第二百十四話【嗚呼リニア! 〝昭和〟の夢よもう一度!】
「リニア推進がどうして日本のためになるのか? そんなものは『〝昭和〟の夢よもう一度』、これに尽きる」
そう言ったきり。天狗騨記者は言うべき事は全て言い終わったと言わんばかりの態度であった。
これに拍子抜けしたのは祭。
「もう終わりですか?」と訊いた。
「あぁ、『昭和の夢』というのがいささか比喩的で解りにくいという事か。では表現を変える。『〝技術立国日本〟の夢よもう一度』だ」
それっきり天狗騨は続きを話す様子が無い。
「それでその後は?」また祭が訊いた。
「俺はリニア推進派じゃない。俺が何を言おうとそれは全て憶測・推測の類いだろう。当たらずといえども遠からずという自信だけはあるがな」天狗騨が続きを話さない理由を告げた。
「『夢よもう一度』と言うからには、天狗騨キャップは既に日本が技術立国ではないという認識でしょうか?」祭が食い下がってきた。
「その通りだ。日本が技術立国と言えたのは昭和時代の話しだ。その前も後も微妙だな。だから最初に〝昭和の夢〟と言ったんだ」
「その前?……」
「昭和の前は大正に決まっている」
「日本は戦前も技術立国でしたか?」
「戦艦大和やゼロ戦に象徴される軍事技術だ。それが戦後になって造船・自動車・新幹線・家電・カメラといった民生用の技術に象徴される事になる」
「カメラ辺りはまだ日本メーカーががんばっているのでは?」
「とは言えもうかなり日本で作っていなかったりするがな。高性能高品質を折り紙付きで保証する『MADE IN JAPAN』の工業製品は、もう我々の目に見えるところからほとんど消えてしまった。そしてここが重要だが、そのカメラが『MADE IN THAILAND』や『MADE IN CHINA』になってしまっても、性能や信頼性がガタ落ちしたという話しを聞かない」
「車ならまだメード・イン・ジャパンがありますが」
「自動車くらい
「天狗騨キャップはリニアが『日本人のナショナル・アイデンティティー』だと考えているのですか?」
「正確にはリニア推進派がそう考えている可能性大、という事になる。どれもこれもが『日本でなければ造れない物』とは言えなくなってしまったそんな時代の中、極めて数少ない『日本でなければ造れない物』がリニアだからな。いわば『技術立国日本』の最後の残滓というわけだ。故に右派・保守派がこれに執着する。反対者を反日呼ばわりもする」
「しかし語られているのは専ら〝経済〟ですが」
「経済ね、」と天狗騨は冷笑気味に言った。
しかし祭は空気を読まず、
「はい、敵方がそう言っているものは無視できません」
「現状リニア中央新幹線の沿線は七県に過ぎない。経済経済言っても関係するのはせいぜい中京圏の経済と工事施工を請け負う諸企業の経済だ。なのにどうしてこれが日本全体の経済と結びつけられているのか?」と天狗騨は逆に訊いた。
祭は何も答えない。
(〝記者〟の典型的に悪い癖だ。自分の中に『答え』を持たぬのに質問だけを延々と繰り返す。足を引っ張るだけが目的の質問攻勢)
天狗騨は祭に対しては、左沢政治部長やリベラルアメリカ人支局長に対ししたように相対する気が全く起こらない。
(まだあの連中の方が自分の中に『答え』があった。多少問題のある『答え』ではあったが。そもそもこの目の前の祭という人間は『技術立国日本』をまだ信じたいのか、そんなものはもう終わっていると言いたいのか、どちらの立ち位置なのか、まったく見えてこない)
(——どうせコイツは『論破』だとかなんとか、『議論とは相手を負かすためにするもの』としか思ってないくだらん若造だろう。そのためには心底信じていない事さえ口にする)
そうは思ったが天狗騨はそれをおくびにも出さない。やはり社会部デスクから言われた〝パワハラ云々〟が効いている。そして同時に〝部下の成長を促そう〟という意識が皆無であるとも言えた。
天狗騨はこの無益なやり取りを終わらせるために始めた。
「リニアは海外に輸出する算段らしい。だから日本経済と結びつけられている。しかしこれはかつての失敗と同じではないか。日本メーカーが技術を次々海外移転してしまったために日本の国際競争力が無くなったのだ。海外に輸出するとはこういうオチを繰り返す事だ」
「——しかしその前に考えねばならない事がある。〝国際分業制〟とやらが謳われる時代になってしまった今、そもそも技術で一国が〝立国〟できるかどうかというその点だ。もうその手の立国は無理じゃないか。それをある意味解ってしまっている日本政府などは『観光立国日本』などと言い出して久しい」
「——が、右派保守派としては『技術立国日本』は誇りだが『観光立国日本』では誇りにならないという事なんだろう。それも無理もない。『観光立国ギリシャ』は破綻した。観光立国はまあこの程度という事になった」
「——とは言え日本政府のやる事もちぐはぐだ。東京オリンピックの後に大阪万博、その後札幌冬季オリンピック、これを二度繰り返しても、大阪までの新幹線をもう一回開業させてもこの日本は『昭和』という、『技術立国日本』という、あの栄光の時代には戻れないのにな」
「昭和が栄光の時代ですか?」祭が怪訝な表情を浮かべ訊き返した。
「言っておくが〝戦争〟の話しはしていない。『技術立国日本』の話しをしている」天狗騨は言い切った。
(昨今〝昭和〟を小馬鹿にする風潮がある。だがこれはあの時代に対する羨望と嫉妬の裏返しの反応ではないのか?)天狗騨はそんな事を考えている。(——何しろ『東京オリンピック・大阪万博・札幌冬季オリンピックの再実行、及び大阪行き新幹線の再開業』を『それは昭和だ』と言って揶揄する言論が見当たらない)
(——皆無意識のうちにもう一度昭和をやりたがっているのではないか?)
新元号が『令和』と発表された時、一部で驚きの声が上がった。
元号の下の一字。『和』の字がこんなに早く再登場するとは思わなかった、という訳である。
(昭和の栄光よもう一度、は集合無意識なのかもしれん)天狗騨はその時そんな突拍子もないことさえ考えていた。
ともかく今すべき事は目の前の祭にとどめを刺すことである。
「さて、祭君、散々敵方の心情を分析してきたがこれらは全く使えない」と天狗騨はここまで言って黙り込んだ。祭も沈黙。社会部フロアが通常通りにざわめき続ける中、ここだけは話し声が途絶えた。しばらくの沈黙の間の後天狗騨は口を開いた。
「——『技術立国日本など過去の夢だ!』などと敵方をあげつらっても、『我々ASH新聞の方が日本のためになる』とはひと言も言っていないからだ」
「そうですね」と祭はこれ以上は食い下がらないようだった。
「さっそくだが君にはやって欲しい仕事がある」そう天狗騨は祭に言い渡した。
(別行動の方がやりやすい。別行動のためにはこの部下になにがしかの用事を言いつけるに限る)と天狗騨はそう考えていたのである。
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