第百九十七話【『解釈改憲』と『解釈男系』】

「『天皇は男系でなければならない』という価値観は『憲法9条は変えさせない』という価値観に非常によく似ています。落としどころがあるとすればここ以外無いでしょう」

 この〝謎の説〟の解説を天狗騨記者が開始した。


「憲法9条は護憲派の皆さんの努力が功を奏し、発布以来、一言半句も変えられてはおりません」


「——だがしかし、憲法の文言は一切変わらないのに自衛隊の地位だけは時代と共に劇的に変質してしまった。『自衛隊は違憲集団だ』という話しはすっかり新聞に載らなくなり、『自衛隊を外国に出すなどとんでもない』という議論ももはや久しく聞かなくなり、集団的自衛権は行使できるようになり、『反撃能力』と名を付けて外国の国土を攻撃できる能力保有すら今やタブーではない」


「——こうして憲法9条の文言は一言半句変えていないのに、自衛隊という存在がここまでフレキシブルに変わってきた。これが〝解釈改憲〟です! 逆に言うとこれらを許さなかったら、憲法9条の文言などとっくに変えられていました。『憲法9条は変えさせない』という理念は憲法の解釈を変える事で成り立っていたのです!」


 こういう事を面前で堂々言われれば心中〝複雑〟になるしかない論説主幹。しかし天狗騨、これっぽっちも気にする様子も見せず話しを続けていく。


「——『天皇は男系でなければならない』という理念も構図は同じ。この価値観を変えさせないようにと思ったなら〝〟以外に手はありません!」


「『解釈男系』とは聞かないことばだが……」と、ようやく論説主幹は喋り出せた。


「そりゃそうです。私が提唱しているだけですから」


「…………それで、どう解釈するんだ?」


「『歴代天皇は男系で続いてきた』とはどういう事でしょう? という所から思考を始めます。それは『天皇の父親は天皇であり、その父親も天皇で、そのまた父親も天皇である』という事です。これがこれまでずっと続いてきたと」


「——具体的に言うと、昭和天皇の父親は大正天皇で、大正天皇の父親は明治天皇で、明治天皇の父親は孝明天皇であると。こうして連綿と続いてきたのが天皇制であると」


「——もう結論から言いましょう。もう既に『解釈男系』は行われています。父親は天皇ではないが母親が天皇である天皇がいるんです」


「母親が天皇だって⁉ ちょっと、そりゃ女系天皇じゃないか!」


「そうなります」


「『女性天皇には子どもがいない』と聞いたような気がするが?」


「『いる人もいた』としか言い様がありません」そう言いながら天狗騨は件の手帳を取り出した。


「いったいその手帳には何が書いてあるんだ?」とふと論説主幹が思いついたままを訊いた。天狗騨はページを繰る手を止め「見てみますか?」と中身を示した。

 様々な単語や固有名詞、それに数字がごちゃごちゃと書かれ、所々が丸で囲まれ矢印があちこちへ飛ぶ。まったく何が書いてあるのか解らないノートとしか言い様がないシロモノ。しかし取り敢えずそのページに『元明天皇』と書かれ、丸で囲まれている事だけは論説主幹にも確認できた。天狗騨が続きを始める。


「この『元明天皇』ですね。子どもがいる女性天皇というのは」


「それはいつの時代だ?」


「奈良時代ですね」


「その『元明天皇』は天皇をやるくらいだから当然親も天皇だよな?」


「ええ、『天智天皇』の娘です。なので『元明天皇』を今風に言うと男系女子の天皇という事になりますね。ではここで質問です。その『元明天皇』の夫はどこから来たのでしょうか?」


「どこからって……」


「ではヒントをひとつ。名前は『草壁皇子』といいます」


「って事は天皇の息子か」

 ここで天狗騨は手帳のページを一枚めくった。

「はい。そしてこの人物は皇太子時代に病没しています。そしてこれが原因となって〝父親は天皇ではないが母親が天皇である天皇〟の誕生へと繋がっていきます。それが『元正天皇』です。ちなみにこの天皇も女性天皇。女性天皇が二代続いた事になります」


