第百九十二話【富裕層をヘイトしてもヘイトスピーチにならない】

「——問題はこの男に〝対抗できるか〟なんですが、私と仏暁信晴が一家言ぶった場合、私がぶつと反感・反発として返ってくるばかりなのに、仏暁信晴がぶつと同意と賞賛になって返っている!」天狗騨記者がさも忌々しげに口にした。


「そりゃ、味方がいないという意味か?」論説主幹が訊いた。


「そうですよ! なぜ努めて論理的に話しを展開しているのにこうなるのか!」


「……或る意味、当たり前じゃないか? 支持者を集めての演説と、論敵として話しを聞くのとでは」


「つまりASH新聞の中には私の意見を支持する者などいないと?」


「いや、まあ……な、」と言って論説主幹は最初に頼んだコーヒーを全て飲み干した。要するにごまかしたかったのである。


「それにです、今主幹は『支持者を集めているんだから当たり前』と言いましたが、政治家の街頭演説を聴いている聴衆に演説者に対する〝同意と賞賛〟など感じますか? 一応演説が終わるとお為ごかしのような拍手が鳴るだけですよ。こちらが校長先生のお話しなら、仏暁信晴の方はライブですよ! 盛り上がり方がまるで違う」


「そんなに演説の名手なのか? 仏暁という男は?」


「名手かどうかは解りませんがね、なぜ盛り上がるかは理屈としては解ってますよ!」


「なぜだ?」


「そりゃ敵を定めているからです。富裕層を攻撃しているからですよ! 思いつく限りの徹底的な悪罵を投げつけ憎悪を煽り、〆は『富裕層はケイマン諸島へ島流し!』ですからね、盛り上がり方が違う」



 ちなみに『ケイマン諸島』とは〝租税回避地〟、即ち〝タックスヘイブン〟として名高いイギリス領の島々である。ここ日本ではこれをいっとき〝タックスヘブン〟、即ち〝税金天国〟と勘違いする向きがあった。恐ろしいのはこの勘違いでも意味が通じるどころか却ってこちらの方が物事の本質を衝いているのではないかという、そうした故意性さえ感じられる事である。



「なんとも低レベルで下劣な煽りだな」論説主幹は〝極右の煽りなど下げるに限る〟という価値観を、そのことば選びと語調に込め言った。


 しかし天狗騨はそんな論説主幹に冷たい視線を向け、

「感想がそれだけじゃあ敗北ルートです」と言い放った。「『ケイマン諸島へ島流し!』が実際できるかどうかという問題じゃあないんです。ケイマン諸島って何です?」


「租税回避地だ」


「それ以前に外国ですよ。仏暁信晴は『そこへ行け』とぶっているんです。つまり『出て行け』。気に食わない者にこれを言うのが極右の常套句です。しかもこれだけ堂々『出て行け』と言ってもヘイトスピーチにされないでしょう」


 論説主幹の顔つきが変わった。怒りというよりは(そう来るのか!)という驚愕であった。天狗騨は喋り続ける。

「明らかに極右は進化を遂げている。中国の故事にもありましたね。『上に政策あれば下に対策あり』と。どんなにヘイトスピーチをしても絶対に悪者にされない攻撃対象を見つけたって事です」


 天狗騨は、未だ驚愕の表情のままの論説主幹に問いかけた。

「『富裕層に対する差別を許すな』というのは一応理屈としては成り立ちますが、その理屈、幅広く国民の共感を得ることは可能でしょうか? 選挙で選ばれる政治家がヘイトスピーチ対策法に『富裕層に対するヘイトスピーチは禁止する』と付け加えてくれるでしょうか?」


「——それともこのASH新聞は、己の不人気を覚悟してまで富裕層を守ろうとするでしょうか?」




 どさりと音の無い沈黙の時間が置かれたようになった。


「だーれもするわけがない。富裕層の擁護など。富裕層を擁護するのは富裕層だけだ」と天狗騨が言い切った。


「しかしっ、それは成功者に対する妬みや嫉みで最も卑しむべきものだろう」ここで論説主幹は道徳論を吐いた。しかし天狗騨はまるで表情を変えない。そんな天狗騨へとさらにことばを繋ぐ論説主幹。「——みっともなさ過ぎるしあまりに情けない事だ」


「いかにも日本人ですね。主幹は」とだけ天狗騨は口にした。


「どういう意味だ?」


「今言われたのは典型的『恥の概念』ですよ。しかし前に言ったでしょう。仏暁信晴は『おフランス野郎』なんです。フランスにかぶれている。正真正銘日本人だが日本人的感覚など通じやしませんよ。言っておきますが日本人一般がフランスに持っているであろう『お上品で気取っている』なんていう安いフランス感覚じゃありません」


「じゃあ〝フランスの感覚〟ってのはなんだ?」


「フランス革命の感覚です。つまりフランスの源流。『自由・平等・友愛』という正義の名の下に富裕した支配者を捕らえてみんなで取り囲み熱狂してギロチンで首を落としていく。そういう感覚ですよ。精神が日本人じゃないような人間に日本の道徳を説くなど無意味です」


 論説主幹の顔に逡巡の色が現れ始めた。己の立場がどこにあるのかそうした思考を試されているような気がしてきたのである。しかし彼は最後に〝良心〟の方を選択した。その付いている肩書きがそうした方向を選択させたかもしれなかった。


「感情論としては解る。非正規雇用が増え未来をバラ色だと思えない国民が増えたのも事実だろう。しかしそれは感情に過ぎず論理的ではない。それは暴力革命ではないか」


 なんと、極右を攻撃している筈の者が左翼的価値観を否定し始めたのである。まさしく『極右と極左は一周回ってほぼ同じ』の体現そのものであった。しかしそれを言われてさえ天狗騨の表情はまったく変わっていなかった。

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