつ疑問があります」と祭が制動をかけた。


「言ってみてくれ」


「新型コロナワクチン、mRNAワクチンについては、ほとんどの学者が『絶対に安全』側に立っています。今なおそうした傾向です」


「それは簡単だ。〝社会の空気〟いわゆる同調圧力だ。mRNAワクチンが人体に有害と主張する勢力が無視できるレベルで少数だったからだ。逆に言うとこのワクチンをポジティブに捉える勢力が海外含め圧倒的多数だったからだ。しかしこれだけではまだ決定的要因とは言えない」


「では何が決定的だったのですか?」


「何より決定的だったのは我々メディアが『mRNAワクチンこそが人体にとって危険ではないのか?』といった安全性についての疑問形の質問を学者にぶつけなかった事だろう。つまりこのケースでは『絶対に安全』側の答えを言っておいた方が保身のための安心安全の道だった」


「つまり我々メディアがその〝社会の空気〟を造ったということですか?」


「造ったのではなく、空気をより強固にするために翼賛報道をしてしまった。我々メディアが〝社会の空気〟に呑まれたんだ」


「『翼賛報道』をここで使いますか」


「『戦前はそうだった』とかウチ(ASH新聞)の紙面で散々やっていただろう。それと構図は同じだからな」


「確かに構図だけは、」


「リニア中央新幹線のケースでも〝社会の空気〟は賛成側に急速に傾きつつある。『リニア中央新幹線建設促進期成同盟会』という、名古屋以西も含む沿線自治体で造る団体がある。字面通り『リニアを造れ!』と要求する圧力団体で、実際『リニア計画は国家プロジェクトだ!』と首相に陳情し、首相も『早期の全線開業に必要な指導、支援をする』と約束した。そのためなのか非常に態度が横柄になってきている」


「——静岡県知事が『当県も利害関係者のひとつだ』としてこの団体に加盟を申請した際、『リニア建設に賛成する事が加盟の条件』などと最初から意見の異なる者を排除する姿勢を露わにしている。だがこれはおかしい。リニアが国家が行うプロジェクトだとしたなら、国家が反対意見や慎重意見を無視し建設推進の意見の側にだけ一方的に立つのは民主主義に反する。要するに国を巻き込むというのは〝反対派を無視できない〟という結果に繋がる筈なのにリニア推進派はそれにも気づかない。それくらい驕っている。彼らの狙いは賛成派を圧倒的多数にしてリニア建設推進という〝社会の空気〟を造る事にあるのは間違いない」


「——だが今回、mRNAワクチンの時とは違って空気に抗う者達がいる。静岡県知事がそうだし、静岡の地元紙のSZO新聞がそうだ。これは俺のかねてからの持論だがな、祭君。こと言論に限っては多数とか少数とかは関係無い。は相手がどれほど多数派であっても必ずそれを粉砕する。現に俺が『日本軍慰安婦問題を追及したからには米軍慰安婦問題を追及しろ』と要求してもまともな反論に出くわした事が無い。歯ぎしりをしながら別の勝てそうな話題へと逃れようとする者達ばかりだ」


「——南アルプストンネル工事で大井川の流量が減る。その減り幅は誰にも予測ができず、その量が多ければ大井川消滅もあるのではないか? こうした圧倒的な正論をぶつけた場合に学者から戻ってくる答えは『その可能性を完全に排除はできない』辺りに、必ずなる。祭君に頼む仕事はコレを集める事だ」


「ほとんど〝世論調査〟の手法ですね」祭が天狗騨の意図を確認するように訊いた。


「そういう事だ。少なくともその手をこれまで使ってきた人間にとかく言われる筋合いは無いという事だ」天狗騨は既に開き直っていた。



 祭が言ったのは設問の設定やその配置によって世論調査の結果はある程度操作できるというその事であった。特に設問をどう並べ配置するかは重要である。

 これは憲法9条についての世論調査で特に多用され、そのパターンは専ら『あなたは憲法9条を改正すべきと考えますか?』という最終的質問の前に〝ネガティブな意味の質問〟を繰り返し繰り返し行うというものである。

 ただ、この手法も無敵ではなく、あまりにぶっ飛んだ現実(例えばロシアのウクライナ侵略)が起こったような場合にはその効力は失われてしまう。



「地質学の教授ですかね」祭が自答するように言った。


「関係ありそうなとこなら片っ端から当たるべきだろう。確か河川工学とかいうのもあったな。とにかく〝ここは〟と直感した所へどこでも行って〝証言〟を集めるんだ」


「天狗騨キャップはどうされますか?」


「明日からちょっと静岡へ出かけてくる」


「え? じゃあお供しますよ。ぜひさせて下さい」


(来るのか⁉)と思ったが『来るな』とは言えない天狗騨だった。



(俺も案外弱いな……)とがっくり来る天狗騨だった。

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