「二代女性天皇⁈」


「そうですよ」


「ちょっと待て! 名前が似ていて混乱してきた」と言った論説主幹は自身の手帳を取り出し自らの手で急ぎ家系図を書き始めた。「〝元明〟が母親で、〝元正〟の方がその娘か」

 続けて論説主幹は確認するように口にした。「『草壁皇子』は〝元明〟の夫で〝元正〟の父親と——」

 そして少しだけ考える風。「——しかしそれなら『元正天皇』の父方の祖父は天皇という事にはなるよな?」


「なりますね。『天武天皇』です」


「ずいぶんと近親婚だな」論説主幹は端的に口にしながらその名を書き加えた。


「系図を書かれているという事は気づきましたか」天狗騨は訊いた。


 論説主幹は自分で書いた略系図に目を落としながら喋り始める。

「『草壁皇子』と『元明天皇』の父親同士が兄弟で、これが『天武天皇』『天智天皇』。つまりいとこ同士の結婚という事か」


「ですね。ちなみに今現在の法律でもいとこ同士の結婚は可能な筈です」と天狗騨がすかさず継ぐ。しかし核心部はここからだった。「ときに『元正天皇』というのは〝男系女子〟の天皇でしょうか? それとも〝女系女子〟の天皇でしょうか?」


 それを訊かれた論説主幹は彼にとって充分な思考時間を必要とした。

(天皇をやった者を子から親へと縦に辿っていき、そのさかのぼる途中に一人でも女性天皇がいたなら、それ以降は女系になってしまうんだよな……)




「それは……男系とも言えるし、女系でもある……という事になるのか?」と論説主幹は答えた。

 それを受け、

「まったくその通りです。ところが現況、〝女系でもある〟という事実は無い事になっている。男の天皇の方が圧倒的に多いことをもって『天皇は男系で連綿と続いてきた』事にしたのではないか。これこそ〝解釈男系〟です」と天狗騨は応じた。


「そうは言うが男系派はその『男の天皇の方が圧倒的に多い』事にこそ何らかの意味を見いだしているんだぞ」


「これは完全に個人的カンなんですが、『出産は母子の命に関わる』、という事なのでは? 今でも施設で出産しなければそうなるのに、まして昔では。天皇制を維持していくためには出産は避けては通れない道ですが出産の度に天皇が代替わりしかねないのではいろいろ困る人も多いでしょう。男の天皇の方が圧倒的に多いのはそうした意味しか無いのだと思いますね」そう天狗騨は推論を立てた。


 論説主幹は難しい顔をした。

「もっともらしい。もっともらしい事は認めるが、父方にも天皇がいて、母方にも天皇がいるというのはかなりのレア・ケースだろう。まさか天狗騨君、さっき〝いとこ同士の結婚は有りだ〟とか言っていたが、『現天皇の長女と皇嗣の長男が結婚すれば万事丸く収まる』とか、そんな事を考えているのか?」


「なるほど、それだと確かにストンときれいに収まりますね。しかしそれで子どもが生まれなかったらいよいよ天皇制は詰みますよ。まさに極右の思う壺。だいいち、本人の意志とは無関係に結婚相手を決めてしまったらに反しますね」


「相変わらずの〝内心の自由〟だな。では訊くが現天皇の長女が天皇になったとする。その上で結婚相手を自由選択したとして、その結婚相手の父方には確実に天皇はいないだろう。これをどう解釈したら男系派を言いくるめられるんだ?」


「いないならいる事にすればいい。〝解釈男系〟をよりいっそう進化させればいいだけです」


 この天狗騨のあまりにブッ飛んだ言い様に論説主幹はもちろん何の反応もできず固まっていた。内心でこう思うのみ。(そりゃ家系図の偽造か)

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