第二百十三話【天狗騨記者、得体の知れない部下に悩まされる】

 午後になった。

「『祭』といいます」そう言ってわざわざ名刺を差し出したのは中肉中背の男。


(20代後半くらいか、)と思う天狗騨記者。(——見た感じ〝切れ者〟という雰囲気は無いが……、人は見かけによらないからな)とさすがの天狗騨も警戒感を隠せない。

 受け取った名刺にはさっそく〝社会部〟との所属名が印刷されている。


(まあこの程度は〝抜け目ない〟の内には入らないんだろう)そんな事を考えつつ天狗騨も自分の机の引き出しを漁る。名刺箱を取り出すと、

「一応俺の名刺も渡しておく」そう言って『祭』という〝部下〟に名刺を渡し返した。


「天狗騨キャップの名刺を持ってるなんて、社内広しと言えども私くらいのものですね」

 〝キャップ〟などと呼ばれるのはむろん入社以来初めての事で、天狗騨にもなにがしかの感慨がわき上がってくる。しかしどうも引っかかった。

(俺の名刺は何かの〝レアカード〟扱いか)とも思ってしまう天狗騨。たった今しがた渡した名刺には『ASH新聞東京本社』と記してある。

(穿った見方をするならそこか? レアカード要因は)とも思ってしまう。

 とは言え名刺は基本社内ではバラ撒かないものである。専ら、取材対象の信用を得るためか、はたまた威嚇するためかの目的でバラ撒く。


「机はどこなんだ?」気になった事を天狗騨は訊いた。


「〝腰掛け〟と思われてるんでしょうか、このフロアの隅も隅です」


(本当に〝腰掛け〟そうだな)とその通りに思う天狗騨。


「さっそくですが天狗騨キャップ、今回のリニア中央新幹線の特集記事の方向性について意志の共有をしておきたいのですが」


(如才ない。上に情報を上げるとしたら俺の考えを把握する必要はあるだろう。とは言え曲がりなりにもASH新聞の記者だ。これくらいは当然なのかもしれん)


 どうも天狗騨は慣れなかった。『敵』と解っている者にはめっぽう強いが、『味方のフリをした敵』に対する対処力がどれほどあるか、それは自分でも解らず、量りかねていた。


(そうだ。『敵』から行くか)連想ゲームで天狗騨はこれをとっかかりとする事とした。


「祭君、我々がリニア中央新幹線の特集記事を書くと、必ず敵ができる」天狗騨は切り出した。


「リニア推進派ですね」


「そう。それが今回の敵でありそれが必然でもある。しかしそれくらいならまだいい。敵側によって我々(ASH新聞)は、ほぼ確実に『反日だから反対している』という事にされる。現に静岡県知事がその扱いだ」


「やっぱり噂通りですね。天狗騨キャップは!」


「……」

 その〝半テンション上がり〟にどう反応すればいいのか分からない天狗騨。


「政治部では『』なんて口にする人間、聞いた事がありません!」


「どういう、意味?……」


とは!」


「どうしてそうなる?」


「違うんですか? 『使』。こういうイメージを込めた訳じゃないと?」


「そこは『反日』を別の言い方に言い換えるんだ」


「というと、『反対日本』ですか、あるいは『反感日本』とか」


「そういう方向性じゃない」


「するとどのような方向性です?」


(これはわざとか?)と天狗騨は思うが、相手が上司だろうとお構いなしだったのがこれまでの自身。

(立場が逆になったら耐えられるのか? という人格テストを受けさせられているのか?)天狗騨はそう穿った見方さえしてしまい、ここでは敢えて人を試すような真似はやめておいた。これでけっこう社会部デスクの『パワハラ云々』は効いている。


 天狗騨は大まかな方針を解説し始める。

。『お前の存在、お前の言っていることは日本のためにならない』、これが『反日』を別のことばに言い換えたものとなる。そこで我々はこの敵の論理をそっくり頂き敵にぶつけ返す戦術を採る。即ちこれが〝反論〟だ」


 これは『目には目を歯には歯を』という天狗騨記者の十八番おはこである。


「そうすると我々はリニア推進派に対し『お前の存在、お前の言っていることは日本のためにならない』と主張するわけですか?」


「そう、ただ言うは易し。ここがASH新聞最大の弱点だ。『日本のためにならない』と言えないか、言ったとしてもまったく説得力が無いかのどちらかだ」


「我々ASH新聞が〝日本のため〟を訴えても『説得力が無い』というのは承伏できかねる主張です。何をもってそう言えるのか、具体的事例を挙げて頂きたい」


「例えば『日本の歴史教科書問題』について我々ASH新聞は『自国中心史観は日本のためにはならない』と主張していたが、これを逆に言うと『中国や韓国が満足するような歴史教科書にするのが日本のためになる』という意味になる」


「はい」


「中国や韓国をとことん美化できた時代には通じたのかもしれない。が、今や中国人や韓国人の言う『正しい歴史認識』の中にも含まれる事が認知される時代となった。具体的には『南京大虐殺犠牲者30万人』であり『従軍慰安婦強制連行少女も含む20万人』だ。これらを日本の歴史教科書に書き込むことが日本のためになると、どうして言えるのか。ASH新聞が『日本のためにならない』と訴え続けて来た事の説得力が無くなってしまった」


 〝この言〟につき、祭の顔に僅かの不満の色を嗅ぎ取った天狗騨。しかし祭は『南京』や『慰安婦』に突っかかって来るでもない。

(左沢政治部長からなにか言い含められているか?)と、なおその顔から内心を読み解こうとする天狗騨。しかし祭は「解りました」と口にし、あっさり引っ込んでしまった。その代わり突如切り替えて来た。

「そのためにはリニア推進がどうして日本のためになるのか、そこをがありますね。これについての天狗騨キャップの見解は?」

 相手の使う論理を逆に相手に使い返す、それを祭に実践されていた。〝文章にするんだ〟と求めたのは天狗騨の方からなのである。


(俺にそれをするのか)と、〝意趣返し〟を感じるしかない天狗騨だったが、『反対日本』とか『反感日本』とか言い出す者相手に侃々諤々(かんかんがくがく)やっても仕方ないと思い定めた。

 いつもの天狗騨はヒマだが、今回ばかりは締め切りのある仕事に携わっているのである。

(だから部下など不要だというのだ)と心の中で悪態をつくが仕方ない。

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