第二百八話【リニア中央新幹線は国策だから】

「では今度は『リニア中央新幹線』を選んだ理由を教えて頂きたい」天狗騨記者が社会部長に迫る。

 実に短く、社会部長は答えた。

「この事業が国策になったからだ」


「といいますと?」とそれだけでは到底納得がいかずさらに〝次〟を求める天狗騨。


「国策にはなんでも反対する。それが我らがASH新聞だ。それにこのリニア事業はいつの間にか日本人のナショナリズムと結びついてしまっている。これを否定する輩はいつの間にか非国民にされ、例えば静岡県知事などは南アルプストンネル着工にブレーキをかけているだけで中華人民共和国の廻し者にされている状態だ。まったく『右派・保守派』としか言い様がない。こういうのを反射的に否定したくなるのがウチ(ASH新聞)の社風じゃないか?」


「〝社風〟ですか、」


「『リニア中央新幹線』にブレーキをかけるという事は国策に反対する事であり、同時に右派・保守派の価値観に反対する事でもある。『反対』でこうした立場に立てるのなら社(ASH新聞社)の中を説得しやすい。この企画は通ったも同然だ」そう言った社会部長は今度は逆に天狗騨に切り返した。

「天狗騨、『リニア中央新幹線の南アルプストンネルの件』を持ち出した以上は基本は押さえているだろうな?」


「もちろんです」躊躇なく天狗騨は答えた。


「なぜ俺が〝国策〟だと断言したか解るか?」社会部長が確認するように訊いた。

 『リニア中央新幹線がなぜ国策と言えるのか?』、そこを敢えて説明しなかったのが典型的〝部下を試す上司〟である。しかし天狗騨の方も普段から散々上司を試すような真似をしているためその点については気にもしない。


「いろいろ目に見える動きが出てきましたからね。リニア工事が南アルプスの生態系や環境にどのような影響を与えるか、そしてその対策を協議する『国土交通省専門家会議』は首相の肝いりです」


「うん、他には?」


「ここに来てTYO電力の『田代ダム』というダム名が出てきたのは奇妙な事です。リニア中央新幹線南アルプストンネル工事に伴い大井川の水量が減るのが確実視される中、『減った分をこの田代ダムから融通してもらって解決する』、という動きがある。JRTKという企業の事業に関係の無い他社が、自社を犠牲にしてここまでをする理屈はありません。なのに公然と巻き込まれている。この事態だけで政府の働きかけがあるとみてまず間違いありません」


「そうだ」


「さらに別の問題があります。政府は90年代後半以降『官から民へ』をスローガンに『民営化すればなんでもかんでも上手くいく』という価値観をまき散らしてきました。そうして〝改革〟と称する暴走の行き着いた先が飲み水まで〝民〟に任せる究極の民営化です。宮城県では遂に水道が民営化される始末です。大井川の水問題もこれと通底しています。こういう調子だからJRTKという一企業が一級河川の水源をどう扱おうとも政府が易々と許可を出すわけです」

 さらに天狗騨が続ける。

「——『民間がやるんだから間違いない』というのはアホとしか言いようのない価値観ですが、民間企業が何をやろうとそれを正当化するための〝マジックワード〟が『国鉄民営化』です。リニア整備も『自由度を確保するため』と称し、〝新・新幹線〟とも言うべき事業であるにも関わらず〝建設費に公費が入らず事業者が全額負担する〟初のケースでした。これは効率性を重視した民営化を象徴する事業となる筈だった」


「——しかしそれが今そうではなくなっている。この事業を民間企業が行う大義名分など無いからです。一企業の思惑で環境、そして水資源の恩恵を受けているあまたの人々の生活を脅かす事が許されるのかという厳しい問いが発せられている。そこで今さらながらにノコノコ出てきたのが〝国〟です。要するにこの事業は『お国のため』なんだと。『官から民へ』をスローガンに『民営化すればなんでもかんでも上手くいく』などと〝国鉄民営化の成功〟をこれでもかと喧伝しながら、消えた筈の『国鉄』を事実上蘇らせるなどとんでもない事です!」


