第二百二話【『源平藤橘論』は大学教授という権威筋によって否定されるだろう】

「なぜです⁉」

 天狗騨記者は持論の〝解釈男系論〟をにべなく却下され瞬発的に食って掛かった。いわゆる女系天皇になったとしても〝男系だ〟という事にでき、これで男系男子派を言いくるめられるものだと、割と自信があったからである。代案無き否定論者は天狗騨の最も嫌うところである。


 論説主幹はコーヒーを一口すする。


「天狗騨君、」論説主幹は明らかに諭し出すように始めた。「——君はたったいましがた『我が社(ASH新聞)の社論』と言ったな?」


「もちろん言いましたが」


「社論というのは〝社説に書く〟という意味だ。『日本人のほとんどが源平藤橘にゆかりがある』だとか、果ては『源義経』だとか『遣唐使船が漂着した』だとか、そんな〝ネタ〟みたいな事を社説に書けるわけがない」


「しかし〝解釈男系〟に市民権を与えねば皇位継承は確実に行き詰まります。即ち『女系天皇はダメだ論』を否定しなければ天皇制は消滅します。『天皇制家族主義』だとか言っていましたが、実は内心『天皇制が無くなれば差別問題が解決する』とか、つまらない事を考えてやしないでしょうね?」


 この言い様、かなり無礼である。しかし論説主幹、この言い様を初歩的な引っかけだと見抜くくらいの知性はあった。例えばアメリカ合衆国には君主などいないが黒人差別に代表される種々の差別問題は確実に存在している。


「そんなつまらない事など考えてもいない」と明瞭に論説主幹は断言した。


「そうでしょうとも。天皇制が無くなり右派勢力が極右としてひとまとめになってしまったら我々には太刀打ちはできませんからね」


 少しだけカンに障った論説主幹は「なぜかね?」と訊き返した。


「日本軍慰安婦問題だけは追及し米軍慰安婦問題を追及しないのが日本の左翼・リベラルだからです」と天狗騨も明瞭に答え返した。


(どこまでも〝慰安婦問題〟は祟るな)と思うしかない論説主幹だが譲れない線というものはある。

「我々の新聞(ASH新聞)の読者層の事を考えるんだ。『日本人のほとんどが源平藤橘にゆかりがある』などという価値観とは相容れない人々だ。なぜならそうした価値観は一種の民族主義だからだ」そう答えた。


 しかし天狗騨も譲らない。

「いつから我々はマンガ雑誌の編集者になってしまったんです? 彼らの仕事なら〝読者が喜びそうなものを出す〟でいいでしょう。それが評価に繋がる世界です。しかし我々は新聞を造っているんです。我々新聞が読者の喜びそうな記事ばかりを載せるようになったらそれはもう新聞などではなく機関誌です。そんなもの誰が評価するんです? 我々ももはやジャーナリストではない。だいたいそれでは世の中が右傾化したら〝新聞が売れるように右寄りの記事を書く〟って意味になってますよ」


「……ぬ」と詰まる論説主幹。しかしここでは踏みとどまる。「ともかくだ、俗説の類いを社説で書くわけにはいかん。君も気づいている筈だが、左派・リベラル勢力には大学教授が非常に多い。彼らが学問的見識から『源平藤橘論』を叩いてきたら対抗できんだろう。〝大学教授〟という権威にどう対処するか、知識人という存在をナメてはいかん。ポイントはここだ」


「ではその〝知識人〟に対処できればいいわけですね?」と天狗騨がまたも奇妙な事を口にし出した。


「できるとも思えんが」論説主幹は極力落ち着き払った声でそう応じた。


「大学教授と言っても、たいてい憲法学者か、歴史学者でしょう? 社会学者もいるかもしれませんが」


「君は憲法学者や歴史学者に個人的恨みでもあるのか?」


「特段恨みはありませんが感心できない者も多い。しかしいずれにせよ学者が問題だと言うのなら話しは簡単です。要は『目には目を歯には歯を』。『海洋性ほ乳類には海洋性ほ乳類を』『慰安婦には慰安婦を』です。『学者には学者を』『教授には教授を』で対抗できます」


(まだなにか〝フダ〟があるのか?)といぶかしく思う論説主幹。

「そりゃ大学教授も割といるといればいる。大学もずいぶんたくさん存在しているしな。その中のいくつかにはこの主張に賛同する者もいるかもしれない。しかし何人かそういう者がいたとしてそれで『対抗できた』とするのはどいうものか」そのように言い渡した。


「なるほど、『東大をやっつけろ』と。これくらいでないと対抗できたうちにならないと。こういう事ですね」


「いや、別にそういう極端な話しじゃないが」


「学者は学者でも科学者を持ち出せば最低でもフィフティー・フィフティーくらいには押し返せますが」


「何の話しだ?」


「主幹はASH新聞の記事にくまなく目を通されている筈です。我が社の記事に興味深い仮説が載っていたでしょう。あれが使えるんじゃないですか?」


「どれが使えるのか覚えが無いが……」いささか困惑気味に論説主幹は答えた。それは正直な感想でもある。


「古代日本人のDNA解析についての記事です。『現代日本人と遺伝子的に変わらない日本人はいつ生まれたのか?』という2021年の記事ですよ」そう言った天狗騨はさっそく件の手帳のページを繰りだしていた。

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