第百九十一話【極右じゃなくて極左じゃないのか?】

「誰なんだ? それは」論説主幹は〝攻撃するのにちょうどいい相手〟の名を問い質した。


「富裕層ですよ」それだけ言った天狗騨記者はカップを手に取り、がーっと残ったコーヒーを全て飲み干してしまう。続けざま「すみません。コーヒー、同じものをあと三つ」と喫茶店のマスターに注文した。


「珍しい注文ですね」とマスター。


「攻撃するのは『富裕層』って、言うことそれだけか?」論説主幹は中身について説明を求める。しかし天狗騨、口にしたのは「コーヒー1杯でどれだけ粘るんだって話しですから。いい歳して大昔の大学生みたいな真似はできませんよ」だった。


 天狗騨がオーダーした通りにカップが三つ、マスター自らの手でテーブルの上に置かれた。

「ひとつは主幹の分です」と言うや天狗騨は新しいコーヒーに手を付けた。カラになったカップだけをマスターは下げたがテーブルの上にはカップがまだ四器も載っている。


「格差社会を憂えるのは左翼じゃないのか?」論説主幹は言った。


「2022年のフランス大統領選では極右候補が決選投票に残りましたが極右候補に投票した層の方が現職大統領に投票した層よりも平均年収が低かったという調査結果もあります。ネット上での煽りの常套句、『右翼は低収入』は当たっていたという事です。しかしそうした傾向が真実ならその手の煽りはむしろ極右の台頭を招くという事になる」


「しかしここはフランスじゃない。日本だ。日本では『右』は格差問題の受け皿たり得ない」


「主幹、それはリーマンショック以前の2000年代の感覚ではないですか。この際〝願望〟を語るのはやめておきましょう」


 しかし〝格差問題〟の受け皿が左派・リベラルではなく極右だというのが論説主幹には受け入れ難い。なにより極右にお株を奪われるというのが許し難い。


「極右が左派・左翼と同じと云うのは暴論ではないか」


「『極右と極左は一周回ってほぼ同じ』って言いませんか? 日本だとてそうした傾向が実際ある。ほら、軍歌にもあるでしょう。『昭和維新の歌』ってやつです」それを言うと突然天狗騨が歌い出した。「『財閥富を誇れども社稷しゃしょくを思う心なし♪』ってね」


(なんでコイツはこんな歌を知っている?)と思いつつ論説主幹は言った。

「社稷ってのは〝国家〟を気取って言った言い方で、貧しい人の事じゃない!」


「『今や我が国日本は一部の富裕層が富を誇る一方で貧しい人ばかりの国になってしまった。富裕層の奴らはこれで国を思っていると言えるのか!』というように聞こえますがね。『昭和維新』と言えば二二六事件ですが、青年将校達の行動の動機は〝格差社会に対する憎悪〟、〝こうした国を変えること〟、正にこれでしょう」


「クーデターなど肯定できるか!」


「ならこんな例もあります」と言って天狗騨は件の手帳を繰り始める。「——2021年の中国共産党創建100年を記念する祝賀大会で国家主席が1時間以上の大演説を行いました。が、その演説の中に『共産主義』という言葉が一度も出て来ていません。〝中国共産党創建100年〟と銘打っているにも関わらずです。代わりに頻繁に出てきた語彙は『中華民族』と『民族の復興』でした。これはもはや『民族主義政党』です。こちらは逆に左が右になっている」


「……」


「つまり、仏暁信晴が極右を名乗りながら富裕層を標的として攻撃してもなんらの不自然もありません。誰が言った名言か、極右と極左は一周回ってほぼ同じというのは真実です」

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