第二十章 天狗騨記者、リニア中央新幹線へと突撃する

第二百六話【天狗騨記者、『イジメ問題』以外の社会問題を語る】

 時をほどほどに遡り、ここはあの銀座の老舗喫茶店。社会部長の行きつけの店である。〝ほどほど〟とはどれほどかというと、かの天狗騨査問会の開催直前の或る日。


 その社会部長と天狗騨記者がテーブルを挟み向かい合って座っている。天狗騨が非番の日にわざわざ社会部長が有給を使っている。日を選んでいられないが故の緊急対応。ただ〝この日1日〟という意味では時間はたっぷりとある。


 この会談の意味はむろん『査問会をどう乗り切るか』、これ以外には無い。

 しかしこの社会部長には〝ひたすら謝罪〟で乗り切ろうなどという考えは頭の中に無い。天狗騨記者の非常識を〝突破力〟と認識し、社勢の沈降に歯止めのかからないASH新聞の社内改革を行おうと密かに画策していた。


 だが、『発言に影響力を持たせるには会社の中である程度偉くなってもらわなくては話しにならん』と社会部長がその意向を述べたところ、天狗騨からは『どうやって偉くなるんです?』と真顔で戻って来る始末。

 『……テストが要るな』と、社会部長はその必要性を痛感したものである。ただ〝その日〟は時間が無く、件のテストは今日行われる事になったという次第なのだった。


「おまちどおさま」とマスター。コーヒーがふたり分、手ずから運ばれてきた。社会部長は礼を言い、そしてそれを待っていたかのように天狗騨には切り出した。

「天狗騨、俺が考えているのはひとつ特集記事を任せようと、こういう事だ」単刀直入である。


「特集記事を私に振りますか、大抜擢ですね」天狗騨は少し驚いたような声で言った。


「その通り。大抜擢だ」社会部長は応じた。


「それでいったい何を〝特集〟すればいいんでしょうか?」


「それをこれから相談だ。ただし条件がひとつある」


「条件とは?」


「勝てるテーマを選べ。これだけだ」


「つまり、社会にインパクトを与え動かせ、と?」


「察しがいい。だがこれが何を意味するかは解っているな? 『イジメ問題』は今回のテーマとしては不適当だ」


 これを言った直後、社会部長は例によって猛烈な〝天狗騨節〟とも言える反論が来ることを覚悟した。だが、

「今までもやっていましたからね、」とあっさり天狗騨は同意した。


 もちろん天狗騨記者がその特集記事を担当したわけではない。が、歴代のASH新聞社会部がその都度都度総力を挙げてその手の特集記事は書いてきているのである。しかし、『イジメ問題』は解決するでもなく、それどころかいい歳をした大人のイジメ行為が新たな社会問題とさえなっている。つまり勝ち負け以前にせいぜい〝問題提起〟で終わってしまうテーマなのである。人間を性悪説で捉えている天狗騨はその事を何よりも理解していた。かくして社会部長の予測は外れた。ただしこの場合良い意味で。


「珍しいな」と社会部長はまんざらでもない顔をしてそう口にした。


「『ピンチはチャンス』か、はたまた『チャンスはピンチ』かといったところですか」と天狗騨がこれに応じた。


「なかなかの切れ者だな、」そう言って社会部長はコーヒーを一口すする。「——有り体に言って『天狗騨』という人間のASH新聞社員としての今後を左右する事になる」


「だからこその〝勝利至上主義〟ですか」


「昨今ネガティブな意味で使われる事も多いことばだが、時には勝ちにいかないと人生のお先真っ暗という事もある。不満かな?」社会部長は意志を確認した。


「いいえ。勝たなければ開けない局面というモノはあります」明瞭に天狗騨は応じた。


「うん。そこでだ、テーマとして取り上げたい〝勝てる社会問題〟を、そうだな、三つほど挙げてみてくれ」


「急ですね」


「社会部記者としての能力はさっそく問われているという事だ」


 天狗騨記者は腕組みをして目を閉じ考え始める。だがすぐその目はカッと見開かれた。腕組みは既にもう解かれている。

「『空飛ぶ自動車』、これをあらかじめ潰しておかないと、近い将来無辜の庶民が理不尽に命を落とすことになります。これは間違いなく富裕層の玩具にしかなりません。家にいたら次の瞬間天井が突き破られ圧死していたなどという事も起こり得る。だいたい空を飛ぶ機械は飛行機であり決して自動車などではありません。これは呼称そのものにまやかしがある! 『空を飛ぶが飛行機ではなく自動車だと思え』と、そういう悪辣な意志が込められた名前です! 墜落事故が車の交通事故並みに日常的な事故として取り扱われたのではたまったもんじゃない!」天狗騨は早くも憤りの意志を込めて言った。


「いきなりかなりキたな」と社会部長は感想を述べた。


「ダメですか?」


「全てを聞いてからだ、で、他には?」


「『太陽光パネルの横暴にブレーキを』です。大規模に太陽光パネルを設置するに当たり規制を強化しなければ、この先際限無き環境破壊と自然災害に繋がります。例えば2015年でしたか、茨城県常総市で鬼怒川の堤防沿いの複数の地点で氾濫が起こりました。そのうちの一カ所に決して看過できない問題があった!」


 ここで天狗騨は「——ちょっと待って下さい」と言って件の手帳をパラパラめくる。


「——そうです。若宮戸(わかみやど)と呼ばれている付近では元々堤防が無く、『十一面山』と呼ばれる〝丘〟が天然の堤防の役割を果たしていました。その丘を民間業者がソーラーパネルを設置するために削り取っていたんです。しかも市に無断で! 市の担当者が調査してみると丘陵部が延長約150メートル、高さ2メートルほど削られていた!」


「——また静岡県の伊東市ではわざわざ山の森林を伐採し大規模に太陽光パネルを設置する動きがあり地域住民と業者の間で対立が起こっています。温室効果ガスの排出量計算は森林の吸収分を差し引いて算出しますが、その森林を太陽光パネル設置のために伐採するなど正に本末転倒! 『再生可能エネルギー』を名乗れば何をしても良いなどということは無いっ!」またも憤りを込め天狗騨は言った。


「ふむ、残りのひとつは?」


「リニア中央新幹線の南アルプストンネル。一級河川大井川の源流を貫通するこのトンネルは『〝経済〟のためには環境などどうなっても構わない』という意識を未だにこの国のエスタブリッシュメント達が持っている事の証左です! 『水俣病』の頃から未だに進歩が見られないこの精神構造! また極めて現代的な価値観、『SDGsエスディージーズ』にも反します! この電車のトンネル一つでそれまで持続していた経済が今後持続できなくなる可能性がある! 即ち水源の枯渇です! これは大量の失業者を生む可能性がある!」とこれまた憤りを持って天狗騨が言った。


「で、その中でどれが一番勝てると思っている?」


「『太陽光パネル』です」迷い無く天狗騨が答えた。


「そうか。では俺の考えを述べる。リニア中央新幹線で行け」社会部長が早くも〝結論〟を言い渡した。

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