「——部長が既にリニア中央新幹線は国策になっていると断じたのは的を射た分析かと考えます」これを言って天狗騨は締めた。


「さすがは俺が見込んだだけの事はあるな」満足そうに社会部長は笑みを浮かべコーヒーを口に含んだ。それを胃の中へと流し込むとその後も続けた。

「——そうだ。『国鉄』なんだ。1973年というからまだ昭和の頃だ。東京—大阪を結ぶ『中央新幹線』なる新たな新幹線が国の基本計画になった。当然他の新幹線同様、国の予算で整備する予定にされたが既に並行する東海道新幹線が開業していたことから後回し状態となっていた。まあ当然だな。ルートが違うだけで行き先が同じ新幹線など新たに造って採算が合うのかという話しだ。とは言えオイルショックが無かったらやっていた可能性はある。『リニア中央新幹線』はこの続きだな」

 社会部長の話しは続いていく。

「——民間企業は無駄を省き合理的な経営をするからこそ『民営化は正義』とされてきたわけだが、どういう訳かJRTKはルートが違うだけで行き先が同じ新幹線をまだ諦めてはいなかった。国鉄当時との違いはなによりも速度だ。現にJRTKは『東西移動の所要時間削減』を整備理由として挙げている。他には『災害等に備えたルートの二重化』、かなり未来の捕らぬ狸だが『大阪延伸後は東海道新幹線の「のぞみ」を減らして「ひかり」と「こだま」を増発すれば沿線の人流活発化に繋げられる可能性がある』とも言っている」


「——2007年、当時のJRTK社長は「国の財源に依存していては遅れる」と自力での建設を表明した。国が建設主体を〝同社とする〟整備計画を決定したのはその後の2011年の事だ。政治家による希望ルートや新駅設置の働きかけ等といった介入を招きたくなかったのだと云われている。昔から我田引水をもじった『我田引鉄』という言葉もあるしな。JRTKによるリニアの自力建設は迅速な整備と〝政治家からの外圧〟の影響を抑制する効果もある筈だった。こうした経緯から国土交通省は静岡県でゴタゴタ問題が起ころうと『JRTKが地元の理解を得ていくのが筋だ』と態度を硬化させ続けてきた。そこへ出てきたのが政府だ」


 ひとしきり話し終えたらしく社会部長は天狗騨の目を見た。

「——さて、俺が柄にも無くこうして長々喋ったのには意味がある」


「それはどういう?」


「天狗騨、『官から民へ』、『民営化すればなんでもかんでも上手くいく』、といった価値観について一家言ありそうだが、この際それは封印しろということだ。だから〝言いたそうな事〟は俺がここで言った」


「はぁ、」


「俺が『リニア中央新幹線』を特集記事として取り上げろと、これを選んで言ったのはお前が『SDGsエスディージーズ』を持ち出してきたからだ。だから〝勝てる〟と踏んだ」


「論点は『環境』のみに限定しろと?」


 社会部長はその〝答え〟にニヤリと笑みを浮かべた。

「余計なお世話かもしれんがな、勝負がかかっている以上、戦術というものは突き詰めて考えなくてはいかん」


「解りました」


「ともかく今は査問会を乗り切るのが最優先だ。俺は頃合いを見てお前を『リニア中央新幹線特集記事』担当に推薦する。〝それ以外には口を出させない〟という条件を付けてな。それで事態を収拾させる落としどころとする。くれぐれもそこに辿り着く前に負けるんじゃないぞ」


「そんな事を言われたのは初めてですね。私は降りかかってくる火の粉を払うのは得意なんですよ」


「細部の詰めはその後だ」社会部長は残りのコーヒーを全て飲み干す。天狗騨も続く。そうして両者勢いよく立ち上がった。




 当然の事ながら天狗騨は、査問会という場において寄せてくる論敵をバッタバッタと斬り伏せて、社会部長の思惑通りに事態は進行しつつある————

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