第百九十六話【跡目相続】
「では〝皇位の女系も有り〟とする君の理屈はどういう理屈になる?」論説主幹は訊いた。
「相続ですよ。相続権は男子限定ってのが一般常識であり得ない」天狗騨記者は答えた。
「それは『民法』の事を言っているのか? それこそ近代合理主義じゃないか」
「ですが江戸時代やら室町時代やら鎌倉時代に『民法』なんてありません。しかしどの時代だろうと『跡目相続』の問題はあった筈です」
「そりゃまあ、あるはあったが」
「そこは具体的に考えるんですよ、そこで先ほど私が言った〝論点1〟を思い出して頂きたい」
「えーと確か、『次の天皇は現天皇の長女か? 皇嗣の長男か?』だったか」
「そうです。長男の家の子どもは娘しかいない、次男の家の子どもには息子がいる。こうした場合に長男が持っている一切合切の権利を次男の家の息子が引き継ぐってのは、普通に考えておかしいんじゃないですか?」
「そう言われればなるほどもっともな〝話し〟だが、しかしそれは一般人の話しで、『伝統』だなんだとか言っている連中が納得するか? 『天皇家は別だ』とか言い出すのがオチだろう」
「この際『何が伝統かは分からない』のでは? 家長の子どもが娘しかいない場合、その家の家督が〝家長の弟の息子〟に行くでしょうか? 実の娘に婿をとって家督を継がせるのでは? 家長の家に子どもが一人もいない場合ならいざ知らず、いるんだったらなんとかして〝核家族の範囲の中〟から次の代を確保しようとするのが一般的だと思うのですが」
「それはいわゆる〝イエ(家)〟の概念だな?」と論説主幹は確認する。天狗騨は肯き、そして言った。
「なかなかに古い価値観でしょう? これについて『天皇家だけは別だ』とすると、天皇家の伝統と日本の伝統が異なっている事になる」
「しかし天狗騨君、私より若いのに『家長』だとか『家督』だとか、言うことがずいぶん時代がかっているな」
天狗騨がニカッと笑う。
「これを言っておくと〝近代合理主義〟を前提としない価値観を語っているということになりますからね、『伝統』を振りかざす者相手には言っておくに限ります。そこで今ひとつ、具体的に考えてみるべき事があるんですが、」
「もしかしてそれはさっきの〝論点2〟の話しか?」
「その通りです。正に『極一部の国民の皇籍復帰はアリか? ナシか?』ですね。それで、もしもです、極一部の国民の皇籍復帰が実現した場合、我々国民はどういった反応を示してしまうか。そこを考えてみます」
「『反応を示してしまうか』ってな、なんか不穏な事を言おうとしているな?」
「不穏は元々ですよ。最初から〝極一部の国民〟と言ってるじゃないですか」
「なるほど。確かに不穏だ。では君はどういった反応を示すつもりかね?」
「『本当に本物だろうか?』です」
「……それ、言うか?」
「今私が言いましたが」
「そういうの、誰も言わないんじゃないか?」
「SNSがあります。それを引用する形での〝報道〟が成り立ちます」
「……」
「過去、一般国民の中から『熊沢天皇』だとか『偽有栖川宮』だとかいった皇族を騙る紛い者が出た事があります。では紛い者と本当の者の区別はどういうふうにしてつけるんでしょうか?」天狗騨は訊いた。
『熊沢天皇』の出没。それは日本占領期の1946年1月の事だった。
連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサー宛に〝或る請願〟が届いた。その中身は「自分こそ南朝最後の天皇の系譜を継ぐ者である」「自分を皇位に就けて“歴史的不正”を根絶するよう」と求めるものだった。
請願主の名は『熊澤
第一報はアメリカ軍準機関紙「Stars and Stripes Pacific」(星条旗紙太平洋版)。次いで海外メディアに報じられ、それらを引用する形で日本メディアの報道が始まる。かくしてその男は時の人となり『熊沢天皇』などと呼ばれるようになった。しかもその男、全国各地で入場料をとる講演会すら開催し始めた。
付記すべきは当時〝自称天皇〟の出没はこの一人だけではなく、唯一現代にまで名前が残ったのが、この『熊沢天皇』という事である。
『偽有栖川宮』の出没。それは2003年4月の事だった。
宮家・有栖川宮の祭祀継承者で『高松宮宣仁親王のご落胤である』と偽った男と、その妃殿下を詐称する女が、東京は青山において〝結婚披露宴〟を開催。招待客から祝儀等を騙し取った。しかも結婚自体、その事実が無かったため二重に詐欺だった。
驚くべき事に、約400人もの招待客がこの披露宴に出席、彼らに御祝儀を渡してしまい、中には記念写真撮影権という名目で金銭を支払ってしまった者さえいた。
『自称・有栖川識仁』(41歳)と『自称その妃殿下』(45歳)とその関係者達はむろん詐欺罪で警察に逮捕されたが、逮捕したのは、警視庁公安部だった。
〝紛い者と本当の者の区別はどうつけるのか?〟と天狗騨に訊かれた論説主幹は頼りなげにこう口にした。
「それは……政府が保証するんだろう」
「お上が『皇族の子孫だ』と決めたら、そういう事になるんでしょうか? 家系図はイエの歴史ではあっても血統の証明書ではありません。さりとて本当に皇族の血統なのかDNA鑑定などできる筈も無く、また成り立つ筈も無く、『確かに皇室の血統だ』と客観的に証明する方法などありやしません。こうなると『万世一系』なる価値観は信心の上に成り立つ虚構でしかない事になる」
「……虚構ってな……」
「また逆パターンも有り得る。客観的に証明できないのならいっその事分母を増やすという方法です。例えば中国では、かの孔子の子孫が200万人いるという事になっている」
「にっ、にひゃくまん⁉」
「きっと特異なカウント方があるのでしょう。しかしこうした方法を採った場合、そのあまた多数の中から、どうしてその一人あるいは二・三人だけを選んだのか理由が問われる事になる」
「——そういうのを一番解っているのが非公式ながら実際名前を挙げられてしまった〝何人か〟じゃないですかね。誰一人として『皇族をやりたい』などと自ら手を上げる者がいません」と天狗騨は現状を分析してみせた。
「それでは論点2については結論が出ているという事になるのか?」と論説主幹は確認を求める。
「そうです。或る日突然『この人が新しく皇族になります。この人の息子か孫が将来天皇になる可能性があります』などと言われて、全ての国民が祝意を示すかどうか。近頃『皇室パワー』なるネットスラングが見受けられます。右派・保守派にとっては好ましくないことばでしょう。ハッキリ言って『政府が皇族にしてくれるなんてうらやましい』とそう考える層は確実に出ます。この日本を格差社会にしてしまったツケはこういう所にも出てくる」
論説主幹はややの長考状態。
「う〜ん、確かにそんな感じになりそうな気はするな」と口にした。
「やはりここでもどちらがマシかという選択になります。『政府が新たな皇族を造る』よりは『現皇族の結婚によって新たな皇族が生まれる』の方がまだ負の影響力を抑えられると思いますね。何しろ結婚という行事の前には建前であっても〝お祝いのことば〟を言うのが常識ですから」
「しかしそんな〝現実論〟であの頑なな『天皇は男系男子に限る』と言っている連中が自説を放棄するか? 『国民に対しての啓蒙活動で〝日本の伝統〟がなんであるかを認識してもらう』とか言って益々運動が激しくなるだけじゃないのか?」
「もしそんな事をされると国民統合の象徴である天皇制が社会を分断させる事になるんですがね」と言いながら天狗騨はコーヒーを一口すする。
その態度を怪訝に思った論説主幹は訊いた。
「君はそういう方向性を好ましいと思うのか?」
「まさか。テロリストじゃあるまいし私が日本社会の不安定化を望んでいるように見えますか?」
正直なところ若干〝見えた〟論説主幹だったが、取り敢えず〝否〟と嘘をついておいた。そして改めて訊いた。
「では〝男系派〟をどうする?」
「『天皇は男系でなければならない』という価値観は『憲法9条は変えさせない』という価値観に非常によく似ています。落としどころがあるとすればここ以外無いでしょう」
論説主幹はその言い草にあっけにとられ、すぐに反応が返せなかった。少々のタイムラグの後、
(『天皇は男系でなければならない』とか言う奴はたいてい9条改憲派だぞ)と思うのが精一杯。
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